ぱらぱらドリーム006
「久々にちゃんとしたの食べた」
「コンビニ?」
「そう。昨日の夜、あの公園で食べてた」
「……もしかして、そのまま朝まで?」
「寝れなかったし、田舎だから大丈夫かなって。でも、女子高生が一人でやることじゃなかったね。普通にちょっと怖かった」
「……連絡しろよ、友達とか」
「ありがと、でも知らなかったんだよ。こんな時どうしたらいいとか、誰に頼っていいとか。そもそも友達も少なかったし」
「僕が、居ただろ……」
そうだね。と彼女は少しだけ笑う。そんな話をしながら、縒木は二杯目のカレーを綺麗に平らげた。
「こんな時でも、ちゃんとお腹って減るんだね」
空になった皿を見ながら、縒木はどこか他人事みたいに笑う。
「なぁ」
テーブルへ置かれた郷土資料を指差す。
「なんで、この本探してたんだよ」
「だって“これ”の正体くらいは知っときたいじゃん」
縒木は自分の首を軽く指でつつく。
「何も分かんないまま終わるとか、なんか、嫌だった」
終わる。その言葉は、心をざわつかせる。
「色々調べてさ、そしたら馬鹿馬鹿しいオカルトに行き着いたんだよね。この辺の伝承なら、ここに載ってると思ったんだ。この、たぶん【変え首】ってヤツについて」
「……わかった」
食器を流しへ下げ、僕らはソファーへ並んで座る。
古びた郷土資料を開くと、紙の乾いた匂いがふわりと広がった。
肩がぶつかる。跳ねた肩を誤魔化して、思春期がバレないように躱す。そうすればきっと離れると思った。しかし縒木は今度はわざとらしく寄ってきた。
「あの、縒木さん」
「なんだい××さん」
「距離、ちょっと近くないでしょうか」
「目悪いからさ。このくらいじゃないと見えないんだよね」
再び肩が触れる。シャンプーの匂いがした。
女の子の匂い、なんて便利な言葉で片付けてしまうには、少しだけ甘すぎる匂いだった。
いつもの縒木なら、こんな距離で人に触れたりしない。教室でプリントを渡す時ですら、指先が触れないよう妙に気を遣うやつだった。
なのに今は、僕の肩へ重心を預けるみたいに寄ってくる。
距離感がおかしい。
まるで、“縒木日陰じゃない誰か”が、彼女を演じてるみたいだった。
「あ、あった。これ」
縒木がページを止める。
『変え首』
締められた者は、少しずつ“元とは違うもの”へ変わっていく。穏やかだった男が突然家族へ暴力を振るうようになった。真面目だった娘が、夜な夜な裸足で町を歩き回った。
そして最後には、“どんな人間だったか分からなくなる”——そう、書かれていた。
「……ねぇ」
縒木がぼそりと呟く。
「もしさ、私が急に変になったらどうする?」
冗談みたいな口調だった。でも、縒木はこっちを見ていなかった。答えを聞きたいのか、聞きたくないのか、よく分からない横顔だった。
「変って」
「ほら。急に暴れ出すとか。夜中徘徊するとか。……金髪にするとか」
「最後のは書いてなかっただろ」
「私、別人になっちゃうのかな」
その言葉が、妙に耳へ残った。
“別人”。そんなの、見れば分かる。今日の縒木は、ずっと縒木らしくない。
例えば、突然「今日から金髪にします」なんて顔して登校してきても、多分クラスの連中はそれなりに受け入れるのだろう。面が良い生き物は、多少の無茶を“イメチェン”の一言でねじ伏せられる。
勿論怒られるだろうし、優等生でも無くなって行くだろう。それでも、多分周りは最初だけちょっとした話題にして、そうだったように受け入れ慣れていくんだろう。
でも。
もし縒木が、縒木じゃなくなったとして。
僕がそれを、“そういうもの”として受け入れられるのだろうか。
ページを捲る音だけが続く。
古い紙の匂い。エアコンの風。遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。
気づけば、縒木は途中から、もう文字を読んでいなかった。視線だけが、ぼんやりページの上を滑っている。
読むのを諦めたというより、文字を追う気力そのものが尽きているみたいだった。
「……正直さ」
彼女は独り言みたいに溢す。
「もう疲れたよ」
僕へ向けた言葉なのか、自分へ向けた言葉なのか、真意は分からなかった。
「寝ていいぞ」
「んー……」
縒木は曖昧に返事をする。
「でも、寝ると嫌なんだよね」
ページを捲る指が止まる。
「……夢、見るから?」
「そ」
あまりにも軽い返事だった。
けれど、その横顔だけは、少しだけ子供みたいに不安そうだった。
「じゃあ寝るな」
「ブラック企業?」
「冗談じゃなく」
「大丈夫だって」
縒木はそう言って、小さく笑う。
そしてそのまま、僕の肩へ軽く頭を預けた。
「ちょっとだけ」
その声は、もう半分寝ていた。
「おい」
「聞いてる……」
そう返しながら、縒木の頭が小さく揺れる。
眠気と戦ってるみたいだった。
僕はしばらく、そのまま本を読んでいた。
しかしどれだけ頁を捲っても、決定的な解決法みたいなものは見つからない。
変え首。
変質。
人格の反転。
それによって傷つけられた話。
それによって死人が出た話。
断片的で、曖昧で、気味の悪い記述ばかりだった。
——ふと。
小さなうめき声が聞こえた。最初は寝言かと思った。
でも違う。
縒木の身体が、小さく痙攣していた。喉元へ爪を立て、何かを引き剥がそうとするみたいに、必死に首を掻いている。首元の痕が、生き物みたいに軋んだ。
ギチ、と。何かが締まる音がした。
「いや……」
掠れた声。
「ちが……」
息が詰まる音。
「わたし——」
そこで言葉が潰れた。背筋が冷えた。今の声が、縒木の喉から出たものに聞こえなかった。
「おい、縒木!」
焦り、肩を掴んで揺さぶる。反応が鈍い。それでも何度も呼びかけ、強く肩を揺らした。
「っ、え……?」
ゆっくりと目が開く。焦点の合わない目で、縒木は僕を見る。
「××……?」
「大丈夫か」
「あぁ……そっか」
ぼんやりと部屋を見回して、縒木は小さく息を吐いた。
「……いま、家出してたんだっけ」
夢と現実の境目を確認するみたいな声だった。
「ごめん。寝ちゃってた」
笑う。でも、その首元には新しい引っ掻き傷が増えていた。薄く血が滲んでいる。
急いで救急箱を持ってくる。消毒液を染み込ませたガーゼを当てると、縒木は少しだけ肩を震わせた。
「最近、寝れてなかったからさ。……寝ると、こうなるんだよね」
まるで風邪の症状でも説明するみたいな口調だった。
「でも、結構寝れた方かも。頭スッキリしたし」
そう言って笑う。
「起こしてくれてありがと。もう大丈夫」
大丈夫なわけがないだろう。
血が滲むガーゼが痛々しかった。こんなの、ただの悪夢で済ませていいはずがない。首に残った痕は、赤黒く皮膚へ焼き付いていた。
このまま放っておけば。
本当に、彼女は縒木日陰じゃなくなる。
そんな気がした。
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