第64章 墓参り(ディアナ視点)
スゴッテ領へ行くので旅支度を頼む、という伝達があった。
私はお父様とお兄様の旅行鞄を取り出して、すぐにその準備に取り掛かった。
今の季節は冬だけれど、彼の地は常春に近いはずだから、春物の衣類も何着かクローゼットの奥から引っ張り出した。
華美ではなく、かつ上品な物を選択して詰め込んだ。それから洗面道具も。
その間スレッタ様は保存食や飲み物を揃えてくれていた。
一応支度が整ったところで、私はスレッタ様にあるお願い事をした。
すると、これまで何があろうと動じなかった彼女が動揺した様子を見せた。
しかも本当にいいのかと何度も確認してきたけれど、私は躊躇うことなくお願いしますと頭を下げた。
「この前芝居をした時に実感しました。舞台を確実に成功させるためには、絶対に手を抜いてはいけないと。
コメ粉という東国産の粉を家の中に撒いたことで、伝染病が本当のことなのだと皆に実感させることができたのですから。
病原菌は目に見えないからこそ人々に恐怖を与えました。
そして白い粉まみれという、さらに非日常な風景を見せられたからこそ、さらにインパクトを残せたのだと思うのです。
関係のない方々の不安を煽ってしまい、大変申し訳ないと思っているのですが。
そしてここで重要なポイントになったのは、一般には流通していないコメ粉という東国産の粉を使ったことです。
もし小麦粉を使っていたら、さすがに薬品ではないとわかってしまったと思うのです。毎朝その粉でパンを焼いているのですから。
石灰も同じ理由で駄目でした。農業に従事している者にはバレバレですから。
直接体に触れたら爛れたりするし、万が一目に入って失明したら大事なので、元々使う気はなかったのですが。
まあ何が言いたいのかと言うと、適当に誤魔化しただけでは人は騙せないってことなのです。
ですから、スゴッテ男爵家を本気で騙そうとするなら、これくらいやらないと駄目だと思うのですよね。
どうか気にせずに思い切りやってください。お願いします」
私がこう言うと、スレッタ様も困った顔をしながらも、仕方なくお願いを聞いてくれたのだった。
ただし、そのすぐ後に恨み言を言われてまったけれど。
帰宅したお父様やお兄様は大泣きをしたからだ。
何故思い留ませてくれなかったのだと責められて、スレッタ様は居たたまれなくなってしまったのだ。
彼女にはとても申し訳ない気分になった。
でも、髪の毛なんてすぐに伸びるのだから気にすることなんてないのに、というのが私の正直な思いだった。
ふわふわ綿毛のような、かなり特徴的な私の遺髪を見れば、ランメル夫妻だけでなく祖父達も私の死を認めざるを得ないだろう。
そして、私が死に際に母の墓に入りたがっていたのだと聞けば、祖父母や伯父達もその願いを無下にはしないはずだと考えたのだ。
スゴッテ男爵領は当たり前だが城壁に囲まれているわけではないし、関所で管理されているわけではないので出入りは自由だ。
しかし、挨拶もなしに勝手にロンバード子爵家の人間が領内に入り込み、それを後で知ったら、男爵家はいい気持ちはしないと思う。そもそも来るなと言っているのだから。
父と兄はとにかく目立つ。隠れて動き回るなんて絶対に無理だと思う。
知らない人からもしそれを耳にしたら、男爵家の人々もあまり良い気はしないだろう。
それならば、向こうが断りにくい目的を最初から明記して、先触れを出してからの方がいいと考えたのだ。
とにかく、スゴッテ男爵領へ行く最大の目標は、男爵領に自生しているエゴイソウを採取することなのだ。
ほんのわずか触れただけでも、まるで大火傷を負ったようなケロイド状にしてしまうという草を。
そしてその爛れを塗っただけで跡かたなく消すという、軟膏の材料となるキイエルンソウも。
今の段階では、兄とキンバリー嬢のどちらにその草を使わせたた方が効果的なのか、それがわからない。
しかし、母の死の真相を知るための最終兵器になるかもしれないらしい。だからどんなに心苦しくても、この大芝居は必要なのだ。
それは私達家族のためだけではなく、スゴッテ男爵家のためでもあるのだから、と私は思ったのだった。
そして結果的に言えば、この兄の考えた計画が、我が家に奇跡を起こすことになったのだ。
*******
父と兄がゴッテ男爵へ向かってから三週間ほど経った。
「エゴイソウとキイエルンソウを入手した」
という、あまりにもう簡潔過ぎる便りが二週間前に届いたきり、何の連絡もなくて、さすがに不安になってきた。
ルシアン様が騎士団の護衛騎士様を三人も付けて下さったので、強盗や暴漢に襲われたということはないと思うのだけれど。
まさかスゴッテ男爵家に軟禁でもされていたらどうしよう。死んだことになっている私がのこのこ出向くわけにもいかないし。
「カイルに様子を見に行ってもらいましょう」
居ても立っても居られなくなって落ち着かなくなった私に、スレッタ様がそう言って下さった日に、ようやく二通目の便りが届いた。
しかしそれを読んだ私は思わずかっとなってしまった。
なんとそこには「ナンシーの部屋の換気と掃除を頼む」とだけ書かれてあったのだから。
「わざわざこんなものを書いて寄越さなくても、定期的にちゃんとやっているわ。ルシアン様からだって聞いたでしょうに」
昨日だって私は、母の部屋の片付けをしたのだ。
そう。それまで気付いていなかった、クローゼットの天井に付いていた扉を開けて、目の前に広がっていたあの屋根裏部屋の中まで。
私は一人でプンプンと腹を立てながら、母の部屋の中に入り、掃き出し窓と出窓を開けた。
冷たくも爽やかな風がサーッと吹き込んできたので、私は思い切り深呼吸をした。
その時、サクッサクッと霜を踏むような音がした。
「スレッタ様?」
私は庭の方へ顔だけ向けて絶句した。何故なら、そこには知らない女性が立っていたからだ。
いいえ、正確に言えば知らないけれど、かつてこの世でもっとも大好きだった人にとてもよく似ている女性が立っていたのだ。
幽霊? それとも私の幻覚?
どちらでもいいわ。だってもう一度会いたいとずっと願っていたんですもの。
「お母様!」
私はそう呼び掛けるとその人に抱き着いた。
すると、なんとその人は、私をギュッと強く抱き締め返して、母とよく似た優しい声で
「ただいま、ディアナ、私の愛しい娘。帰って来るのが遅くなってごめんなさいね」
と言ったのだった。




