第62章 完璧な演技
精鋭部隊によって秘密裏に拘束された元マクロミル伯爵は、王城の地下の奥深くの極秘の牢獄に収容された。
光が一切入らず、明かりがなければ何も見えない。しかも絶えず黴臭さとは別の醜悪な臭いが漂う場所だ。
これまでどんな極悪非道な行いをしてきた者でも、数日で耐えられなくなって悲鳴を上げる不気味さで満ち溢れていた。
慣れ親しんできた臭いであろうに、なぜそうも怯えるのかわからない。地下へと続く門の番人が皮肉交じりに笑っていた。
主犯の男が逮捕されたという報告を受けて、クロフォード第三王子はすぐさま各辺境伯に通達を出し、国境の閉鎖を命じた。
そして、今回の作戦の総指揮は第三騎士団団長のビクター=マッケイン伯爵に任せると宣言した。
マッケイン団長は、告発者アデランの情報を元に素早く討伐計画を立てると、すぐさま命令を下した。
その指示を受けて、第一と第二騎士団の団長も速やかに行動を起こした。
決行は五日後だ。その日に年に一度の幹部の会合があるらしい。
それまでに配置を整えなければならない。同時刻に一斉に現場に踏み込まなければ逃げられてしまう恐れがあるからだ。取りこぼしだけは絶対に避けなければならない。
全員が緊張感と高揚感というその相反する感情を必死に押さ込みながらも、暁の中を勢いよく城から出て行った。
それを見送りながら、私はカイルに例の作戦を実行するように合図を送った。
そしてその日の昼過ぎ、ロンバード子爵家に異変があった。
いつものように図書館へ出かけていたディアナが、見知らぬ令嬢に支えられて馬車で帰宅したからだ。
彼女は図書館へ向かう途中で突然気分が悪くなって通りに蹲った所に遭遇したので、自分の馬車に乗せてきたとそのご令嬢は語ったという。
しかも、もしかしたら伝染病かもしれないから、ガードしていたファスト卿にも近寄らせなかったとランメル夫妻に言ったという。
それなら、なおさら見知らぬご令嬢に面倒をかけるわけにはいかないと言うと、彼女は眉毛を下げて諦めの境地という表情でこう言ったらしい。
「今さら遅いですわ。助け起こした時に酷く咳込まれたので。
これ以上感染を広げないためにも、なるべく接触者は増やさない方が賢明だと思います。
早くお医者様を呼んでください。感染症の恐れがあることもきちと説明しておいてくださいね。対策法も指示してもらえるでしょうから」
彼女はヴァイオレット=モラネスという名の男爵令嬢で、一応医学の心得があるらしい。
「私、ディアナさんとは以前から親しくさせて頂いておりますの。
ですから私が側にいれば彼女も少しは心強いと思いますのよ」
「もしかして、貴女様は「スミレ嬢」でいらっしゃいますか?」
レンネさんはディアナ嬢からスレッタの話を聞いていた。紫色のドレスを着た素敵なご令嬢と、彼女の騎士様に親しくしてもらえていると。
友人のいなかった彼女が、贈り物をしたい人ができたと、嬉々として手作りをしていたことを思い出したようだった。
目の前の女性を観察すると、濃い紫色のワンピースを着ている。間違いないわと彼女は思ったらしい。
「ええ。そう陰で呼ばれているみたいですね」
「それではもしやディアナ様の素性を……」
「もちろん存じておりますわ。メイド見習いなどではなくて、こちらの子爵家のご令嬢ですよね」
スレッタがそう返事をしたことで、レンネさんはホッとしたらしい。
だだし、彼女が以前ジルスチュアート公爵家から派遣されてきたスレッタだとは気付かなかったようだ。
そりゃあそうだ。キリリッとしてできる女の見本みたいな普段のスレッタと、庇護欲を誘う儚げな「スミレ嬢」ではまるで別人だ。
それからすぐに、ランディーさんがかかりつけ医と王城にいる主とその嫡男に連絡するために屋敷を出て行ったそうだ。
いつもはテキパキと仕事をこなすレンネさんだったが、大切なお嬢様が化粧による演技ではなく本当衰弱しきった顔を見て、ショックを受けてオロオロしていたという。
ただし部屋の中からスミレ嬢に指示を与えられ、屋敷の中と外を駆けずり回されたらしい。
そして彼女が離れている僅かな隙に、ファスト卿達が例の身代わり人形をディアナ嬢の部屋に持ち込んだようだ。
ディアナ嬢は軍部の医局から手渡されて飲んだ薬の影響で、発熱して体全体がふらつき、頭がボーッとしいていたそうだ。
