第29話 深い闇に差す光
2022年8月 東京某所 <百瀬 浩平>
【第24回日本フットボールリーグ第十九節 クリエシオン東京】
ホテルを出て試合会場へ向かっています。東京へ前日入りする事が出来て、親会社が管理するホテルでしっかりと休息を取る事が出来る。この有難さに慣れてはいけない。同業の他チームで指導している知り合い達と話をしても、こんな恵まれた環境でJFLを戦っているチームは無いと言われます。だからこそ、我々には結果が求められています。
しかし、引き分けを挟みながら7節もの間、チームは勝ちから遠のいています。前節のFC鈴鹿戦は終始こちらがペースを掴みながら得点を奪う事が出来ず、まさかのスコアレスドローに終わりました。
チームとしてまだまだ未完成なのは分かっていますが、それでも選手達はどうにか勝ち点を掴もうとしてくれています。その気持ちに応えてやれていない事が自分の未熟さを痛烈に思い知らされています。
また同じ会社内に絶好調すぎる女子チームがある事も焦りを生んでいるのかも知れません。比べるモノではなく、自分のやる気に繋げなければいけないと言う事は分かっているのですが、このままでも十分になでしこ1部への昇格を手に出来る位置にいるチームとJFLに来て大きく躓いたチームとでは意識しない方が嘘になります。
会場に向かうバスの中でも選手達は非常にリラックスしています。こうして成績が付いて来ない日々が続くと、何とかしなければと言う雰囲気が漂うものですがヴァンディッツでは岡田や伊藤はもちろんですが、引退した選手達が顔を出してくれて雰囲気作りに一役買ってくれています。
前日の午前中に飛行機で東京入りし、以前にも利用させていただいた浅草のホテルに入りました。少しの休憩と食事の後、笹見建設様の紹介で現地企業様から今年度からお借り出来るようになったサッカーグラウンドで午後錬をさせていただきました。
自社ホテルがあり、しっかりと練習場も確保出来ている。移動や待遇での不満は出させないと言う運営と譜代衆企業の皆さんの強い想いを感じます。
丸二ヶ月以上勝ちのない状況は異常事態と言っても良い。ついに負けの数が勝ちを上回ってしまっています。何度もコーチ陣、板垣さんと話し合い、今回のスタメンを決定しました。昨日の練習中に発表した時には多少なりと選手達に動揺を与えてしまったと感じています。
しかし、今現状でテコ入れするとすれば、この手しかないとコーチ陣で判断しました。どのような結果となっても、全ての選手が最善を尽くしてくれると信じています。
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<三原 洋子>
スタメンが発表された時にゴール裏から驚きの声が上がったのは当然の事でした。チーム発足以来、ヴァンディッツは3-1-4-2のシステムを取ってきました。しかし今日発表されたスタメンでシステムを組むとすると、3-1-5-1の中盤を分厚くするシステムになるのでは無いかと皆予想していました。
でも試合が始まってみるとその予想すら裏切られる形となりました。最終ラインは4バック、中央にMFを二枚横並びで起き、左右のサイドウイング、そしてFWは2トップでした。システム的にはサッカーの中で最もポピュラーと言われている4-4-2。
4バックは左から岡田選手、大西君、淳也(五月)、そしてタダシ君。そう普段はDHで起用される淳也がまさかのCBでの起用となっていました。確かに試合状況に応じて守備に重きを置く時には淳也が変動でCBに入る事もありました。しかし最初からCBとしての起用は初めてだと思います。
MFは左から高瀬君、清春、ノブ君(八木)、成田君。清春とタダシ君が同時に起用される事も初めてですし、中盤がボランチを置かない状況と言うのも初めてだと思います。
そして2トップは左から伊藤選手と藤原選手。まさかの伊藤選手がFWとしての起用。ドリブル突破力とシュート力を評価されての起用でしょうか。
初めてだらけのフォーメーションですがどのような化学変化を見せてくれるのか。それが楽しみで仕方ありませんでした。
ただ........
一つ、私達向月の中では今日、気になっている事があります。ゴール裏の最前列、私達の少し右側の席に気になる方が座っているんです。
橘明日実さん。言わずと知れた柔道オリンピック金メダリスト。2015年に高校二年生で突如日本選手権を制するとアジア・世界選手権も制覇。そこから一気に代表候補として頭角を現して、翌年のリオ五輪で代表入り、オール一本勝ちで金メダルを獲得し高校生メダリストとして注目を集めました。(両親が超が付く柔道好きなので情報はなぜか覚えている。)
その後、有名大学に進学しても勢いは衰えず階級最強として昨年の東京五輪に出場。五輪二連覇を果たしました。プライベートでは今年で大学院を卒業となっていたのですが、まさかヴァンディッツサポだったとは。
さすがに声をかけられるほどの勇気も無いので、皆と暖かく見守っていますが。
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<八木 和信>
オレ達にとってもチャレンジだった。このフォーメーションは紅白戦や安芸高校との練習では試す事は多かったけど、はっきり言えばぶっつけ本番。フォーメーションの事は前節が終わった時点で監督から教えられてたけど、誰がどこに起用されるかまでは聞かされていなかった。
伊藤さんがFW起用なのも驚きだし、何より清春と正司がスタメンって事も驚きだった。でもこの起用も練習なんかでは何度もやってきている形だ。『試合だから』なんて言う気負いを感じなければ良いだけだ。
そう言う意味では清春も正司もプレッシャーってのを感じてる感じが普段から無いんだよなぁ。清春に話を聞いたら高校時代に初心者だらけのサッカー部で、何とか形になるサッカーをしたいって御岳さんと何度も話し合って試行錯誤していた事がおっきな経験になってるって言ってたな。
「あの頃に比べたら先輩方は頼り甲斐あるし、指導法を自分で模索しなくて良いし。自分は自分の事をまずしっかり仕事するって事に集中出来ます」と返された時には、こっちが恥ずかしくなってしまうくらいあいつらの方が現状が見えてた。
そうなんだ。こっちはこっちでしっかり自分の仕事を全うする。それを11人、いや、スタッフ含めた全員が全うする事で勝利に近付ける。今更ながら新人に教えられている。
試合が始まってしまうと意外に違和感は無い。やはり清春は本当に器用だ。普段はFWよりのポジションワークが多いんだけど、今日はどちらかと言うとDHよりの動きを求められている。それに清春も正司も先輩だからと一切遠慮をしない。飛ばしてる指示こそ敬語だけど、内容だけを突き詰めて言えば「動け・見ろ・考えろ」の三つ。とても後輩とは思えない容赦ない指示が飛んで来る。これも御岳さんイズムだ。
前半の早い段階で相手ゴールエリアでPKを獲得できた事で先制点を奪えたことが大きかった。まだ前半30分過ぎだけど勝ちを意識出来ている試合は久しぶりだと、サポーターの皆さんの声もいつにも増して大きい。
その中でチームに一つの可能性として見えてきているのが、右サイドで起用されている二人。雅也(成田)と正司だ。正直言って正司は雅也と馬場さんが育てたと言って良い選手だ。正司は最も雅也のプレイ思考を理解しているし、馬場さんのプレイスタイルを参考にしている雅也と最も相性が良い。
実際に途中交代で同じフォーメーションになった試合は今までにもあるけど、その中でこの二人の右サイドから突破されての失点は無い。オレ達が言う信頼と言う言葉では軽すぎる。スクール時代から言えば四年間もの間で正司とヴァンディッツが繋いできた信頼が生み出したものだ。
今日こそは勝ちを掴む。その想いは今まで以上にピッチ上で感じていた。




