第69章 追い詰める
フィリップ君は、例の軟膏を私の母マデリーンとキンバリーに自ら手渡すつもりでいた。
しかし、最初にその話を聞いた時から、私は彼にそんなことをさせる気なんてなかった。
ロンバーグ子爵夫人の言った通りだ。
復讐なんてしたら、その時だけは鬱憤を晴らせるかもしれないが、そのうち相手がどんな憎い相手であろうと、多少なりと後味の悪さが残るものだ。
これからの彼は明るい未来に向かって進むべきなのだ。後ろ向きな行為をさせるわけにはいかない。
「こういう役目は、二人に対して何の思い入れもない人物に頼むのが一番だろう」
私はフィリップ君にそう言って職場へ戻らせた。
しかし全く無関係な人間に頼むというのは現実的には難しい。
見ず知らずの者から手渡された、メーカーもはっきりしないような化粧品を使う貴族なんていないのだから。
私は「ゴエイソウ」を混ぜ込んだ軟膏の入った金色の蓋の瓶を鞄にしまうと、地下室に向かおうと部屋を出た。
するとそこにはカイルが立っていて、有無を言わせず私の鞄を取り上げた。
「何をする!」
「こういう仕事は、二人に対して何の思い入れもない人物に頼むのが一番なのでしょう?」
聞いていたのか。地獄耳だな。影になれるぞ。
「ルシアン様、貴方は理詰め、あるいは丸め込んで軟膏を使わせようと考えていますね?
「これから解放するが、そのように肌が荒れた状態で恋人に会いに行くつもりか? まず以前のような艶に戻してからの方がいいのではないか? 失望されたら嫌だろう?」
とでも言って美容薬だと偽ってそれを手渡すつもりでしょう?」
図星だ。なぜわかる?
自分の美貌だけが自慢のあの二人だ。肌荒れした醜い自分の顔なんて耐えられないだろう。すぐに飛び付くさ。
しかし、滅多に表情を変えないカイルが珍しく苦々しい顔をした。
「あんな連中に、そんなまどろっこしいことをする必要なんてありませんよ。
さっさと吐かせましょう。これは貴方のためだけではありません。私のためにも、さっさとこの事件を解決させたいんですよ!
貴方の花はまだ蕾だからいいですが、私の花は今が盛りなんですよ! 散る前に思い切り愛でてやりたいんですよ!
あんな毒花に悠長にかまっている時間はないんです!」
鈍い私でもさすがに彼が何を言いたいのかわかった。
「すまない。君に任すよ。好きにやってくれ」
即座にそう言った。
カイルは私を執務室に押し込むと、テーブルの上に置いてあった銀色の蓋の瓶も鞄に入れると、
「すぐに吐かせますから、三十分後に書記官二人を地下牢へ寄越して下さい。貴方は顔を出さないでくたさい。いいですね?」
そう言って部屋を出て行った。
そしてきっちり三十分後、まずキンバリーが自分がこれまでしてきたことを話し始めた。
小さな悪事は割とスムーズに話したが、そのうちもう何も言うことは無いと言い出した。
その度に早く全てを話さないと、爛れが酷くなるよとカイルが脅していた。
「治療薬はあるよ。ほら、さっきお前の顔に軟膏を塗り付けた俺の手、大分腫れが治まってきただろう?
特効薬なんだ。そのうち綺麗さっぱり元通りになるよ。
でも、時間がかかると治りにくくなるんだ。痕が残らないといいね」
自分もその手を使うつもりだったが、カイルのような迫力は出せなかっただろう。
綺麗過ぎるニヒルな顔付きは、いつにも増して凄味があった。怨念の籠もった目をしていた。
まあ、彼をそこまで追い詰めた原因は自分にもあるのだが。
本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。彼の優しさに甘え切っていたんだな。こんなに負のパワーを溜め込んでいたとは。
さっさと二人を起訴して、ディアナ嬢に告白し、子爵家へ挨拶に行こう。
そこで婚約はともかくお付き合いだけは最低でもなんとかして認めてもらうのだ。
そうすればカイルとスレッタも安心するだかろうから、さっさと二人を結婚させてしまおう。
ディアナ嬢も喜んで協力してくれるに違いない。彼女は私以上に二人の幸せを願っているからな。
キンバリーの顔の左側半分は、段々と赤から赤黒く変化していき、爛れが酷くなっていった。
どこで入手したのか、カイルが手鏡を彼女に向けた。
「ヒ〜〜〜ッ!!」
キンバリーが地下牢に響き渡るのでないかと思われるほどの悲鳴を上げた。母がこれに気付かないといいが。
いや、聞こえてもキンバリーの声だとは思わないか。地下牢では始終誰かが叫び声を上げているし。
母が閉じ込められた貴族牢は、対角線上の反対側に位置する離れた場所だし。
「薬を、薬をちょうだい。早く、早く……」
「だめだ。全て話さないと渡さない。さっきからそう言っているだろう」
「もう、全て話したと言ったでしょう。もう話すことなんて何もないわ。
たがら早く薬をちょうだい」
キンバリーは鉄格子から必死に片手を伸ばして訴えた。
しかしカイルはクルッと彼女に背を向けた。
「話す気がないならもういい。もう一人に聞けば済むことなだからな。
もう俺はここへ来ない。元から醜かったその顔が、さらに醜悪になっていたら、悍まし過ぎて見るに耐えられないだろうからな」
カイルに最後通告をされたキンバリーは叫んだ。
「叔母様を脅したって無駄よ。
未遂の私とは違って、叔母様は本当に人を殺しているのだから正直に話すわけがないわ」
「ほう? 面白い。お前は殺人未遂で、あっちは本当に殺人を犯したというのか?
一体誰をやったと言うんだ?」
「叔母様はロンバード子爵夫人を本当に憎んでいたわ。真実の恋人を奪われたんだもの。
でも殺そうとまでは思っていなかったわ。ただ媚薬を飲ませて男と関係を持たせて、子爵と別れさせようとしていただけよ。
まさかその薬のせいで足を滑らせて階段から落ちて、死んでしまうなんて思わなかったのよ。
でも、そのつもりはなくても殺したことに変わりはないわ。
それに比べて、私はたしかにフィリップ様の妹を殺そうとする計画を立てたわ。でもそれだけで、実際に手は出していないわ。あの子は死んだけれど、それは流行病のせいで、私には関係ない」
「関係なくはないだろう。フローディア嬢は元々病弱だった上に、毒の含まれた化粧品を使ったせいで余計に弱っていた。
だから流行病で重篤になってしまったんだぞ。お前が毒入りの化粧品などを贈らなければ死ななかったかもしれない。
なにせ、あの流行病で亡くなったのは彼女だけだったんだからな。
お前の贈った化粧品の分析はとっくに終わってる。指紋判定もな」
キンバリーは目を見張った。
物的証拠は葬儀が終わったら回収して処分しようと思っていた。
だから、まだ領地にいるうちに葬儀が行われてしまったと知った時は焦ったのだ。
ところが、彼女の死因は原因不明の病などではなく、流行病であった。
彼女が身に付けていた物、身近にあった者は全て廃棄処分されと聞いていた。
毒殺しようとした証拠など何もないと安心していたのだろう。どうしてその証拠が残っていたの?とカイルに疑問をぶつけてきた。
もちろん彼がそんな疑問に答えてやる義理はなかった。
書記官が記入し終えたのを確認したカイルは、再びくるりと鉄格子に背を向けると、そのまま歩き出したのだった。




