うごうごベイビー004
「訝屋さん、起きてください。もう10時過ぎましたよ、ねぇ」
昨日浴びるように酒を飲んだ、二日酔いの彼を揺すり無理やり起こそうとする。こういう訳の分からないことに関して、今頼れる相手は訝屋しか居なかった。
先輩を連れ、逢住公民館へと足を運んでみれば、彼は我が物顔で畳に大の字でお休みだった。
「勘弁してくれよ、アリクイ君。俺は飲んだ次の日は昼まで寝被るって決めてるんだ」
アリクイ?と澪影先輩は問う。
気にしないでください。
適当な人間が適当な事言ってるだけなんです。
仲が良さそうでいいね、じゃないんですよ。
僕らはまだ昨日今日の仲で。
「そこをなんとか頼みますよ、依さん。僕の敬愛する先輩が、非常に困ってるんです」
あと5分、いや10分。
そんな堕落した訝屋との睡眠時間を掛けた格闘に勝利し、根負けした訝屋はゆっくりと体を起こす。
やっと起きて状況を確認したかと思えば、開口一番。
「アリクイ君……。それは、あんまり感心しないなぁ。確かに若さは雑でいいなんて言ったけど、想像以上に無茶苦茶な青春をしてるらしい。
君を過小評価してた。謝るよ。君はもう少し安全運転をすべきだ。」
存外常識的な事を言う。
そんな目で僕を見ないで欲しい。耳が痛いのは僕ではなく、隣で黙っている先輩の方だ。それ以上不必要な発言は止めていただきたい。
誤解を解き、訝屋がちゃちゃを入れる中でこれまでの経緯を説明するには時間がかかった。
勿論何を言い出すかわかったものじゃない、不必要な不倫疑惑の所までは話さない。
箱を得て、箱を開けてから、澪影先輩の腹は異様に膨れ始めた。それを訝屋の言葉を借りるなら、怪異ってやつなんだろう。そう、僕は説明した。
セクハラ紛いの発言は出る前に遮る。
「ユメミバコねぇ」
澪影先輩から手渡された外箱を吟味しながら訝屋はそう呟く。中の夥しい文字列を解読できるのだろう、先程までの寝ぼけ眼はもう無く、その眼差しは真剣そのものだった。
「ひとまず、俺の見立てであれば状況は著しく芳しくない。ユメミバコがなんなのか、俺は見たことも聞いた事も無い。
それでもあの箱は何か強いものを、言わば呪いを抑え込む手法によく似た作りをしていた。
そして、三日三晩で苦しめ絶命に至らせるのが、呪いっていう連中のセオリーだ。
たぶん、悠長にやってる時間は無いだろうね」
訝屋はそう言い切った。
初めて澪影先輩の間の抜けた声を聞く、それから両手がソワソワと膝上で動き出す。冷や汗が頬を伝っていた。
それでも先輩は気丈だった。
「どうにか、私が死なずに済む余地は無いんでしょうか」
「そうだねぇ、先ずは報酬の話をしようか。俺は腐っても専門家だ、見ず知らずのお嬢ちゃんにタダで何もかもしてあげることは出来ない。何事にも対価は存在するんだよ」
「お金だったら多少は出せます。他に……私の差し出せるものだったら、なんだってします。お願いします、助けてください。」
澪影先輩は頭を深々と下げた。訝屋は呆れた顔で僕の方を見る。彼女の方ではなく、僕を心底くだらなそうな目で見てくる。
「〝なんだってします〟なんて、簡単に言うなよ小娘。
そういう物言いをする奴が1番足元を掬われる」
淡々と静かに、それでも一定の嫌悪感と怒気の籠った声で諭される。
「もしかしたら、その自信はさ。一人くらい馬鹿な大人をその気にさせたことがあったのかもしれないけど。
あまり大人をからかうなよ」
澪影 灯火が泣きそうな顔で説教を受けている。あの物言いは彼女なりの覚悟だったのだろうけれど、それは間違っていると言いたいのだろう。
教師との不倫まで見透かされたような内容は、彼女の自意識にお灸を据えた。
「子供のちゃちなお小遣いも、乳臭ぇガキの体にも興味ないんだよ。報酬は、もしこの件が上手く片付いたら、このユメミバコ本体は俺が貰っていく。それでいいね」
巷のチンピラを超える睨みつけ方で訝屋は吐き捨てる。先輩は今にも消えそうな、か細い小声で了承した。
彼女を慕う生徒は何人も居るが、こんなにも弱っている彼女を見たことがあるのは僕だけだろう。
あれほど頼もしく見えていた背中が、
今は酷く小さく見えた。
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