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第30話 祝報と急報

2022年8月 東京都内某所 <冴木 和馬>

 試合終了のホイッスルが鳴ると関係者ブースで見ていた俺達から大きな安堵のため息が漏れる。苦笑いしながら隣に立つ常藤さんと握手を交わした。


 「逃げ切り1対0。それでも勝ちは勝ち..ですね。(和馬)」

 「クリーンシートで勝てた事を喜びましょう。それに久しぶりの勝ち点3です。素直に喜んでおきましょう。」


 二人で笑う。そして反対側に立っていた板垣とも握手を交わす。板垣は今季に関しては基本的に試合ベンチには入らない。とりあえずはまぁ、祝いの日を寂しいものにしなくて済んだのは嬉しい。


 「せっかく板垣がS級合格したんだ。この試合は勝ってみんなで一緒に祝福したかったからな。」

 「ありがとうございます。チームは後泊だと聞いてますが。」

 「夏休みの関係でな。こっちへ来る前から帰りの日は高速は渋滞予想だったし、飛行機のチケットも全員分取れそうになかったんだ。それならもう一泊して明日の早朝から移動しようと言う事になったんだ。だから、今日は皆でお祝いだな。板垣の部屋も取ってあるから。」


 板垣がS級コーチライセンス試験に合格してくれた。本格的なクラブとの契約はこの先に待っているが、無事にヴァンディッツと契約を結んで貰えたらうちはJリーグ入りに向けての課題の一つをクリアする事になる。今、うちのクラブでは百瀬とシルエレイナの原田と服部がS級ライセンスを、そしてシルエレイナの向井と強化部の中堀と樋口がA級取得に向けて勉強を続けている。


 チームとしてはコーチ陣が上のライセンスを取る事は他のチームからの引き抜きの機会が増えてしまう事にも繋がるが、出来るだけ取得に向けた準備に関しては支援したいと思っている。当然取得でチームを離れている間も給料は支払われるし、受講料や受験費用もクラブが負担している。

 そこまでする必要があるかと言われた事もあるが、それを惜しまないからこそ取得後クラブに残る選択をしてくれるコーチがいる事も確かだ。サッカー界に対してアンテナの少ない我々にとっては今協力してくれている皆が数少ない頼れるパートナーだ。出来れば長く一緒に切磋琢磨していきたい。


 「少し長いトンネルだったな。」

 「選手達の表情が物語ってますね。コーチ陣としても責任は感じています。」

 「まだ残り10節あるんだ。しっかり結果を残していこう。」


 俺達はゴール裏でサポーターの皆さんに頭を下げている選手達を見ながら、もう一度握手を交わした。


・・・・・・・・・・

2022年9月 高知市内某所 <矢野 正春>

 やはり何度お会いしても緊張してしまう。目の前で楽しそうに食事をされている姿を見ても、やはりこの方の前では私は一地方の中小親族企業の社長なのだと思い知らされてしまう。

 圧倒的なカリスマ性を持ちながら、その穏やかな雰囲気で周りを取り込んでしまう。一度話を聞けば目も耳も、そして心すら引き込まれてしまう。昭和・平成と言う時代を東京と言う大都市で生き抜き、自社を息子と二代に渡って巨大企業にまで育て上げた御大。


 ヴァンディッツやシルエレイナを支援している高知の企業とは実は数ケ月に一度のペースで食事会をして、クラブの事だけではなく高知経済界の繋がりを強くしようと皆さんで知恵を出し合っている。実際にそこから生まれた企業間のプロジェクトなどもこの数年の間にはいくつかある。


 しかし今回、笹見徳蔵氏から「出来ればその食事会に参加したい」と丁寧なお伺いのお手紙をいただいた。もちろん否など無い。参加者は皆、緊張しながらも心から喜んだ。東京の巨大企業の創立からのお話を聞けるなどそうはない機会だ。


 今も色々な経営者に話を振りながらも話題の中心でその経験を私達に教えて下さっている。(株)Vanditsの譜代衆企業の繋がりが深いのは間違いなく徳蔵氏の尽力が要因の一つであろう。

 しかし私は以前から聞きたかった事があった。冴木和馬と言う男を支えると決めたその決め手はなんだったのか。もちろんファミリアと笹見建設の繋がりは和馬君や常藤さんから話は聞いている。しかし徳蔵氏や息子の正樹社長が彼を、ファミリアと言う企業を支えると決めたきっかけは何だったのか。聞いてみたかった。


