「最後に一番長生きした奴がーー」あの日、3人で交わしたとんでもない約束
このお話は、私が「小説の執筆」をはじめ、人生において様々な新しいことに挑戦するキッカケとなった、大切な思い出の記録です。
大人になると、新しい一歩を踏み出すのが少し怖くなることもあります。
けれど私には、今でも胸の中で燃え続けている、あの日交わした「とんでもない約束」があります。
かつて私に挑戦する勇気をくれた、世界で一番の親友との日々を、ここに書き残させてください。
親友ってなんだろう。
小さい頃からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染?
それとも、共に過ごした時間が長ければ長いほど、その絆は深くなるものなのだろうか。
私とキュウの出会いは、高校3年の文化祭の準備だった。
私は当時、ドラムの助っ人として自分のバンド以外に2つのステージを掛け持ちしており、キュウはそのうちの一つのバンドでベースを弾いている奴だった。
地元の吹奏楽部繋がりで、お互いの兄や先輩を通して顔くらいは知っていたが、深く関わったことはなかった。
けれど、いざ音を合わせてみると、こいつが驚くほど上手い。
そして、私のドラムとの相性が最高に良かった。
思わずステージの上でお互いに見合わせて、言葉もなく頷いてしまった。
高校時代は、私の部屋か、あるいは幼馴染の親父さんがバンド練習用に買ってくれた、畑の真ん中にあるプレハブに集まっては、よく一緒に音を鳴らしていた。
しかし、当時はそれっきりだった。
学祭が終わればあっという間に受験シーズンが来て、そのまま卒業。
お互いの近況も忘れた頃、進学後にキュウが地元に帰ってきていると聞いて、久しぶりに再会した。
そこには、ギターのミヤも一緒だった。
不思議なほど、何でも話せてしまう3人だった。
「釣り、してみたいよな」
そんな何気ない一言から、釣具屋で2人してルアー竿を買い、下手くそな釣りを始めた。
たまに地元に帰ってくるたび、私とキュウはよく2人で釣りに出かけた。
大抵、キュウの家に行くと寿司やピザなどのご馳走が並び、毎回お祭りのようだった。
ミヤは釣りはしないけれど、いつもそこに一緒にいた。
後からキュウに教えられたのだが、実はその頃、キュウのおじいちゃんが亡くなったばかりだった。
初初七日のバタバタしている時にも私は知らずに遊びに行ってしまっていたし、その後の四十九日や一回忌の法要でキュウが帰省するたびにも、タイミングよく釣りへと連れ出していた。
釣りが好きだった親戚のおじさん方は、嫌な顔一つせず、むしろオードブルのエビや食べ残したお刺身をみじん切りにしてくれた。
そこに、米農家であるキュウの家の米糠を混ぜ合わせ、みんなで特製のこませ(撒き餌)を作ってもらったりもした。
毎回、キュウの家でそんな風にガサゴソと釣りの準備をやっていたせいで、おじさんやおばさん、さらには集まっていた親戚の皆さんにまで、私はすっかり顔を覚えられていた。
今思えば、何も知らなかったとはいえ、とんでもないタイミングで、少し申し訳ないことをしたなと思うけれど、それが私たちの日常だった。
短大2年の秋、私の短大の学祭でバンド発表の募集があった。
キュウに連絡し、ミヤや他のメンバーを集めて、あの思い出のプレハブへと再び籠もった。
互いに遠方に進学して時間が合わせられなくて、学祭までに2回しか集まって練習できなかった。
そのドアの向こうには、学生バンドの常識を遥かに超越した、異次元の空間が広がっていた。
フロントに立つベースのキュウと、ギターのミヤの二人は、おそろしく上手かった。
キュウは、人差し指・中指に加えて薬指までをも動員する、超高度な「3フィンガー・ピッキング」を操り、Mr.BIGの『Colorado Bulldog』の怒涛のイントロを、信じられないほどの正確さで弾きこなす。
ミヤは、イングヴェイ・マルムスティーンの『Never Die』を完全コピーし、光速のスウィープをその指先に宿していた。
しかし、何より恐ろしいのは、その超絶技巧を二人が「完全に無表情」でやってのけることだった。
