軽音楽部の合宿編 Vol.1
いよいよ軽音楽部の合宿が始まります。
初日の前半です。
8月上旬、夏の日差しは朝から猛威を振るい、自転車を漕いで駅へ向かう僕に容赦なく降り注ぐ。家を出てから5分もすると体中に汗が浮き出て、リュックを背負ってる背中はシャツがべったりと張り付くのがわかるほどだった。
僕たち軽音楽部の合宿は2泊3日で行われる。まず初日の今日は、8時30分に大分駅で待ち合わせて、電車で別府駅まで移動する。そこからバスで貸切スタジオに向かう予定となっている。スタジオには午前中に到着するので、届いている機材の確認や音出しなど行って、そのまま昼休憩となる。午後は夕方までみっちり練習する行程となっている。
この合宿で、素人の僕たちに課された目標はとにかく——3曲を通して演奏出来るようになることだ。
僕が駅の構内へ入ると、改札口の前で鍵山先輩と早瀬がそれぞれスーツケースを持って待っていた。何やら2人は無言のままだったが、別に喧嘩をしている様子はなく、単純に2人だと会話が続かないだけだろう。どちらもスマホを弄っていた。
そんなことよりも僕が気になったのは、早瀬がギターケースを持っていることだった。今回の合宿ではスタジオを貸し切っているので、必要な機材は事前にスタジオへ送り、持っていくものはないはずだ。
「おはようございます」
「あ、と、友近、くん、お、おはよう」
「おはよう」
鍵山先輩は目が悪いのか、元々なのか、僕が声を掛けるまで目を細めてスマホをじっと見ていた。一方、早瀬は僕が近づくとスマホから視線を外し、手を振ってくれた。
「早瀬、そのギターケースは?」
「ふふ、ついに買ったわ、ギター」
早瀬は気づいてくれたことが嬉しかったのか、僕の前でギターを駅構内の柱に立て掛けて、ケースの中身を少しだけ見せる。
全貌は見えなかったが、明らかにこの前楽器店で見ていたレスポールだということはわかった。
「へぇー、すごいな。この前見てたギターだよな」
「そう、お父さんにおねだりしたら買ってくれたわ」
「友近くんもギターを買って貰えばいいんじゃない?」
早瀬はわざとお嬢様然とした手ぐしで髪を背中に流す仕草をしてみせる。それと同時に漂ってきたシャンプーの香りは僕の鼻腔をくすぐり、目の前に一瞬幻の花畑が現れ、そして消えた。
「僕はまだいいよ、今部活で使っているギターで十分だ」
部費で購入しているギターは、よく目にするストラトキャスターで年季はそれなりに入ってはいるが、良く手入れはされているため僕には使い勝手が良かった。
「そ、それに、しても、戸田くん、敷戸さん、は、遅い、ね」
鍵山先輩は左手首のスマートウォッチに目を落とすと、周りをキョロキョロ(どちらかというとオロオロ?)と見回し始めた。
確かに出発予定時刻の15分前になっても、2人が現れる様子はないので僕は戸田に電話を掛けてみる。
「とりあえず電話してみるか」
「(電話呼出音)」
「あ、友近、わりー、俺がドラムスティック持っていくの忘れちゃって、明日香と2人で取りに戻って今向かってる」
「今どこだ?」
「ちょうど昭和通りを過ぎたとこだから、後5分ぐらい」
まあ何とかギリギリになるかもしれないが間に合いそうだな。
「わかった、気をつけて来いよな」
「戸田と敷戸は後5分ぐらいで到着するらしいです」
*
「はぁー、わりーな、遅れちまって」
「先輩、すみません。ともちん、はやっちもごめんね。ドラムスティックなんて、なくてもスタジオには必ずあるのに敦がうっさくて」
「俺専用がねぇと調子狂うんだよ」
「いや戸田、俺専用があっても、狂ってるだろ」
「うっせーな、友近。馬鹿にすんなよ~」
僕たち5人は結局発車時刻ギリギリにはなってしまったが、何とか予定の電車に乗ることはできた。戸田と敷戸は汗だくのまま、エアコンが効いた車内の席に座ると「生き返る~」と前にも聞いたセリフを揃って口にしていた。
別府駅までは約30分程度、海沿いを走る電車の窓から見える田ノ浦ビーチは、海水浴客で賑わっている。その遥か先に見える水平線はわずかに湾曲していて、改めて地球は丸いんだなと実感させられた。
(別府駅~、別府駅~)
別府駅に到着した僕らは改札を出て、西口にあるバス停へと向かう。ここからバスを使って約15分程度で目的のスタジオへ到着する予定だ。
「はやっちがギター買ってたとは、驚きだったなぁ」
「なぁ、早瀬さん、めっちゃやる気じゃん」
車内でも早瀬が買ったギターの話題になり、またもや嬉しかったのか少しだけ中を見せて、珍しく自慢をしていた。
それにしても、戸田の早瀬に対する「めっちゃやる気じゃん」は、逆にお前のやる気がないように聞こえるぞ。
