第9話
家の裏手に、これまで見て見ぬふりをしてきた納屋がある。母屋の片付けが一段落したので、今日はいよいよ、そこに手をつけることにした。
引き戸に手をかけると、立てつけの悪い板がぎしりと軋んで、渋々といった様子で横に滑った。中から流れ出してきたのは、埃と、古い木と、かすかな油の匂い。長いこと閉じきっていた場所特有の、乾いて埋もれたような匂いだ。
嫌いじゃない。むしろ、宝箱を開ける前のわくわくに近い。
窓を開けて光を入れると、物置と化した納屋の全貌が見えてきた。前の持ち主が置いていったらしい古い農具、味のある木箱、用途のわからない民具の数々が、埃をかぶって静かに眠っている。
都会暮らしの俺なら、こういうのは一目見て「粗大ごみ」と判定していたはずだ。
でも今は違う。埃の下から出てくる一つひとつを、まずは手に取ってみることにした。柄の握りが手に馴染む鍬、細かい仕事に使えそうな古い鉈、四隅をしっかり組んだ木箱。どれも、雑に作られたものが一つもない。
「これ、まだ使えるだろ。もったいない」
俺は腕まくりをして、再生作業にとりかかった。
まずは錆だ。鍬の刃も鉈も、表面がうっすら赤茶けている。とはいえ芯までは食われていない。ワイヤーブラシでこすると、しゃりしゃりと乾いた音を立てて赤錆が落ち、下から鈍い鉄の地肌が顔を出してきた。
この「隠れていた本体が出てくる」感じが、たまらない。
錆を落としきったら、次は油だ。刃物には刃物用の、金具にはミシン油を、少しずつ含ませて馴染ませていく。乾いてかさついていた金属が、油を吸ってしっとりと落ち着いていくのが、指先から伝わってくる。
最後は木の部分を磨く番だ。柄や箱の表面を、目の細かい紙やすりで根気よくなでていく。ささくれが取れ、灰色にくすんでいた木肌の下から、ほんのり艶のある木目が浮かび上がってきた。
仕上げに乾いた布で拭くと、古道具たちは見違えるように甦った。
◇◇◇
それにしても、と手を止める。今日はやけに、直りがいい。
固まって抜けないと思っていた木箱の楔が、軽く叩いただけですっと外れる。ぐらついていた鍬の柄も、締め直したら妙にぴたりと収まった。木でできた道具に限って、こちらの意図を先回りするみたいに、素直に応えてくれる。
「腕が上がったのかな。……いや、そんなわけないか」
まあ、道具の機嫌がいい日というのは、あるものだ。俺はそう納得して、また手を動かした。
磨き上げた農具を壁に掛け、木箱を棚に戻す。がらくたの山だった納屋が、少しずつ「現役の道具置き場」に変わっていく。
物を、直して、使い切る。当たり前のことのはずなのに、都会にいた頃の俺は、壊れる前からもう次を買う算段をしていた。
ここでは、その感覚がまるごと引っくり返る。手をかけた分だけ、道具が長く付き合ってくれる。
「物を大事に使い切るのって、いいもんだな」
誰にともなく呟いて、俺は納屋のいちばん奥へ進んだ。
◇◇◇
棚の裏、壁との隙間に、油紙にくるまれた薄い包みが差し込まれていた。
埃を払って開くと、中から出てきたのは一枚の古い紙だ。墨で書かれた文字はところどころ掠れていたが、目を凝らすと、どうにか読み取れた。
いわく——昔この地には小さな祠があり、山の神を祀っていた。実り豊かなこの山を、代々ありがたく守り継いできた、と。そんな土地の言い伝えが、丁寧な字で書き残されていた。
「へえ。祠、ね」
ずいぶん古そうだ。今はもう、それらしいものはどこにも残っていない。
ただ、読みながら、ふと心当たりが浮かんだ。あの直売所を建てた庭の隅——なぜだか妙に据わりがよくて、作業していても不思議と落ち着く、あの一角だ。
もしかして、あそこが祠のあった場所なのかもしれない。
まあ、確かめようもないし、深く考えることでもない。それでも、代々この山を大事にしてきた人たちがいたのだと思うと、なんだか背筋が伸びる気がした。
俺はその紙を、母屋の神棚にそっと上げることにした。
埃を払った神棚に言い伝えの紙を供え、俺は手を合わせる。畑はよく育つし、飯はうまいし、顔も知らない常連さんまでついた。考えてみれば、この山に来てから、いいことばかりだ。
「まあ、山の神様のおかげで、いい暮らしができてるのかもな」
我ながら、ずいぶん都合のいい信心だ。それでも、言葉にしてみると、しっくりくるから不思議だった。
パン、と乾いた柏手が、静かな家の中に響く。
甦った古道具たちが、夕日を受けて鈍く光っていた。明日からは、こいつらと一緒に畑仕事だ。宝物は、案外こういう埃の下に埋まっているものらしい。
◇◇◇
誠が神棚に手を合わせたころ、磨き上げられた木箱の陰で、渋い顔がひとつ、そっぽを向いていた。
葉っぱの羽を持つムササビ妖精。木と風の精霊、モクだ。
「フン。楔がすんなり抜けただの、柄がぴたりと収まっただの……当たり前だろうが。誰が手を貸してやったと思っている」
固まった継ぎ手を、内側からそっと緩めてやったのはモクだった。くすんだ木肌の目を読んで、あの男の紙やすりが走る先を、ほんの少しだけ導いてもやった。腕が上がったなどと本気で首をかしげていたのが、我ながらおかしい。
それなのに、あの男ときたら。
「……山の神様の、おかげ?」
パン、と乾いた柏手が鳴る。なんだかくすぐったくて、モクは腕を組んだまま、ふいと横を向いた。神様なんて大層なものじゃない。ただ、木を粗末にしない男は、嫌いじゃないというだけだ。
「勘違いも甚だしいわ。……まあ、悪い気はせんがな」
夕日を受けて鈍く光る古道具たちの上で、名もない小さな光がいくつも、照れ隠しのように、ちらちらと瞬いていた。