振り返れば高校の時もそうだった。
観客にはその涼しげな顔のせいで難易度が伝わらず、ライブが終わるといつも私のもとへ来て言った。
「ドラム、すごくがんばってて凄かったね!」と。
確かに、私はドラムセットの後ろでいつも一心不乱だった。
ただの均等な連打ではない、あの不規則に変速する地獄のようなキックのコンビネーション。
BPM150超の中、一番足がパンパンになる曲の終盤で、命を削るようにツインペダルを踏み鳴らしていた。
フロントの二人がどれだけ上手くても、私の足が1ミリでもヨレたら一瞬でアンサンブルが崩壊する極限の綱渡り。
私が汗だくで激しく叩き、フロントの二人は涼しい顔で異次元のフレーズを連発する。
その強烈な温度差が、私たちの日常だった。
織り成す音に興味を持ってくれる人は少なかったけれど、それでよかった。
私たちには、あのステージの上で交わされる、3人にしか分からない絶対的な絆があったから。
言葉にしなくても、私の変則的なフィルインを二人は涼しい顔で受け止め、瞬時にフレーズを編み出してグルーヴへと戻していく。
練習のたびに音だけで会話を重ねたそのスリルと安心感は、何物にも代えがたい快感だった。
休憩をしてる時、ミヤがアコギをポロローンと優しく弾き始め、『To Be With You』のイントロが耳に飛び込んできた。
私がそっとドラムの音を寄り添わせると、後からキュウが、1本のベースでボーカルの主旋律とコードのベースラインを同時に演奏しながら入ってきた。
誰も何も言っていないのに、音が自然と重なり、極上のセッションが始まる。
曲が終わり、美しい余韻がスタジオを満たした瞬間、私はあえて容赦なくぶち壊した。
「ダディブラ!」
普通なら笑って終わる無茶振りだ。
しかし、ミヤは間髪入れずにアコースティック版の『Daddy, Brother, Lover, Little Boy』の高速ストロークをブチ鳴らし、キュウも瞬時にアジャストした。
私もすぐさま、アコギの音を消さない絶妙なパワーバランスで、あの激しいリズムをハメにいく。
言葉を超えて、音が1秒でシンクロする。
それが私たちの誇りだった。
久しぶりに合わせてみても、やっぱり息がぴったりだ。
3人で目を合わせて、深く頷いた。
それまでずっと音楽をやってきたけれど、演奏していてここまでぴったりとピースがハマる感覚は、後にも先にもなかった。
思い出は尽きない。
冬に温泉へ行ったとき、運転が苦手なキュウは車を左に寄せすぎて、橋の欄干に積もった雪をドアミラーで除雪しながら走り、助手席の私は悲鳴を上げた。
鮭釣りに行ったときは、2人で真剣になりすぎて置きっぱなしの竿に魚がかかっていることに気づかず、隣の人が代わりに釣り上げてくれた。
「2人は釣れませんでした」というオチがついたその鮭は、私の家でちゃんちゃん焼きにして食べた。
食べる時には、やっぱりミヤがいる。
その帰り道、今度はキュウが居眠りをして車ごと草むらに突っ込んだ。
あの時は本当に怖かった。
ワカサギ釣りでは、「魚がいなくならないように静かに釣るんだよ」と隣の釣り人からアドバイス頂いた直後に、キュウは「スコップで雪を固めて椅子作っといた!」と大きな声で自慢してきた。
私は短大生、キュウは専門学校生。
卒業までの2年間、年に数度しか会えなかったけれど、私たちは驚くほど密度の濃い時間を過ごしていた。
お互いに社会人になり、ゴールデンウィークにまた3人で集まった。
慣れない仕事のしんどさから、お互いに愚痴をこぼし合う。
「あー、仕事しんどい、死にたい」
少し尖った、不器用な冗談の延長で、誰かが言った。
「もし死んだら、棺に何を入れてほしい?」
私は「ドラムのスティックがいい」と言い、ミヤとキュウは「スロットのメダルがいい」と笑った。
そのとき、キュウがぽつりと言ったのだ。
「お前らが泣いてくれたら、俺はそれでいいわ」
「またまたまた〜!!」
私とミヤは声を上げて笑った。
その照れ隠しのノリのまま、キュウが一つの提案をした。
「じゃあさ、最後に一番長生きした奴が、先に逝った奴を驚かせるようなとんでもない人生を送るってのはどう?」
