第99話
雪が、しんしんと降り続いている。
外に出られない日は、決まって俺の頭の中がいちばん忙しい。薪ストーブの前に陣取って、もう何日も、俺は一冊のノートに向かっていた。
露天風呂の、設計図だ。
湯船の形、石の据え方、湧き水の引き込み、湯の沸かし方。書いては消し、消しては書きを繰り返すうちに、頭の中の絵が、少しずつ形を持ちはじめている。
鉛筆を止めて、俺はふと、自分の描いた図をぼんやり眺めた。
そうして、あらためて気づく。この図の中に、俺一人でやれるところなんて、ほとんどないな、と。
◇◇◇
湯船の縁を組む、大石のところ。
ここは、どう考えても俺の手には負えない。あの見晴らしのいい岩場に、据わりのいい石を選んで運んで組む——鞍馬さんの領分だ。あの人の見立てた石を、あの人の腕で据えてもらう。俺じゃ、あんな大石は指一本ぶんも動かせやしない。
湯船を囲む板張りと、雪見と目隠しを両立させる木組み。
これはモクだ。墨付けの甘い俺の図を、あいつはきっと渋い顔で直してくれる。継ぎ手の一つひとつまで、俺より確かな仕事をするに決まっている。
膝の上で、その名の主が身じろぎした。
「フン。……そこの勾配、まだ甘いぞ」
いつのまに覗き込んでいたのか、作業台から飛んできたモクが、図面の一点を顎でしゃくる。図星を突かれて、俺は苦笑した。
「やっぱりそう思うか。頼りにしてるよ、相棒」
湯を張る水は、スイだ。この山の湧き水を浄めて、冷めにくくして、極上の湯にしてくれる。ストーブのわきの水盆で、スイが我が意を得たりとばかりに、ぷるんと大きく波打った。
「その湯は、わたくしにお任せくださいまし。都のどんな湯屋にも、負けはしませんわ」
「おう、頼もしいな」
湯を沸かす火は、言うまでもなくエンの出番である。名前を思い浮かべた途端、ストーブの上でとかげが尻尾の火を跳ねさせた。
「露天風呂ってのは、あれか、でっかい風呂か!? オレ、火なら任せろだぜ!」
土台を固めて、湯船の据わりを支えてくれるのは、コロだろう。肩の上で、まんまるの苔玉がうとうとしながら、寝ぼけた声を落とす。
「じめん、ぼくがふかふかにしとくの……」
そして、その全部をつなぐ細々した造作と段取りが、俺のぶんの仕事だ。
◇◇◇
石は鞍馬さん、木はモク、水はスイ、火はエン、土台はコロ。そこに俺のDIYが乗る。
役割を頭の中で並べてみて、俺は思わず唸った。まるで、腕利きばかりを揃えた、贅沢なプロジェクトチームだ。石のプロに水と火の職人、木工の名人まで、この山に一通り揃っているんだから、我ながらいい人脈を拾ったものである。
この座組みなら、いける。
一人じゃ絶対無理だ。都会のワンルームで図面だけ引いて、うっとり夢を見て終わりだったに違いない。でも、みんなとなら、できる。極上の露天風呂が、絵空事じゃなく、ちゃんと手の届くところにある。
そこまで考えて、俺はふと、鉛筆を持つ手を止めた。
「……そうか。俺、いつのまにか"一人でやる"のを、やめてたんだな」
誰にも頼らず、全部自分の手で片付ける。この山に来た頃は、それが当たり前だった。いや、それがしたくて、逃げてきたんじゃなかったか。
◇◇◇
思い返せば、妙なものだ。
人が嫌になって、誰にも急かされず、独りで気ままに暮らしたくて、俺はこの山を選んだ。設計図なんて、二度と引くもんかと思っていた。人と何かを組み立てる、あの気の張る感じから、いちばん遠いところへ来たかったのだ。
それが、どうだ。
膝には木工の相棒がいて、肩には土の相棒が眠り、水盆と炉には水と火の相棒がいる。麓には石を任せられる変わり者までいて、俺は今、その全員をあてにして、うきうきと図面を引いている。
独りになりたくて来たはずの山が、いつのまにか、みんなで何かを作る場所になっていた。
「独りが良くて来たはずなのに……不思議なもんだな」
声に出してみて、俺は自分でおかしくなる。逃げ込んだ先で拾ったものが、結局、いちばん逃げたかったはずのものだった、というのだから。
でも、と俺は思う。
悪くない。むしろ、これがいい。
あの頃の一人きりの設計は、締め切りと誰かの機嫌に追われる、綱渡りのような仕事だった。今のこれは、自分の欲しいもののために、頼れる相手と引く、ただ楽しいだけの図面だ。同じ「みんなで作る」でも、こんなに温度が違うものなのか。
ノートの隅を、四つの気配がそろって覗き込んでいる。
「これ、ぼくたちのおふろにもなるの……?」
「オレ、いちばん風呂な!」
「あるじ。わたくしの分の、泡のぶくぶくも、お忘れなきよう」
「フン。……まあ、悪くない図面だ。手を貸してやらんこともない」
つぶらな目やら、澄ました顔やらが、鼻先にずらりと並ぶ。俺は鉛筆を置いて、四匹まとめて、そのやわらかい頭をひとつずつ撫でてやった。
外は、相変わらずの雪。世界を白く閉ざす、しんとした真冬の底だ。
なのに、この胸の中だけは、春の湯気で満ちている。雪解けの緑を眺めながら、この賑やかな相棒たちと湯に浸かる日のことを思うと、俺は、待ちきれない子どもみたいな気分になった。




