ぱらぱらドリーム005
その痕を見て、喉が詰まった。
縒木もようやく気づいたみたいに、慌ててTシャツの首元を引き上げる。隠すみたいに。見せるつもりはなかったのだろう。
気まずそうに目を逸らす。
けれど、見過ごせるわけがなかった。
「……どうしたんだよ、それ」
自分でも分かるくらい、声が低くなっていた。
「そんな怖い声出さないでよ」
困ったみたいに視線を逸らす。
「見なかったことに、とか。できたりしない?」
「出来ない」
即答だった。
「そっか」
彼女は小さく肩を竦める。何故か少しだけ嬉しそうにも見えた。
「まぁ、そういう奴だったね」
「諦めろ」
「でもさ、カレー冷えちゃうし。その後じゃダメ?」
「ダメだ」
言葉を被せる。思ったより強い声が出た。
今日の縒木は、ずっとおかしかった。家出。壊れたみたいな笑い方。妙に軽い言葉。それだけなら、まだよかった。それだけなら、まだ笑って見過ごせた。
でも。
首に残った、その痕だけは、どうしても見過ごせなかった。あんなもの、誰かにつけられていい痕じゃない。
気づけば、奥歯を噛んでいた。
「わかったって。降参」
縒木は白々しく両手を軽く上げる。
「ちゃんと話すから。そんな睨まないでよ」
茶化すみたいに笑うくせに、視線だけが落ち着かなかった。目を合わせようとしない。
「……その痕、誰に」
「だから結論早いって」
縒木は苦笑する。
「私だって」
縒木は視線を落とした。
「……よくわかんないんだよ」
カレーの湯気だけが、場違いみたいに静かに揺れていた。
「一週間くらい前からさ。同じ夢ばっかみてる」
ぽたり、と。風呂上がりの髪先から雫が落ちる。そのすぐ下にある赤黒い痕が、やけに生々しく見えた。
「真っ暗っていうか……何も無い場所。自分がいるってことだけ分かるの」
縒木は、自分の首元を指でなぞる。
「周り見ても、何も見えなくて。でも、急に人影が立ってるの」
声は不思議なくらい平坦だった。
「そしたら、いつの間にか首に縄が巻かれててさ」
細い指が、無意識みたいに喉元へ触れる。
「ぐーって、締められるの。息できなくて。
夢なのに、ちゃんと痛いんだよ」
そこで一度、縒木は言葉を止めた。
僕は何も言えなかった。
「で、起きたらこれ」
縒木は首元の布を少しだけ引っ張ってみせる。顕になった首筋には、赤黒い痕が痛々しく浮かび上がっていた。
「最初はもっと薄かったんだけどね。だんだん濃くなってきてさ。締まる力も強くなってる気がして」
そうやって中身のない笑顔を作ってみせる。
「そのうち、本当に死ぬのかもなぁって」
まるで、明日の天気でも話すみたいな口調だった。昔、縒木が授業中に教科書を忘れたことがある。たったそれだけで、この世の終わりみたいな顔をしていた。そんな小さなことで一喜一憂できた人間だったのに、今は自分が死ぬかもしれない話をこんな平坦に喋っている。
エアコンの音だけが響く。やけに静かだった。
「そしたら急に、怖くなったんだよね」
縒木はぽつりと呟く。
「振り返って思い出してみたらさ、私って“頑張ってた記憶”しか持ってないの」
乾いた声が漏れる。
「勉強して。期待されるように、ちゃんとして。一生懸命に、ずっとそうしてきたのに」
そこまで言って、縒木は少しだけ黙った。
「空っぽだったんだなって」
それは多分、彼女が縒木 日陰という人間を説明するには、十分すぎる言葉だった。テストでは常に上位。提出物は厳守。教師受けは良好。
クラスメイトの誰かが、「縒木って人生失敗しなさそうだよね」そう言っていたのを覚えている。でも。本人は今、空っぽだと言った。
「だからまぁ……最後くらい、優等生っぽくないことしてみたかったんだよ」
家出、とか。
そう言って、彼女は冗談みたいに笑った。
「これで少しは納得してくれた? だから××が思ってるような、そういうのじゃないよ。誰かに酷いことされたりとか、そんな話じゃないよ」
そして、自虐的に続ける。
「もしかしたら死ぬのかもしれないけど、でももうどうでもいい気もしててね」
「……いや、よくないだろ」
思わず声が出た。自分でも驚くくらい、苛立っていた。死ぬかもしれないなんて話を、そんな顔で簡単に言って欲しくなかった。
「よくなくてもさ」
縒木は小さく笑う。
「ちゃんとしてるのが、急に馬鹿馬鹿しくなっちゃった」
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