ゆらゆらノイズ
「結局、その電車内で2人とも爆睡してしまって。乗務員に起こされたときには隣の県。だから、海には行けなかったんですけど、それでも二人で向こうの駅弁食べたり、近くにあった大きな神社なんかにお参りをしたりして。こうやって僕らの小さな逃避行は終わったんです」
「いい青春チックなオチじゃないかい。俺は君が羨ましいよ」
浅く笑う彼は、それでも何処か懐かしそうな顔をした気がした。
「えぇ。ここまでは僕にとっても彼女にとっても、ただの良い休日だったんですけど、実はまだここからオチるんですよ。まぁ、聞いてください」
「へぇ、何があったんだい」
「そうやって、僕らは遊んで。この街に僕らが帰ってきたのは夕方でした。ゴールデンウィーク4日目の夕方。つまり彼女が家出をしてから4日目」
「縒木の家について行ったんですよ。散々迷惑かけた親御さんに、彼女と一緒に謝るために」
「あぁ、だから」
「そうです」
「その傷なんだね」
「右ストレートでしたよ。出会い頭で、逞しいお母さんでした」
「まぁ、でも。その勘違いは至極当然だとは思うけどね。上の娘ががそうだったんだから。今度は下の娘が急に家出して、帰ってきたと思えば男を連れて来てる。なんて」
したり顔を作る。いつもの、余計な事を言う時に作る顔だった。
「それ、駆け落ちの予告ホームランに見えるでしょ」
そう言って訝屋は面白そうに笑う。僕も同意して、追って笑いを重ねる。
僕は縒木宅での一悶着を終わらせ、親子の和解を見届け、自宅に帰っていた。
すっかり日も暮れたその道中、ばったり訝屋に出会う。曰く、先輩から逃げ逢住公民館に帰れなくなったらしい。僕らはあのいつもの公園で、ベンチに座りながら話していた。
多分僕は、こうやってこの件を話し、専門家たる訝屋から解決の太鼓判を貰い安心したかった。
「まぁ、いい解決だったんじゃない。アリクイ君は不格好なりに彼女に向き合って、その結果が今回の変え首の解決し見事救ったわけだ。これは青春だね」
「……救ったなんて、そんな事大した事は何もしてないですよ。縒木が、自分で助けを求めたんです。僕はたまたま、そこに居ただけで」
「へぇ」
少し可笑しそうに口角を上げる。
「生意気言うようになったじゃん」
嬉しそうで、それでもその目は笑っていなかった。
「でも、偉かったと思うよ。特にこれだけ彼女が誘っても違和感だけを頼りに、頑なに手を出さ無かったこと。性欲のままに押し倒さなかったこと。流石だよチキン君」
「それ、褒めてないでしょ」
「まぁね、でもファインプレーだった事は確かだよ。そのおかげで、君達はまだ友達の枠組みで支え合っていけるんだろ」
「そりゃ、明らかに普段の彼女じゃありませんでしたから。きっと彼女はお姉さんの駆け落ちを見て、それに憧れてただけなんですよ。僕である必要はなかった」
「へぇ、誰でもよかったと思うかい?」
「……ある程度親しい人間であれば」
「条件でいえばそうだ、でも実際の選択肢としてはどうだ?」
「まぁ、僕しか居なかったと」
「そ、君じゃなきゃダメだったんだよ。別に理解を急かす訳じゃないけどさ。それくらいはわかってあげててもいいと思うけどね」
「はぁ……」
曖昧に返事をする。まるで僕の中を覗いてきたみたいな言い方をする。そのくせ決定的な事は言わないから、余計に質が悪かった。
それでも、彼が僕よりこの事態について理解してることは、それを見れば明白だった。
訝屋の足元に乱雑に置かれた、土を被って朽ちかけた縄。彼の手は汚れていた。それが何なのかは、大体検討が着いた。
「これが〈変え首〉の正体だよ」
訝屋が視線を縄へ落とす。感情がこもらない、冷たい声だった。軽く踏みつける。
「もしかして、縒木が解放されたのって」
「いや、それはアリクイ君のおかげ。こっちは保険かな。回収ついでだけど」
「君がしくじってたら、コイツを燃やすしか無くなってた。だから、まぁ助かったよ」
変え首を燃やす。つまり、首を絞めたもう1人の縒木を燃やしてしまう。軽口を叩いているようで、それでも怪異に対して訝屋は冷酷だった。
「……訝屋さんも、動いてくれてたんですね」
「そんな都合がいい解釈をしてると、後々足元掬われるよ。アリクイ君」
「もともとコイツは探してたんだよ。縒木ちゃんのお陰で活性化して見つけやすくなったから、助かった」
「仕事ですか」
「いや、ちょっとした仇かな」
その表情は笑っていなかった。
彼は夜道の向こうを眺める。その横顔は、古傷を庇っているようにも感じた。
仇、そう言った。
それ以上は、聞けなかった。
「アリクイ君」
「なんですか」
「その、見て見ぬふりをする所。君は、自分自身でどう思ってる?」
言葉が詰まった。
つついてしまえば、やぶ蛇かもしれない。
壊れてしまうかもしれない。そういうものを正面から見てしまうのは、怖かった。
「澪影 灯火、縒木 日陰、あと幼なじみちゃん。君は今まで沢山の見て見ぬふりをしてきた。今になって、ほじくり返して精算していってる」
「それは優しさのつもりかい?」
「……どうでしょう」
「煮え切らないね、自分のことだぜ」
「そうですね。……たぶん、これは優しさなんて高尚なものじゃくて」
「僕はただ臆病なだけなんだと思います」
「……臆病、ね」
そう呟いて、訝屋は夜空を見上げる。薄く雲がかかって星は見えなかった。
「でもまぁ」
「臆病なのは、自分の底を薄々理解できてる証拠だ。だから、それは案外丁度いいんだろうよ」
「そんなものなんですか」
「あぁ、大抵そこを見誤ったやつから取り返しがつかなくなるんだ。気をつけとけよ」
「君にひとつ聞きたい」
「はい」
「変え首がもし、止められなかったら。つまり、完全に彼女が生まれ変わってしまったら。それは元の彼女と同一人物だと思うかい?」
どちらも縒木 日陰である事には間違いなかった。彼女が否定した優等生が死んだとして、僕と学生生活を過ごした縒木が消えたとして。
それは、本当に彼女なのか。
「……僕は、それでも受け入れると思います」
「いい回答だ」
「でも、俺はね。思わない」
訝屋は即答した。その声は少し低く、冷めていた。
「テセウスの船って知ってるかい、アリクイ君。長い年月をかけて少しづつ置き換えられていく船が、最終的に名前だけが残って全て違うものへ置き換わってしまう。さて、それは元々あった船だと言えるのか」
「それは……名前が同じ別物だと思います」
「そ。俺もそう思う」
「でも、人は連続性で生きてます。だから、縒木は変わったって、きっと縒木なんですよ」
「なるほどね」
「じゃぁさ、その船と全く同じ工程で全く同じ材料で作った別の船は、その船と同一だと思うかい?」
「それは、同じ物じゃないんでしょうか。現実にもそういうものはいっぱいありますし」
「じゃぁ人はどう思う? 全く同じ外見で、全く同じ記憶を持って、全く同じことが出来る。そんな人間が自分以外に存在したら。君はソイツを自分だと思う?」
「それは……」
「君はソイツを、自分だと認めてやれるのかい」
言葉が出なかった。
どうしてか。
その問いは、ただの例え話には聞こえなかった。
まるで訝屋自身が、その答えを間違えたことがあるみたいに。
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