ヴルクラッド VS レリウリウス ①
森の一角が、深い静寂に沈んでいた。
ただ荒れ果てた大地だけが、そこで繰り広げられた理不尽な暴力を物語っている。
青白い炎──永遠に燃え続ける炎怒の炎が、一人の少年の肉体を喰らい尽くそうと猛烈に渦巻いていた。
ヴルクラッドはその背に一瞥もくれず、フレム=シーラを元の世界に帰還させると退屈そうな吐息と共に背を向けた。
──雑魚の残滓など、もはや見るに値しない。
だが、その瞬間だった。
背後でパチリと小さく音がした。
耳を澄ますまでもなかった。あれほどまでに猛り狂っていた青白い炎が、まるで水面に落とした墨が消えるかのように、跡形もなく消滅したのだ。
「……あ?」
ヴルクラッドが驚きに目を見開き、慌てて振り返る。永遠に燃え続けるはずの炎が、まるで最初から存在しなかったかのように綺麗さっぱり消え去っていたのだ。
その炎の檻の真ん中で、少年が不気味なほど滑らかに立ち上がる。
異変は、それだけでは終わらなかった。
カインの短かった黒髪がサラサラと波打つように伸び、淡い桃色の半長髪へと変貌していく。ゆっくりと持ち上げられた瞼の奥、絶望に染まっていた茶色の瞳は跡形もなく消え去り、神秘的な桃色の輝きがヴルクラッドを冷徹に捉えていた。
カインの肉体を借りて現世に降り立った存在──世界意思は自分の新しい体を確認するように両手をグーパーさせると、ふふっ、と楽しげに微笑んだ。
「こんにちわ。憤怒の魔王ヴルクラッド──」
気持ちよさそうに背伸びをしながら、その存在は可憐に、そしてどこか楽しげに小首を傾げた。
直前までカインの肉体を苛んでいたはずの激痛や疲労など、初めから無かったかのような軽やかな動作。唯一、焼け焦げたボロボロのローブだけが先程までの悲惨な現場を物語っている。
「──そして、さようなら」
朗らかな雰囲気とは打って変わって、レリウリウスは悪戯っぽく微笑むとパチンッと小気味よく指を鳴らした。
刹那、空間の歪みすら置き去りにするほどの速さをもつ不可視の烈風がヴルクラッドを襲う。
「…………っ!?」
魔王としての直感が限界を超えて警鐘を鳴らし、ヴルクラッドはなりふり構わずその場に身を伏せた。
直後、彼がさっきまでいた空間を、目に見えない鋭利な風の刃が通り抜ける。凄まじい速度で放たれたそれは、背後に並んでいた頑丈な大木たちを、まるで紙でも断つかのように一瞬で切り裂いていった。
間一髪でそれを避けたヴルクラッドは地面を転がりながら起き上がり、頬に冷や汗をにじませる。
ただ指を鳴らしただけ。詠唱も、魔力を練り上げた気配すらも無かった。
目の前の少年のあまりの変わりように首筋が総毛立つ。
「おいおい、随分な挨拶じゃねェか。つーか……誰だおめェ」
燃え盛る剣を構え直しながら、ヴルクラッドは鋭い視線で桃色の髪を揺らす謎の存在を睨みつけた。
「あはっ、別に名乗るほどの者ではないわ」
レリウリウスはおどけたように肩をすくめ、楽しそうに笑ってみせた。その間も彼女からは休むことなく魔法が放たれ、ヴルクラッドに回避と防御を強制し続ける。
「ちっ、何者だか知らねェが、邪魔するなら殺すまでだ!来い!『フレム=シーラ』!」
ヴルクラッドが叫ぶと、業火を纏う炎怒の悪魔が再びその姿を現す。悪魔は主の守護者として、飛来する魔法の刃や弾丸をその身の熱量で次々と焼き払い、かき消していった。
戦況が拮抗した──。そうヴルクラッドが確信しかけたのも束の間。
「血衝弾」
恐ろしい速度で射出されたそれは、炎怒の熱をものともせず、果てはフレム=シーラの炎体を容易く貫通してヴルクラッドへと襲いかかる。
「なっ……!?バカなッ……!」
ヴルクラッドは持ち前の身体能力を最大限に使い、間一髪のところでそれを回避する。
魔力体であるフレム=シーラに通常の物理攻撃は効かない。だが、彼が放ったその一撃は炎怒の熱量に蒸発させられるどころか逆にその身を構成する魔力ごと消滅させ、致命的な風穴を穿ち、ヴルクラッドに決定的な死の予感を突きつけたのだ。
「うっ、流石に人間の血量でこのスキルはダメかぁ……」
そんな恐ろしいものを放った当の本人は額に手を当て、少しだけ気分が悪そうに眉をひそめている。
一瞬だが、絶え間なかった攻撃の手が止まった。
その隙をヴルクラッドは見逃さない。中距離戦において圧倒的に分が悪いと本能で察した彼は、即座に地面を蹴り、お互いの距離をゼロにするべく肉薄する。
「おめェが何者だろうが、懐に入り込めば俺の勝ちだッ!」
燃え盛る剣を大上段に構え、ヴルクラッドは残された全ての魔力を乗せてカインの脳天へと振り下ろした。
──ガキィンッ!!
まるで巨岩を叩き斬ったかのような硬質な衝撃が、剣の柄を通じてヴルクラッドの腕に跳ね返る。およそ人間の肉体から発せられるはずのない破砕音。よく見ると、淡い光を放つ半透明の鱗のような膜が、カインの肌を完璧に覆っていた。
「【覇龍】の龍殼だよ。──惜しかったね?」
言うが否や、レリウリウスは自身の小さな拳にも同じような淡い鱗を宿らせる。そして、まだ驚愕に目を見開いたままのヴルクラッドの腹部へと、容赦なくその拳を突き入れた。
空気が歪む。大砲の直撃すら生ぬるい、文字通り空間を破裂させるような衝撃波がヴルクラッドの背中へと突き抜ける。内臓がひっくり返るような全方位からの圧壊感。魔王の強靭な肉体をもってしても耐えきれず、ヴルクラッドの口から鮮血が激しく飛び散った。
「がはっ……!?」
視界が明滅するほどの衝撃。吹き飛ばされたヴルクラッドの巨体は、背後にあった頑丈な大木を何本もなぎ倒し、へし折りながら、ようやくその勢いを止めた。
ずるずると地面に崩れ落ち、あまりの激痛に自身の腹を抱えながら魔王は血反吐を吐き捨てる。
「バカな……てめェ、人間じゃねェな……ッ!!」
「あははっ、心外だなぁ。これは私の力じゃなくて、【天再葬蘇】の権能の一つだよ」
彼の元まで歩み寄ったレリウリウスはボロボロの衣服についた泥をパパッと払うと、いたずらが成功した子供のようにくすくすと笑った。
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