第98話
雪は、もう三日も降り続いていた。
窓の外は、白一色。麓へ続く道は、もうどこにあったかも分からない。世界から音という音が消えて、ただ、しんしんと雪が積もる気配だけが残っている。
こういう日は、外仕事はきっぱりあきらめる。薪ストーブに太い薪を一本くべて、俺は炬燵の上に古いノートを広げた。
描くのは、露天風呂の設計図だ。
山の湧き水で、雪を眺めながら入る風呂。あの石屋の見立てを聞いてからというもの、この絵が、寝ても覚めても頭の隅を転がっている。想像するだけで、口の端がゆるんでくる。
まずは、湯船の形からだ。俺は鉛筆を握って、あの岩場の輪郭を思い出しながら、線を引いていく。
「四角い浴槽は、ここには似合わないよな」
ごつごつした自然な窪みを、そのまま活かす。角を丸く取って、足をのびのび伸ばせる大きさ。……いや、一人で入るんだから、そんなに広くなくてもいいのか。まあ、余裕はあったほうがいい。
次に、石の配置。鞍馬さんの見立てでは、大きな据え石を三つ、湯船の縁に据えるといいらしい。
どこに、どの向きで置くか。ノートの隅に小さな丸を描いて、重心と、腰かける高さを書き込んでいく。
問題は、水回りだ。
湧き水をどう引いて、どう溜めて、どう落とすか。ここばかりは、気分では決まらない。
別のページを開いて、勾配の計算を始めた。引き込みは緩やかに、排水はしっかり下げて、汚れが溜まらないように。標高差、距離、管の太さ。数字を並べて、水がちゃんと流れる角度を割り出していく。
……これが、意外と、身体に染みついている。
昔、システムの構成図を引いていた頃と、やっていることの芯は同じだ。要件を並べて、制約を洗い出して、一番いい配置を探す。あの頃は締切と誰かの機嫌に追われて、胃を痛めながらやっていたけれど。
今は、違う。
急かす者は、誰もいない。この設計図の締切は、俺が「春」と勝手に決めただけだ。仕様を決めるのも、要件を出すのも、全部、俺自身。
「……こういう、じっくり一つのものを設計する時間、久しぶりだな」
鉛筆を止めて、俺はしみじみとつぶやいた。
仕事じゃなくて、自分の"欲しいもの"のために引く設計図は、こんなに楽しいのか。誰かに納品するわけでもない、ただ、俺が気持ちよく湯に浸かるためだけの、一枚の絵。線を引くたびに、湯気の向こうの景色が、少しずつ手の届く場所へ近づいてくる気がした。
◇◇◇
ふと気配を感じて顔を上げると、ノートの上に、四つの視線が集まっていた。
コロが炬燵の縁からよじ登ってきて、まんまるの目で図面を覗き込んでいる。
「あるじ、これ、なあに? あたらしい、はたけ……?」
「風呂だよ、風呂。でっかいやつな」
「おふろ……ここで、あそべるの?」
コロが不思議そうに首をかしげる横で、モクが腕を組んで、渋い顔で線を追っていた。
「フン。この石の据え方、悪くない。……だが、この継ぎ目は甘いな。木の縁を回すなら、こっちへ逃がせ」
「お、さすが。じゃあ、そこは相棒に任せるか」
エンは尻尾の火をぱちぱち跳ねさせて、湯を沸かす欄をのぞきこんでいる。
「火はオレだな! まかせろって、あっつあつにしてやるぜ!」
「熱すぎるのは勘弁な。ほどほどで頼む」
そして、いちばん身を乗り出していたのは、スイだった。
水盆の縁から、ぷるぷると全身を伸ばして、水回りのページに張りついている。
「あるじ……この湯船、わたくしが受け持つのですわね?」
「まあ、水のことは、お前がいてくれると助かるな」
「おまかせくださいまし。極上に、仕上げてみせますわ……!」
普段は取り澄ましているこいつが、ここまで身を乗り出すのは、めったにないことだった。湯船は、いわばスイの新しい仕事場になる。張り切らないほうが、どうかしている。
◇◇◇
夜が更けても、俺はノートを離せなかった。
湯船の形、石の配置、水の道筋、そして――雪見と、目隠しの両立。
これが、案外むずかしい。開ければ雪は見えるが、風は通るし、外からも丸見えだ。かといって囲いこめば、せっかくの景色が死んでしまう。
板塀の高さを何度も描き直して、腰から下は囲い、目の高さから上は開ける、という折衷案にたどり着いた。座って湯に浸かれば、雪だけが見える。立ち上がれば、ちゃんと隠れる。
「……これなら、いけるか」
書き上がった図面を、少し離して眺めてみる。
思ったより、いけそうだ。無謀な夢なんかじゃない。石も、木も、水も、火も、当てがある。勾配も足りている。ちゃんと、作れる。
ただの、俺専用の風呂だ。誰に見せるわけでもない、山奥の、一人ぶんの贅沢。
それでも、この一枚の絵が、春を待つ立派な理由になっていた。
窓の外では、雪がまだ、しんしんと降り続いている。




