冬の煮こごりさ、春の煮付けさ③
次は、焼き物である。
鯛はまた、どんな風に焼いても美味しい。
基本は塩焼きだけど、わたしはバターソテーが好き。上等のバターを溶かして、ほんのり鯛が白く初々しい身を膨らませたくらいがいい。
刺身で食べられるのを焼いているのだ。身が固く縮こまるくらい炙っては台無しだ。
「これは香ばしゅうござるな」
虎ちゃんは、大喜びだ。武家の大将とは言え、こんな瑞々しい焼き物には滅多に出会えない。
『めで鯛』
とか言って、出陣の食膳には必ずつけられるが、実は儀式用であり、虎ちゃん自身は保存用の塩ものの焼き物に、決められた作法で、形だけ箸をつけるくらいなのだ。
塩ものの鯛は、
「若狭の甘鯛のひと塩もの」
などと言って、古来から関西料理でも珍重する名物食材なのだが、わたしは生をソテーして食べたい方だ。
例えばフランス料理では白身魚はよく「ポアレ」にすると言う。
フライパンで表面をパリパリにして肉汁を閉じ込め、肉が焼き締まらないうちに供するのがポアレ。
オーブンで芯まで熱を通すのは『ロティ』で、これは牛や豚など獣肉の塊に向く。
『エチュベ』は、香りづけの油と、香味野菜などの水分で、殻つきの海老などを蒸し焼きにする技法。
瑞々しい鮮度と肉質が大事な白身魚や半生でも食べられる肉は、ポアレにするのが、いいようだ。
白身は癖のなさからか鱸が用いられることが多いが鯛なら真鯛がいい。
皮つきをソテーしたいのは、今日は虎ちゃんがお客さんだから、と言うのもある。
水気をしっかり拭き取って、オリーブ油を馴染ませると、口に触る鯛の鱗もパリパリに仕上がって、彩りになる。
「なんと!これは香ばしゅうござるな!」
フランス風のポアレなど食べたことない虎ちゃんは、大興奮だ。
また、海外の方よりも、武家の虎ちゃんに嬉しいのは、熱を加えた鯛の鱗が、赤く仕上がることだ。
もしかして初めて見たのか、虎ちゃんが歓喜の声を上げる。
「鯛の焼き皮が!まるで赤糸縅しの具足でござるな!」
日本の武士がやたら、鯛を尊ぶのは、鯛を皮ごと塩焼きにしたからだと思う。
鱗ごと、ほかほか「ポアレ」した鯛は、赤糸縅の大具足をまとった、源平以来の中世武者の晴れ姿にそっくりなのだ。
「なんたる晴れがましきか。ほんのり色づいた焼き鯛の御姿っ!この焼き方っ、何卒、我が家の黒姫にも伝授お願いいたしとうございまするっ!」
「いやいや、そんな大袈裟なもんじゃないだろ」
たぶん、黒姫さんは知ってるけど、武家のしきたりがある。実のところあんまし、虎ちゃんに腕前を披露する機会がないんだろう。
「まー、今日は、焼きたてを食べていきなよ」
ぽん、とフライパンから、料理皿に供する。バターをまとった白身は、余熱でふんわり膨らんで、春先に融けた雪みたいに透き通って瑞々しい。
フレンチの『ポアレ』には、生クリームのソースをかけるのが一般的だ。
でもどうせ鯛じたいが美味しいし、手間暇かけたソースも作るの面倒なので、わたしは香草でほんのり香りづけをしてある。
ほんのりきつね色の焼き色のついた鯛の白身に添えられているのは、ディルと言う香草だ。
日本でも鴨などの野鳥の匂い消しに使う芹科であると言うこの香草。
塩で焼かれた鯛の脂を爽やかな苦味でほどよく引き締め、柑橘類に似たフレイバーを加えて、食欲をそそる。
「ちかげどのおぉ!これはぁっ!……美味しすぎるっ、焼けた白身の香りが高くてっ、鯛に沁みた塩が、品のある鯛の脂が、ほどよい潮の旨味でぇ、舌に沁みるうっ!これは、黒姫じゃ無理ぃ!黒姫にはあぁ!頼めないかもおおおっ!」
「白ワイン飲み過ぎてない虎ちゃん?」
だんだんNTRじみてきて、あとの黒姫のリアクションが怖いが、虎ちゃん自身はめっちゃ喜んでくれたようだ。
ちなみに鯛の香草ポアレには、やっぱり白ワインが一番だ。
地味で大人しいが、果実の甘味が誠実に酒に醸した黒猫の絵のついた深い青のボトルのドイツワインが、わたしの好みである。
虎ちゃんは、飲み慣れないはずの白ワインをすっかり開けたらぐっすりと、眠りこんでしまった。




