ヴルクラッド VS レリウリウス ③
「君さ、本当に炎が好きだよね?紡ぐ魔術も、使役する悪魔も、果ては進化した種族の属性すらも、ぜーんぶ炎に関連してるんだもん」
目前まで迫る蒼炎龍の突進。レリウリウスは楽しげにステップを踏んで距離を取りながら、自身の右手に小さな、本当に小さな火を灯した。
「だったらさ──炎には炎で応じる方が、ずっと面白いと思わない?」
レリウリウスがクスリと笑った瞬間、その手元に灯った火が、爆発的な熱量を内包しながら少し大きめの球体へと膨れ上がる。
それは魔力ではない。世界そのものが悲鳴を上げるような、次元の異なる絶対的な「熱」の概念だった。
突撃してきた蒼炎龍がその球体へと猛然と突っ込んだ。
直後、轟音すら鳴らなかった。
「なっ……っ!?」
ヴルクラッドが驚愕に目を剥く。
ぶつかり合った瞬間、一国を滅ぼすはずの第七階梯魔法──焦天滅炎が、レリウリウスの放った炎の圧倒的な質量と威力を前に、ただの霧となって霧散したのだ。
「バカな……、そんな、バカなことがッ……!!あってたまるかよ……ッ!!」
自身の全力が否定された魔王は、膝から崩れ落ちそうなほど呆然と立ち尽くす。
そんなヴルクラッドに向けて、レリウリウスは楽しげに鼻歌でも歌いそうな足取りで、ゆっくりと歩み寄っていく。
「ねぇ知ってる?むかーしむかし、まだ世界が生まれたばかりの頃。紅炎の姉神と蒼炎の妹神っていう神様がいたんだって。とっても仲が悪かった二柱の神様は、ある日大喧嘩を始めちゃって、世界を丸ごと焼き尽くしかけたんだってさ」
「あァ……?!なにを言い出すかと思えば……、おとぎ話かよ……ッ!」
血走った目を向け、血が滲むほど歯の根を強く噛み締めるヴルクラッド。
しかし、レリウリウスは魔王の言葉など気にも留めず、トントン、とリズムを刻むように言葉を続けた。
「世界が本当に滅びかけちゃう一歩手前で、維持の神ウォーシェルが二柱を仲裁して、ようやく争いは止まりましたとさ。めでたしめでたし。──ってね。でも、その時の残火は今もなお世界のどこかで、誰にも知られず燻り続けているんだってさ」
「だから……何がいいてェんだてめェは……ッ!!」
理解不能な存在への恐怖が、魔王の叫びとなって森に響く。
レリウリウスは歩みを止め、悪魔的な微笑みを浮かべた。
「もし、その世界を滅ぼしかけた残火が『スキル』として顕現してると言ったら──君はどうする?」
「はァ……?なにを言って──」
ヴルクラッドが言い終えるより早く、レリウリウスは自身の右手に宿る炎の出力を、さらに一段階解放した。
ただの球体だった炎が、ドロリとした黄金の輝きを放ち、周囲の空間そのものをメキメキと軋ませていく。
その光景を前に、魔王の脳裏にはかつてない最悪の確信がよぎる。
「まさか……」
「【残火の虞】」
顕現すると同時に、空間そのものが彼女の意志に呼応するように鳴動し、ドロリとした黄金の神炎が猛々しく狂い踊る。
「さっきは教えないって言ったけど、一つだけ、【天再葬蘇】の真の能力を教えてあげるね」
レリウリウスは燃え盛る黄金の火の粉を指先で弄びながら、心底楽しそうな瞳で魔王を見下ろした。
「これは蘇生者のスキルをすべて行使できるの。それも今代の蘇生者のみではなく、歴代の所有者たちが蘇生した者のスキルでさえもね」
その言葉に、魔王の怒気が膨れ上がる。
「さっきからうるっせェなテメェはッ!!……ンなスキルの能書きなんざ知るか!!」
ヴルクラッドは血反吐をぶちまけながら吠えた。
「理屈なんざどうでもいい!!神だろうがなんだろうが、俺の前に立つ奴は全員ブチ殺すだけだッ!!」
魔王の意地と狂気が、彼の肉体を無理やり突き動かす。すでに全魔力を使い果たし、フレム=シーラも弱体化している。だが、ヴルクラッドは残された最後の力で自身の愛剣──灼滅剣フレイゼル──を引き抜き、地面を爆砕しながらレリウリウスへと突撃した。
迫り来る黄金の神炎を、剣の技量だけで強引に叩き斬り、切り伏せていく。
流石は最上位個体の灼魔族と言うべきか。世界最高峰の炎熱耐性を誇る彼の肉体は、神の炎に焼かれ、肌を炭化させながらも致命傷だけは避けてレリウリウスの懐へと肉薄する。
「はぁ、はぁっ……! てめェのちっぽけな炎なんざ……この俺にはどうってことねェんだよッ!!」
満身創痍の魔王が放つ、意地の強がり。
それに対し、レリウリウスは「うふふ」と可憐に笑った。迫る刃をほんの僅かな身のこなしでひらりと躱す。
「まぁ良い暇つぶしになったわ。彼の意識ももうじき戻りそうだし、残念だけど、お遊びはここまでよ」
言うが否や、彼女の周囲で燻っていた黄金の炎が爆発的に膨れ上がった。
「特別に見せてあげるよ。──ユニークスキルにのみ許された、スキルの進化ってやつを」