「うわー、一番長生きした奴、ハードル高すぎだろ!」
きっと、この3人の関係を「親友」と呼ぶのだろう。
その時は、そう確信していた。
……あんな話、なんでしてしまったんだろう。
翌月の6月9日。
キュウは交通事故で、突然この世を去った。
おじさんやおばさんから、弔辞を頼まれた。
キュウには昔からの幼馴染もいたし、友達だってたくさんいた。
なのに、学校を出てから仲良くなった、たった2年間しかともに過ごしていない私が選ばれた。
「俺でいいのか……?」
葛藤する私に、キュウのお兄さんたちも「頼む」と言い、ミヤも「お前が良い」と背中を押してくれた。
あのご遺族の皆さんが私の顔をしっかりと覚えていてくれたのは、かつて不器用なタイミングで何度もキュウを引っ張り出し、共に時間を過ごしていたあの賑やかな日々の記憶があったからなのだろう。
あーあ、本当に癪だなと思う。
「泣いてくれたらそれでいい」なんて言っていたキュウに、私とミヤは、これ以上ないほどの大粒の涙をプレゼントする羽目になってしまった。
キュウが逝って以来、私とミヤは互いにセッションすることも、他の誰かと演奏することもなくなってしまった。
あの無表情な天才ベースが隣にいなければ、私たちの音は完成しないからだ。
だけど、私たちは今でも繋がっている。
3人の誕生日と、キュウの命日。
その日になると、私とミヤのラインには静かにメッセージが灯る。
おそらくキュウがいなければ、私とミヤの繋がりもここまで続いていなかったはずだ。
あれから、私は「親友」と呼べる存在には出会っていない。
本当に信頼できて、心から通じ合える親友なんて、人生の中でそう簡単にできるものではない。
静かに寄り添う温かい絆は、共に過ごした時間の長さではないのだと、キュウが教えてくれた。
私たちは、今でもあの日の約束を頑なに守り続けている。
あいつがいない世界でも、私とミヤはそれぞれ、静かに楽器の練習を続けている。
それはきっと、楽器に触れている時間だけは、あのプレハブで3人で爆走していた熱い青春の続きに触れていられるからだ。
正式なアンサンブルはもう鳴らなくても、いつかあいつの元へ逝ったとき、あの無表情な顔を「マジかよ、お前すげぇな!」と心の底から驚かせるような人生を、必死に生き抜くために。
キュウ、お前が言った通り、私たちはたくさん泣いたよ。
今でもお前のベースが恋しいよ。
だから、そっちでスロットのメダルでも握りしめながら、もう少し待っていてくれ。
あの頃も、離れてしまった今でも、私たちの絆は1ミリも変わらない。
共に過ごした時間の長さなんて、本当にただの数字でしかなかった。
この3人の関係を、世界で一番の「親友」と呼ぶのだと、私たちは今でも確信している。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
キュウが突然旅立ってから、世界は変わってしまいました。
あいつが遺していった「最後に一番長生きした奴が、先に逝った奴を驚かせるようなとんでもない人生を送る」というあの日の約束。
それは、生きるのが嫌になったとき、辛いことがあったときでも「立ち止まるな、前に進め」と容赦なく背中を押してくる、私たちにとっての【魔法の約束】であり、同時に一生逃れられない【呪縛】でもありました。
癪だけど、あいつに「なんだよ、そっちの人生つまんなそうだな」なんて絶対に言われたくないから。
こうして今、慣れない小説の投稿や、色々な新しいことに次々と挑戦しているのも、すべてはあいつをあっちの世界で「マジかよお前、そこまでやったのか!」と、腰を抜かすほど驚かせてやりたいからです。
どんなに泥臭くても、辛くても、この呪縛を抱えたまま、私は私の人生を全力で全うしようと思います。
私の拙い思い出話が、読んでくださったあなたの胸の奥にある熱い記憶に、少しでも触れることができたならこれ以上嬉しいことはありません。
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