ぱらぱらドリーム015
「ほら。ここなら開いてる」
ガタ、と窓を動かして入る。ズボラで有名な教師の担当教室は、こういう時だけ妙に信用出来た。
「手際が良くて素晴らしい。泥棒の才能あるよ」
「それは、あんま嬉しくないかな」
誰もいないのに、小声で僕らはクスクスと笑い合った。
そうやって僕らは忍び込む。深夜の教室は、静まり返っていて。まるでひとつの生き物みたいに、大きな圧力があった。
「結構雰囲気あるね」
「怖い?」
そうやって茶化したつもりだった。
「ちょっとね」
肩透かしを食らう。言い出しっぺは誰だったのやら。
カチリ。小さな音がした。
振り返る。縒木が、首元へ手を掛けていた。
黒いチョーカー。今日ずっと、痣を隠していたそれ。
「やっぱちょっと息苦しいね」
金具が外れる。するりと落ちた黒が、彼女の指へ絡まった。露わになった痣は、今朝よりずっと黒かった。
「じゃ、行こっか」
月明かりだけが照らす廊下を二人で、
少し近い距離に気付かないふりをしながら、僕らの教室へと向かう。
「なんか、同じ教室なのに。別の場所みたいだね」
縒木は落ち着かないみたいに教室を見回して、それから、えいっ、と日下部の机を小突いた。まるで足元を固めるようにゆっくり1周して、彼女は僕に言う。
「ねぇ、××。そこ座ってよ」
いつもの席。座れば、隣には縒木。
「覚えてる?去年、入学したての時さ、私に話しかけてくれた事」
「忘れたな」
「嘘だ。目を逸らさないでよ。恥ずかしがらなくていいから。あの時は無愛想に返しちゃったけど、あれ結構嬉しかった」
女子の輪に入っていなかった縒木をちょっとだけ心配して、余計なお世話かもしれないと、それでも声をかけた。ちゃんと覚えている。それが彼女と交わした最初の会話だった。
「懐かしいな」
「やっぱ覚えてるじゃん」
「なんの事だかな」
あの時から、縒木は優等生だった。冷たく返された事だって、邪魔をしてしまったんだろう、くらいに思っていたのだけれど。好印象だったとは思っていなかった。
「実はさ、結構助けられっぱなしなんだよね」
「それは……お互い様だと思うけど」
「だって、今もこうやって付き合わせてる」
「これくらい、なんだってない」
縒木は返事をしなかった。まるで違う場所のように感じたこの教室で、確かに自分の居場所だった机、使い馴染んだそれを、確認するように触っていく。引き出しの中の教科書は綺麗に重ねられていて。整頓されていた。
全部、“ちゃんとしていた頃の縒木 日陰”のそのままがあった。
「……うわ。気持ち悪い」
そう言ったくせに。縒木は机の角へ指先を滑らせる、丸くなった木目をなぞる。毎日触っていたはずなのに。もう、誰か別の人間の机みたいに見えた。
教室の外で、風が鳴る。月明かりだけが、教室を照らす。
「……ねぇ」
縒木は、自分の席へ座ったまま言う。
「見に行ってもいい?」
彼女がこだわり続けた、ちゃんとした自分、その象徴。残ったソレを見に。縒木は立ち上がる。廊下へ出る足音が、夜の校舎へやけに響いた。
掲示板の前で、縒木は止まる。白い紙。学年順位。点数。偏差値。見慣れた名前の列。その中に。
縒木 日陰の名前は、当たり前のようにそこにあった。
「情けない数字」
その声は、緊張が溶けたように聞こえた。縒木は、自分の順位を指先でなぞる。
「……あ」
小さく漏れた声。縒木は、自分自身を嫌悪したみたいな顔をした。
「まだ安心してる」
指先は離れない。
「まだ、“ちゃんとしてた私”に縋ってる」
喉の奥を押し潰すみたいに、縒木は呟く。
「ほんと気持ち悪い」
吐き捨てるみたいに言う。でも。指は、そこから離れなかった。
「ぐちゃぐちゃにしたい」
縒木は、順位表を睨んだまま言う。
「こんなの、もう要らないって思いたい」
紙を掴む指先へ、力が入っていた。
「なのに。まだ」
声が掠れる。
「“こっち側”に戻っちゃいそうな気がする」
優等生。真面目。期待に応える側。その呟きは、誰より縒木自身を傷つけていた。
べり。
少しだけ。力が入ったその指から、張り出された順位表に亀裂が入った。でも、それ以上。彼女は破くことをしなかった。
「もうさ、辞めたいんだよね」
縒木は、順位表を睨む。
「真面目とか」
「優等生とか」
「期待されるのとか」
「ちゃんとしてる私とか」
吐き出すみたいに、縒木は言う。
「もう、全部」
ぎち。首元で音が鳴った。縒木の身体がびくりと揺れる。首筋の痣が、縄で締めるみたいに黒く浮き上がる。縒木が息を吸う。
でも。
喉が途中で絞られたみたいに、最後まで入っていかなかった。
「っ……ぁ」
ぼんやりとした曖昧な黒い縄が、
軋み音を立てて彼女の首を締めていた。
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