「お、おーい、み、みんな、ここ」
足早にバス停に向かっていた、鍵山先輩は僕たちに手を振って、場所を教えてくれた。
バスに揺られること15分、目的地であるスタジオに到着した。時間は既に11時を回っていたので、とりあえずスタジオ内に入り、機材の確認と機器の音出しをする。
こじんまりとしたスタジオで、奥にドラムセット、アンプはギター用2基とベース用1基、それぞれ左右に配置されている。僕が使用する部費ギターと鍵山先輩のキーボードはケースに入った状態で、壁に立てかけられていた。
ここで初めて早瀬のギターがお披露目された。くびれのある丸みを帯びた鮮やかなオレンジ色ボディのギター「レスポール」。その輝いたオレンジは普段クールな早瀬が、自分の内なる情熱を主張してるかのようだった。
一方、僕は下手なままベースからギターに転向したことあり、難しいとされるFメジャーは弾けないままだった。今回演奏する楽曲にはFメジャーがあるため、この合宿でマスターしなければ目標の達成は到底望めない。
それぞれが音を出し合い、問題がないことを確認したら僕たちは昼休憩のため、一旦スタジオを後にした。
「鍵山先輩、昼飯なんにするんすか~?」
戸田は後頭部に両手を回しながら、鍵山先輩に尋ねた。
「せ、せっかく、別府、に、きた、から、冷麺をた、食べましょう」
鍵山先輩が指さした先は「六盛」の看板を掲げる別府冷麺店で、切妻屋根を冠した木造の門構えは歴史を感じさせる重厚感がある。
さすがは人気店だけあって、店内はかなり混雑していたので、僕たちは順番待ちリストに名前を書いて並んだ。
「鍵山様~」
30分ぐらい経った頃、呼ばれた鍵山先輩は恥ずかしかったのか、少し俯きがちのまま無言で立ち上がり店員について行く。僕たちもその後に続いた。
僕たちは席につくと、僕と戸田は冷麺大盛、鍵山先輩と早瀬、敷戸は普通盛りをそれぞれ頼んだ。
「別府って冷麺も有名なのかな?てっきり温泉だけかと思ってたよ」
「そうだよなぁ、俺も知らんかったわ」
「私も別府は温泉だけが有名だと思ってたわ」
戸田と敷戸、早瀬は一様に別府は温泉だけだと思っていたようで。かくいう僕も温泉だけかと思っていた。
「さ、最近、は、別府冷麺、も、有名、なん、だよ」
鍵山先輩は事前に調べてくれていたんだな。優しい先輩だ。
そうこうしている内に、店員がテーブルまで冷麺を4人分運んでくる。
そば粉が入った極太の麺と牛肉のチャーシュー、キャベツのキムチが、凄く美味しそうに見えた。
*
昼ご飯を食べ終えた僕たちは再びスタジオに戻り練習を始めた。
「ここのバスドラ難しいな」
「敦そこはさ、つま先でズズンって感じで踏むと上手くいくよ」
敷戸はそもそも弾けるから、練習はそこそこに下手くそな彼氏くんに手取り足取りドラムを教えている。
その仲睦まじくしているのを見てると、本当に仲直りさせて良かったなと僕はつくづく思った。
その2人のやり取りを見ていた早瀬が、今度は僕の方へと視線を向けた。パチパチと目を瞬かせながら、何かを訴えてくる。
——はぁ、仕方ないな。
「早瀬、ここをどうやって弾くのか教えてくれないか?」
「もちろん!」
早瀬はすぐにギターを置くと、僕の傍までぐっと距離を詰めてきた。そして僕の背後に回り込むと、後ろから手を伸ばして僕のギターを指差し始める。
だが、僕はそれどころではなかった。背中に伝わる、早瀬のやわらかな感触。ふんわりと押し当てられるそれに、思考がフリーズする。
「ここは、こう押さえて……こんな感じで弾くの」
「は、早瀬……」
「ん? なにかしら?」
顔が熱くなるのを自覚しながら、僕は俯いたまま意を決して打ち明けた。
「あた、当たってる……その」
「当たってる?」
「胸が、当たってる……」
「っ!?」
早瀬の頭から『ボンっ』と効果音が聞こえてきそうなほど、彼女の顔が一気に真っ赤に染まる。弾かれたように素早く後ずさり、僕から距離を取った。
「う、ご、ごめんなさい……こうくん……」
視線を泳がせ、顔を赤くしたままおろおろとする早瀬。
「僕も……なんか、ごめん」
気まずい無言の時間が流れる。お互いに顔を真っ赤にしたまま目を合わせることもできず、早瀬は小さく身を縮めて自分のところに戻っていった。
ふと視線を感じて顔を上げると、ドラムセットの向こうから敷戸がニヤニヤとこちらを見ている。さらにドラムセットに座る戸田までもが、なぜか顔を赤くして僕らを見つめてた。
結局、練習が終わった後も、僕の背中に残った早瀬の布越しから伝わるやわらかな感触だけが、いつまでも消えてくれなかった。
次回は初日後半、温泉回です。