膨張していく光。それは炎などという生温いものではない。見た者すべてを平伏させる、歴史の黎明期に世界を滅ぼしかけた神の災いそのものだった。
その異様さに、ヴルクラッドは初めて明確な恐怖を実感する。本能的な予感に突き動かされ、魔王は恥も外聞もなくレリウリウスに背を向けて全力で後方へ逃げ出そうとした。
──だが。
「【抑縛眼】」
レリウリウスが冷徹に呟いた瞬間、ヴルクラッドの巨体が空中へ飛び出す直前でガチリと静止した。
不可視の巨大な質量が、全方位から彼を押し潰し、地面へと強引に縛り付けている。指一本すら動かせない。
「誰が逃げていいって言ったかなー?君に選択肢なんて、最初から無いんだよ?」
まさに弱肉強食を体現するような光景だった。まるで獲物を狩るように楽しげなレリウリウスは、怪しげな紋様を浮かべた右目で魔王を見つめている。
「て……てんめェえええええええエエッ!!」
ヴルクラッドの悲痛な絶叫が森に木霊する。
その主の危機と憎しみの意思に反応し、魔力が枯渇しかけていたフレム=シーラが最後の力を振り絞って顕現した。
「フレム=シーラァァア!!!」
拘束された体を引きちぎらんばかりに、ヴルクラッドは必死に右腕を伸ばし、目の前に現れた炎の悪魔へと触れる。
ジュッ、と生肉が爆ぜる不快な音とともにヴルクラッドの指先が激しく焼けるが、そんな激痛など今の彼には蚊ほども感じられない。狂乱のままに、彼は自身のユニークスキル、【憤怒】を発動した。
──触れた対象の戦闘能力を、理性を代償として爆発的に跳ね上げる能力。
まさにトマソンやジルベルトを狂わせ、一連の陰惨な事件を引き起こす原因となった、あの忌むべき凶悪なスキルだ。
その呪いとも言える絶大な力を注ぎ込まれたフレム=シーラは、全身を構成する赤き劫火を、禍々しく燃え盛る青き『永炎』へと昇格させ、この世のものとは思えないほどのおぞましい咆哮を上げた。
「ギィェェェェェ!!!」
「コイツを殺せェェッ……!!」
主の爆発する怒りと呼応し、フレム=シーラの体はさらに膨れ上がり、猛烈に燃え盛る。その熱量は先ほどの『焦炎天竜』に匹敵するか、あるいはそれ以上か。
元より悪魔族の中でも更に上位に位置する魔候族だ。彼の悪魔は【憤怒】のブーストによって生物としてのステージを強制的に一段階引き上げ、手の付けられない災厄の如き存在へと変貌を遂げていた。
周囲の空間を焼き溶かすほどの、文字通り桁違いの魔力体を身に纏い、炎の悪魔は全身全霊をかけてレリウリウスへと突っ込む。
──しかし、
「無駄だよ」
無慈悲な呟き。
既に膨張の極みに達しつつある【残火の虞】の熱量に触れた瞬間、炎の悪魔はその身を構成する魔力ごと、文字通り跡形もなく消え去った。
「ばかな……、そんな……っ」
自身の半身とも言える悪魔の無惨な消滅に、ヴルクラッドの心が完全にへし折れる。
その絶望に歪む表情を見て、レリウリウスは心底愉快そうに、ゾクリとするほど妖艶に口角を釣り上げた。
「あははははっ!!」
乾いた、しかし美しい笑い声を響かせる。その瞳は冷酷でありながらも、どこか壊れ物を愛でるような名残惜しさに満ちていた。
「もっと足掻いてよ」
彼女の眼前に浮かぶ炎が、さらに凶悪に燃え盛る。
「もっと泣き叫んでよ」
それは周囲の酸素と大気を貪りながら、徐々に大きさを増して上昇していき──。
「もっと喚いて、乞いて、縋って、跪きながら…………」
──やがて周囲の色を変えてしまうほどの巨大な太陽となった。
「自分が焼かれる姿をその目に焼き付けなさい!」
眼上の炎球を見上げ、ヴルクラッドは血の涙を流しながら歯の根を鳴らした。
「クソがぁぁぁぁァァアア……ッ!!」
それは、かつてカインとの戦闘中に、彼自身がカインに向けて放った嘲笑と非道の言葉。
因果は巡り、全く同じ絶望が彼自身の頭上から突きつけられている。
ジリジリと、世界を灼く赤い光の熱量がさらに跳ね上がった。
「ふふ、茶番は終わり。──またね」
レリウリウスが不敵な笑みを浮かべた瞬間、彼女の頭上で炎が恐ろしい速度で渦を巻いた。
これこそが神の炎。紅炎を司る姉神・アルシアと、蒼炎を司る妹神・ルクシア。決して交わるはずのなかった二つの神炎を組み合わせ、黙示録の炎にすら匹敵する破壊力を得た絶対なる終焔。
レリウリウスは、その輝きの中で静かに『進化』のための詠唱を開始した──。
────炎よ、美しき魂の揺らめきよ
────炎よ、我が願いを糧とせよ
────炎よ、その尽くを焼き尽くせ
────灼熱を、蒼光を、全てを赫焉なる炎焔に乗せて
────顕現せよ
【紅蓮蒼禍の終焔】
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