第70章 美し過ぎる花には毒がある
「薬、薬をちょうだい。約束でしょ!」
キンバリーが叫んだ。
するとカイルが満面の笑顔で振り向くとこう言った。
「ああ、あの特効薬は、俺がさっき使いきってなくなった。
あの薬はな、天才だったフローディア嬢が作ったものなんだ。彼女しかその製法はわからない。
だから、彼女が亡くなった今では、もうあの薬を作れる者はいない。
残念だったな」
「いやぁ〜! 薬、薬をちょうだい」
薬中が薬切れで叫んでいると思われているだろうな。そう私は思った。
太い柱の陰に潜んでいた私の横を通り過ぎる時「チッ!」とカイルが舌打ちする音がした。バレてた。
しかし何も言わないから諦めたんだろう。それでも、カイルと二人の書記官から少しだけ距離をとって、隠れる素振りをしながら私もその後をついて行った。
母マデリーンの牢の前にたどり着くと、カイルは「奥様」と声をかけた。
母は彼の声に素早く反応して立ち上がると、鉄格子に両手をかけ、嬉々としてこう言った。
「カイル! 旦那様が私を救い出すようにと命じてくれたのね。ずいぶん遅かったけれど、まあ、許してあげるわ!」
しかし、その瞬間彼は鉄格子の間に左手を突っ込むと、母の右手をガシッと掴んだ。そしてそれとほぼ同時に、右手で母の顔面をむんずと力をこめて掴んだ。
「痛い! 何をするの!」
カイルのその一連の行動は、キンバリーの時よりもさらに素早かった。二度目だったからなのか、それともより怒りが強かったせいだったのか。
まあ、両方だろう。私もそうしてやりたかった。
父を散々裏切って離縁されたくせに、助けに来るのがさも当然だというその太々しさに、本当に反吐が出そうだ。
カイルは大判のハンカチで、「ゴエイソウ」のクリーム塗れの右手を丁寧に拭うと、次に銀色の蓋を外して薬をたっぷりと塗り込んだ。
まだ爛れが直り切らないうちに、クリームを塗ってまた薬を塗るなんて、大丈夫なんだろうか?逆の手でやれば良かったのに。
彼の手の事が気になって仕方がなかった。叫び声をあげている母親のことなんてどうでも良かったが。
軟膏の中に入っている「ゴエイソウ」によるアレルギー症状が出るには、三十分ほどかかる。
それまではどうせ何を質問をしても答えないとわかっているので、カイルは一言も口を開かなかった。
さっきは慌てふためいていた書記官達も、二度目ということで落ち着いて、一度目の聴取の記録のチェックをしていた。
あんなに狂ったように泣き喚く人間の前で、よく平然としていられるな。
ああ、仕事柄こんな場面に何度も遭遇しているのか。こんな嫌な仕事でも逃げ出さずに執行している彼らに尊敬の念を抱いた。
やっはり机の前に座っているだけでは現場の苦労がわからないな。と再認識した。
まあ、自分のも変装しては時々スパイ活動をしているが、それともまた違う大変さだ。
母の顔が徐々に赤くなってきた。
キンバリーの時は顔の左半分と、顔に触れた両手の平だった。
しかし母の場合は顔の中心部が広く変色してた。
ドレスで拭ったおかげで手は無事だったようだが、そのせいで彼女は自分の現状をまだ認識できていなかった。
ただ痒みとヒリヒリ感に不安感を募らせているようだった。何せ何をしたのかと訊ねても、目の前の男達は完全無視を決め込んでいたのだから。
しかも、ほんの少し前まで自分の忠実な使用人だと思っていた男に、想定外の行為をされたことにパニックっているのだろう。
まともな神経をしていれば、自分が彼に恨みを買っていることくらい気付くだろうに。
赤らんだ場所が段々爛れてきたところで、カイルは手鏡を母に見せた。
母はキンバリーを上回る悲鳴を上げた。
「何なの、これは?」
「美しい貴女をさらに美しくして差し上げようと、美容クリームを塗らせてもらったのですよ。ほら、顔の中心に真っ赤な花が咲き始めましたよ。
これから満開になったらさらに美しくなることでしょうね」
「何を言っているの?」
「この国じゃあまり知られていませんが、「ゴエイソウ」という植物があるのです。
辺境の地にひっそりと生えているらしいのですが、そりゃあもう真っ赤で艶やかな美しい花を咲かそうですよ。
でも住民は、その花を摘んで家で飾ろうなんてことは決して考えないそうですよ。
なぜなら彼らは知っているからです。
「美し過ぎる花には毒がある」ってことをね」
「毒? まさかさっきのクリームにその毒が含まれていたということなの?」
母は目を大きく見開いて、愕然とした表情をした。
カイルはいつも母に向けていたアルカイックスマイルでこう答えた。
「「毒を食らわば皿まで」ということわざがあるでしょう?
ですから旦那様やルシアン様にとって毒花だった貴女に、毒花を贈らねばと思ったのですよ。
悪事を働いてきた貴女に、後戻りはもうできないのだとわかって頂きたくて」
「悪事なんてしていないわ。私が浮気をしたとあの人は責めたけれど、彼だって領地の侍女と浮気していたでしょう! お互い様よ」
「ご自分が浮気をしているからといって、誰もがそんなに尻軽だと思ってもらっては困りますよ。
ハーモンド夫人は貞淑な未亡人です。いくら形式上であっても妻のいる方と不貞行為などはしませんよ。
まあ旦那様は独身に戻られましたから、ルシアン様が身を固められれば夫人と再婚されるかもしれませんがね」
「嘘よ、そんなこと信じられないわ」
「貴女が信じても信じなくてもどうでもいいことですよ。
貴女がずっと不貞していたことだけは、屋敷の者ならば全員が知っている事実なのですからね。
それに浮気だけでなく、ロンバード子爵夫人を亡き者にしようとなさったのでしょう?
先ほどキンバリー嬢が証言しましたよ」
「!!!」
母は絶句した。しかし、何か思い出したように顔を上げた。
「セルシオ、セルシオを呼んできて。
あの子は城勤めをしているのでしょう? 今すぐここに呼んできてちょうだい。
私の無実を証明させないといけないわ」
今頃息子のことを思い出したのか。可笑しくて笑える。まあ、それくらいの関係だと思ってもらった方がこちらも気が楽だけれど。
「セルシオとはどなたのことですか?」
「何を言っているの? 私の息子よ。私がこのお腹を痛めて産んだ子よ」
「さあ? 存じませんね。どちらの部署で働かれているのですか?」
「よく知らないけれど、総務部かどこかでしょう?」
「書記官様。申し訳ないのですが、この城にセルシオ=ジルスチュワートという方はお勤めでしょうか?」
カイルはベテランの書記官にそう訊ねた。
彼らと私は同じ部署に所属しているので旧知の仲だ。
しかし、彼らは真顔で「知らない」と答えた。
「知らないわけないでしょう。息子はジルスチュワート侯爵家の嫡男なのよ!」
母は金切り声を上げた。
しかし、彼らはその声に顔をしかめながらも
「セルシオ様という名の人物は存じませんね」
と言った。
そう、彼らは正直者で嘘などついていない。本当にそんな名前の官吏はいなかったのだ。
なぜなら、私はつい先日名前を変えたのだ。セルシオからルシアンに。




