うごうごベイビー009
公園のベンチに座る男を、僕は遠目から確認していた。項垂れるように背を丸めたその姿に、何故だか胸騒ぎがした。
正直、気づかなかったフリをして通り過ぎたかった。通り過ぎようとした、その時だった。
「××!やっぱり××じゃないか!」
まるで、ここで会うことまで決まっていたみたいに思えた。
我らが弓道部の顧問、新人英語教師にして今回の澪影 灯火の騒動の現状1番の引き金である、柏田 廉その人だった。
逃げ切れる気はしなかった。柏田は小柄な癖に妙に素早い。
本人が吹聴していた話によれば、大学時代は大柄の選手に負けず劣らずのインカレで戦うバスケットプレイヤーだったらしい。
しかし近くで見ると、先生はひどく疲れた顔をしていた。無精髭こそ無いが、目の下には薄く隈が浮いている。
まるで、何日も答えの出ないことを考え続けている顔だった。スマホを握る手が、落ち着きなく震えている。
彼は真っ直ぐ、僕の方を見た。
「どうしたんだよ、こんなところに1人で」
その声を聞いてか、皿谷ちゃんが僕の背中へ隠れた。柏田は、その存在に気づいていない。
なのに少女は、見つからないように、息を潜めていた。
——なるほど。
地縛霊とは、こういうことらしい。
「今日は部活に来なかったから心配してたんだぞ、澪影も居なかったが一緒じゃなかったんだな」
「ちょっと野暮用がありまして」
「あの子がサボるなんて珍しいし、なにか抱え込んでないといいんだけど。……あの子、たぶん誰にも頼れないんだよな」
柏田は、独り言みたいにそう漏らした。
「なんでも出来ちまうから、逆に抱え込むっていうか」
僕は曖昧に笑って誤魔化した。
——彼は、澪影先輩を理解していた。
誰より近くであの人を見ていた。
だからこそ。
どうして、それで一線を越えられたんだ。
皿谷ちゃんが、僕の後ろで小さく歯を鳴らした。川底で石を噛み砕くみたいな、不快な音だった。
年上の男が、優しい声で近づいてくる。
それだけで、背中越しに皿谷ちゃんの肩が強張るのがわかった。
「ところで、先生は何故こんなところに?ゴールデンウィークの昼下がりですよ、家族サービスはエスケープですか?」
「いやぁ、それが……。いや、なんでもないよ」
一瞬だけ、柏田の視線がスマホへ落ちた。生徒に話せる類の話じゃないんだろう。
「……俺はもう帰るわ。明日は部活に来いよ。あと、車に気をつけろよ」
それだけ言い残して、柏田は足早に公園を去っていった。
「……嫌いです、ああいう大人」
皿谷ちゃんは、まだ柏田が消えた出口を見ていた。
まぁ、わかるよ。
「失礼、取り乱しました」
「いいんだよ、ありがとうな。僕だって思うことがない訳じゃない。それでも、先生としては……悪い人じゃないんだ」
柏田廉は、教師としては優秀だった。生徒の面倒見もいい。結果だって出す。
まるで、澪影先輩みたいに。
たぶん、本当に澪影先輩を心配している。
だからこそ、気持ちが悪かった。
「……急ぎましょう、アリクイさん」
皿谷ちゃんは、公園の出口を見たまま言った。
柏田の背中は、もう見えなくなっている。
それなのに。
公園の空気だけが、
まだ妙に重たかった。
あの場にはまだ、澱みみたいな、何かだけが残っていた。
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