 話が落ち着いた時に私は勇気を振り絞り聞いてみた。すると徳蔵氏は大きな声で一頻り笑い、ゆっくりと語ってくれた。


 「少しづつだがファミリアさんとの仕事上の付き合いが増えていた時期に、現場責任者が一度ファミリアの社長と設計責任者に会って欲しいと言ってきたんじゃよ。そんな事を言われるのは社長になって初めてでの。少し興味が湧いた。実際に会うてみれば自分の会社に対する信念をしっかりと持っていて、真子くんも同じくこちらが大企業であろうが「これは引けん!」と言う部分はしっかりと主張出来る若者じゃった。まだ大学を卒業したばかりと聞いて尚驚いた。その責任者の社員としてもうちに引き抜きたいと思ったからこそ、儂に話を持ってきたと後に聞いたな。」

 「何が違うと思ったのでしょう? 経営への意識の高い若者ならばそれほど珍しいとも思わないのですが。」

 「確かに。しかし坊は何があっても『奪う経営』はしない。民宿経営しかり、ホテル経営しかり、経営悪化している民宿やホテルを買収すれば初期投資は少なく済む。しかし坊達はそれをしない。選ぶのは必ず『既に潰れている』ホテルや民宿を探し出す。儂も聞いた事がある。なぜなのか。答えはとてもシンプルじゃった。」


 全国津々浦々。足を使い時間を惜しまず探し続ければ、条件が良いのに潰れてしまっている場所は必ずあると言ったそうだ。確かに一から建てれば条件面は整いやすい。しかし当時のファミリアにはそれが出来ない経営事情がある。だからこそ廃業している場所を選んだ。

 そしてその度に見事に復活させて見せた。彼らが手掛けて復活した民宿や旅館を元の経営者に売り戻したと言う話も聞いた事がある。しかしその経営者たちは自分達がもう一度働く事は選んでも、もう一度経営者に戻る選択はしなかったと聞いている。ほとんどが所有権を持ったうえで委託経営をファミリアにお願いしていると言う。


 その経営理念と信念を気に入ったと徳蔵氏は嬉しそうに話されていた。しかしそれを聞く私達にはそれがどれほど困難な事かは分かっている。自分達の会社を大きくする為に、時には他社を買収や吸収する事は往々にして起こる事だ。それは悪では無く、経営方法として至極真っ当な手段でそれによって買収される側が救われる場合の事の方が多いのだ。


 「それとな、坊は自分の分からぬ事知らぬ事に対して並々ならぬ気持ちで真正面から取り組む。その為に人に教えを請う、頭を下げる事を苦とも思っておらん。会社を大きくし、皆で盛り上げていく事と天秤にかければ容易いと言い放った。プライドが無いと言えばそれまで。しかし、そのプライドが無いからこそ支えたいと思う。まぁ、甘い爺なのでな。息子にはよく叱られる。」


 皆さんから笑いが起こる。皆さん分かるのだろう。屈託ない笑顔で少し頼りなさそうに見えながらも、気付けば問題は解決されていて物事は進展している。そんな場面を和馬君と知り合って何度も見せて貰った。


 「坊は言うならば湖面の白鳥よ。湖の外から見る分には美しく優雅に見えるが、その湖面の中では必死に足を動かし、時に顔を湖面に突っ込み他の白鳥がどう足を動かしているか必死に探っている。」


 なるほど。確かに言い得て妙だ。


 「自分の会社の社員達、そして選手達をぜったいに湖の中には入れさせない。湖の外から自分の姿を見せ続ける。そして常藤や家族の真子くんの前でだけはその必死さを隠す事をしない。その姿を儂に見せてくれるようになった時に、儂はたまらなくこの男の行く先を見てみたいと思った。そうだな....恋じゃろうな。」


 そしてまた笑う。恋、か。確かに。彼を気にかけてしまうこの感情はそう名付けても良いものなのかも知れない。

 しかしそこで徳蔵氏の表情が厳しいものへと変わる。


 「ただ、突然の事で儂も驚いておるが、これからは少しデポルト・ファミリアは騒がしくなるかも知れん。どうか皆々様にはご不安に感じる事無く、今まで同様デポルト・ファミリア、そして(株)Vanditsを見守っていただきたいと思う。部外者ではあるがどうかお願い致します。」


 部外者などと。徳蔵氏が部外者であるならば(株)Vanditsに関わる全ての企業・個人は部外者になってしまう。しかし、徳蔵氏がその言葉を口にする理由は皆さん分かっている。これからのデポルト・ファミリアの動きは必ず様々な方面から注目される事になるだろう。

 それは奇しくも今朝の朝刊に出た一つの記事だった。


 『ファミリア代表取締役 林倫太郎氏 重病にて緊急入院か』

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