それでも、その人形と対面した彼女はやはりかなり大きな衝撃を受けたらしく、気を失いかけたらしい。
間もなく彼女は十五歳の誕生日を迎える。そうすれば社会的には彼女は成人と見なされる。
とはいえ、それは法律上のことで、まだまだうら若き少女なのだからそれも当然だったろう。
それでもディアナはそこで歯を食いしばって踏ん張ったらしい。
スレッタと共に自らその人形に自分のナイトドレスを着せ、髪を整えてから帽子を被せ、最後に軽く化粧まで施したというのだから。
「ディアナ嬢のあの精神力には本当に驚きました。生半可な気持ちであの作戦を言い出したのではないのだと、改めて思い知らされました。
正しくルシアンに相応しいご令嬢だと再認識致しました」
後にスレッタはそう言っていた。
ロンバード子爵家の主治医であるホーランから、今隣国で流行っている流行病に違いないと診断されたディアナ嬢とスレッタは、そのまま部屋に隔離された。
そして他の人間はその部屋に近付くことを禁止された。
そのホーラン医師は、子爵の依頼という名の命令にも素直に応じてくれた、いわゆるこちらの協力者だった。
何故こんな茶番に付き合ってくれたのか。
それは、ロンバード子爵夫人を病死と診断してしまったことに、彼が長年疑念と後悔の念を抱いていたからだ。
彼はそれらを払拭するために、法医学という外国の学問を学んだのだ。
そして今では、その分野の第一人者の地位にまで上り詰めていた。
そのため数年前から彼は、軍部の医局から、死因の特定をするために検死を依頼されるようになっていた。
今回も軍から白羽の矢を立てられたのだ。しかも、それがなんと、彼が主治医を努めているロンバード子爵家だったというわけだ。
その事情を説明されると、当然彼は即座にその依頼を受け入れたのだ。
やはり自分は誤診をしていた。それを確認したことで、申し訳さと共にようやく決着がついて、彼も気持ち的に楽になったと語っていたという。
これでようやく心から謝罪ができる。これが償いになるのなら喜んで協力すると。
もちろん子爵やフィリップ君からは謝罪など必要ないと言われたらしいが。
ホーラン医師はその役割を完璧にこなした。
必死に手を尽くして治療をしたにも関わらず、ディアナ嬢の状態が徐々に悪化していく、その様を見事に演じきったのだ。
もちろん、子爵とフィリップ君もそれに合わせて狼狽え、絶望し、泣き叫ぶ演技をしていたらしい。
もっともそれは演技ではなく、脳内でディアナ嬢が苦しんでいる様を思い描いていたようなので、自然の反応だったようだが。
実際にディアナ嬢の呻き声は聞こえていたようだし。
そして体調を崩してそのわずか二日後にディアナ嬢は亡くなった。
青白い顔色にこけた頬、そして落ちくぼんだ目。
いかにも苦しみ続けた後に力尽きて亡くなった感が、数メートル離れた場所からでも見て取れたという。
ずっとディアナ嬢に付き添い、一人で最期を看取ってくれた男爵令嬢は、すぐさま軍部の医局に属する騎士に連行されて行った。
そしてディアナ嬢の亡骸もその後担架に乗せられて、屋敷から運び出され、教会へと運ばれた。
ロンバード子爵親子とランメル夫妻は号泣しながら、その担架に追い縋ろうとしたが
「お気持ちお察ししますが、感染を広げるような行為はお控えください」
と、騎士達に羽交い絞めにされてしまったという。
しかも彼らにも消毒が必要だからと、白い粉を頭から浴びせられたらしい。もちろん広い屋敷の中も全部。
ファスト卿からその報告を受けた私は、正直そこまでやるか!と思った。
しかし、ランメル夫妻を早くロンバード子爵家から追い出すためには致し方無いと、子爵自ら申し出たことらしい。
そして彼の思惑通りに、ディアナ嬢が亡くなった三日後に行われた葬儀の後、夫妻はその足でスゴッテ領へ向かったという。
あらかじめ準備を整えておいたのだろう。
ランメル夫妻はロンバード子爵が雇っていた使用人だ。ディアナ嬢が亡くなったからといって本来なら辞める必要はない。
というより、むしろ娘を亡くして悲しんでいる主を支えるべきだろう。妻ともう一人の娘もいない状態なのだから。
しかし思った通り、彼らにとっての主はスゴッテ男爵家の人間だったのだろう。
そしてその後。
ファスト卿の報告によると、ロンバード子爵は、ディアナという名の若いメイドと、スレッタという侍女を雇い入れたらしい。




