第91話
夜半から、風の音が変わった。
昼のうちはしんしんと静かに降っていた雪が、日が落ちるにつれて荒れ出した。山ぜんたいが、低く唸っている。
木々のざわめきを飲み込んだ風が、古民家の壁をどうと叩き、雨戸をがたがたと揺らす。窓に目をやれば、雪が横殴りに叩きつけていた。粉のような雪が、闇の中を弾丸みたいに水平に飛んでいく。積もるというより、殴りかかってくる雪だ。
「こりゃ、本気の吹雪だな」
俺は薪ストーブの前にあぐらをかいて、その音にしばらく耳を澄ませた。壁の一枚向こうは、まるで海が荒れているような轟音だ。古い柱がみしりと軋んで、家ぜんたいが大きな生き物みたいに、風に抗って踏ん張っている。山の一軒家で、猛吹雪。字面だけ見れば、なかなかの遭難ものだ。
そのときだった。天井の電球が、ふっと暗くなった。
一度、二度。頼りなげに明滅して、みるみる橙色に痩せていく。風が電線をどこかで嬲っているのか、光がひゅっと細くなって、部屋の隅にたまった闇がぐいと押し寄せてくる。
「お、来たか。停電、しかけてるな」
言ったそばから、電球はぷつりと力尽き、じじ、と唸ってまた点いた。虫の息だ。もう、いつ落ちてもおかしくない。
◇◇◇
それでも、俺は慌てなかった。
立ち上がって、ストーブの焚き口をそっと開ける。中では薪が真っ赤に熾って、ごうごうと元気に燃えていた。橙の光が床板を舐め、部屋の芯までじんわりと暖かい。外の吹雪がどれだけ吠えようと、この鉄の箱の中の火だけは、びくともしない。
そして、暗がりの中に、ほのかな灯りがいくつも浮かんでいた。
柱の陰、水がめのふち、天井の梁。家のあちこちで、小さな光がやわらかく瞬いている。停電しかけた薄闇を、その灯りが、蛍を集めたみたいに静かに照らしていた。
「あるじ、まっくらは、こわいの?」
肩のあたりで、寝ぼけたコロがまんまるの目をこすっている。冬眠しかけの苔玉が、俺を気づかって、うっすら緑の光をともしていた。
「こわかないよ。ほら、こんなに明るい」
俺は笑って、指先でコロの頭をつついた。ストーブの前に、いつのまにか四匹が集まってきている。水盆のスイが、ぷるりと澄んだ青い光を放ち、焚き口のわきではエンが、尻尾の火をぱちぱちと機嫌よく躍らせていた。作業台のモクまで、渋い顔のまま、葉の羽をほのかに光らせて梁から下りてくる。
「あるじ、火なら任せろだぜ! オレがいる限り、この部屋は絶対あったけえからな!」
「頼もしいな、エンは」
「フン。柱は俺が見ておいた。この程度の風で倒れる組み方はしとらん。……安心して寝ていろ」
モクがそっぽを向いて、ぶっきらぼうに請け合う。口は渋いが、家の心配をいちばんしているのはこいつだ。
部屋を見回す。電気は虫の息、外は猛吹雪。それでも火は赤々と燃え、灯りは家じゅうに満ちている。寒くも、暗くもない。
「……電気が止まっても、火と灯りがある。この暮らし、意外と災害に強いな」
思わず、口に出していた。水は井戸、火は薪、灯りは——まあ、こいつらだが、街から線を一本引かれていなくても、この家は勝手に回っていく。
考えてみれば、昔の人はみんな、こうやって冬を越していたのだ。火を焚いて、灯りをともして、猛吹雪の夜をやり過ごす。俺のやっていることは、その真似ごとにすぎない。別に、特別でも何でもない。
◇◇◇
やかんをストーブに載せ、生姜をすりおろした葛湯をこしらえた。とろりと甘くて、喉から腹まで、じんわり熱が落ちていく。外の轟音を聞きながらすする一杯は、これがまた、妙にうまい。
「あるじ、その湯気……とても、しあわせそうな匂いがしますわ」
盆のふちで、スイが羨ましげにゆれる。
「飲むか?」
「わたくしは、湯気だけで結構ですわ。……ふふ、あったかい」
スイが青い光をふわりと明るくして、湯気にそっと身を寄せた。
膝にはいつのまにかコロが転がり込んで、また眠そうにしている。エンはストーブの熱に腹を炙って伸びをし、モクは梁の上で腕を組んだまま、風の音に耳を澄ませていた。四匹そろって、寒くて心細い夜だからか、いつもより俺のそばに、ぴたりと身を寄せ合っている。
窓の外では、あいかわらず吹雪が吼えている。世界には、この荒れ狂う音のほかには、何もないみたいだ。でも、この部屋の中だけは、火の音と、湯の沸く音と、コロの寝息で満ちている。
電球が、じじ、と最後の抵抗をして、とうとうふっと消えた。完全な停電だ。
だが、闇は落ちてこなかった。ストーブの赤と、四つのほのかな灯りが、部屋をやわらかく抱いたままだった。誰も、慌てない。コロは寝息すら乱さない。
「……落ちたな、電気」
「あるじ、こまった?」
「いや。ちっとも困らない」
俺は葛湯を飲み干して、火のそばに寝ころんだ。天井を見上げると、精霊たちの灯りが、星みたいにゆらゆら揺れている。荒れた夜の底で、ここだけが、まるで小さな灯台のようだった。
「こういう荒れた夜も……独りじゃないと、悪くないもんだな」
しみじみと、そう呟いていた。
去年の今ごろ、都会のワンルームで、風の音に一人で耳をそばだてていた冬を、ふと思い出す。あの頃なら、こんな吹雪の夜は、心細くて眠れなかったに違いない。
それが、どうだ。荒れれば荒れるほど、こいつらはこうして、俺のそばに寄り集まってくる。もう不安はどこにもない。火があって、灯りがあって、この賑やかな相棒たちがいる。それだけで、この夜は、じゅうぶんに温かい。
膝のコロが、寝返りをうって、俺の腹に額をこすりつけた。
俺はその小さなあたたかさを手のひらで受けとめて、猛吹雪の轟音を子守唄がわりに、ゆっくりと目を閉じた。




