第87話
雪はもう三日、降っていない。それでも庭の雪は、まだ膝の上まで残っている。
晴れた朝の日差しを受けて、一面が眩しいほど白い。歩けばきゅっきゅっと鳴る、締まった上等の雪だ。
この雪も、じきに解けてしまうのか。そう思うと、なんだか名残惜しくなった。
……いや、待てよ。せっかくこれだけ積もってるんだ。
子どもの頃、雪国の親戚の家で見た、あの丸い雪の家。あれを、作れるんじゃないか。
思い立ったら、体が動く。スコップを担いで、俺は庭の真ん中に陣取った。
まずは土台だ。雪を掻き集めて、山を作る。ただ盛るだけじゃ崩れるから、スコップの背でぺたぺたと叩いて固めていく。
ぎゅっ、ぎゅっ、と雪が締まる感触が、手のひらに返ってくる。要は締めて、大きなかまぼこ型の塊を作ればいい。焦らず、盛っては叩き、盛っては叩く。
肩のあたりが、もぞもぞした。見ると、苔玉みたいなコロが、まんまるの目で雪の山を見上げている。
「あるじ、これ、なあに? おやま、つくるの?」
「かまくら、って言うんだ。雪で作る、小さな家だよ」
教えてやると、コロは「おうち……」と嬉しそうに、雪の上をころころ転がっていった。
◇◇◇
小一時間かけて、俺の背より少し低いくらいの雪山ができた。ここからが本番だ。
正面に、腹ばいで入れるくらいの穴を開けて、中の雪をひたすら掻き出していく。外の眩しさが嘘みたいに、中はほの暗く、青みがかっていた。
掘るほどに、空間が広がっていく。壁を内側から叩いて締めて、天井が落ちてこないよう、丁寧にドーム型へ整えた。
掘り終えたら、床に茣蓙を敷く。冷たい雪の上に一枚あるだけで、ぐっと居心地がよくなった。
仕上げに、七輪を持ち込む。炭を熾して、切り餅を網に並べた。
エンが、待ってましたとばかりに七輪の縁に飛び乗ってくる。
「あるじ、餅か!? いいねぇ、オレに任せろって!」
「ああ、頼むよ。焦がすなよ」
火の精霊が張りきると、炭火の熾りが、すっと素直になる。餅は網の上でふっくらと白く膨らみ、やがて表面に、きつね色の焦げ目が散った。
ぷう、と餅が膨れて、香ばしい匂いが狭いかまくらに満ちる。醤油を垂らせば、じゅっと音を立てて、たまらない香りが立ちのぼった。
もう一方の網の端では、小鍋で甘酒を温めている。ふつふつと湯気が立って、甘い米の匂いが、餅の香ばしさと混ざり合った。
その湯気の縁で、スイがぷかぷかと機嫌よく揺れている。
「あるじ、この甘いの、いい匂いですわねぇ」
湯呑みに甘酒を注いで、焼けた餅にかぶりつく。外はカリッ、中はとろりで、醤油の香ばしさが口いっぱいに広がった。
甘酒をひとくちすすれば、体の芯から、じんわり温まっていく。
……ふと、我に返る。
三十路手前の男が、一人で、雪山で、かまくらを作って、餅を焼いている。
「……字面は、かなりヤバいな、これも」
夏の流しそうめんのときも思ったが、俺の季節の過ごし方は、どうも字にすると事案の香りがする。
でも、楽しいんだから、いいんだよ。誰も見てないし。
――もっとも、その「誰も見てない」は、少しばかり事実と違っていた。
狭いかまくらの中は、思いのほか賑やかだったのだ。エンは七輪の番を気取って炭のそばに陣取り、コロは茣蓙の上でまんまるに転がり、スイは甘酒の湯気にうっとりしている。
モクまで、いつのまにか天井を点検するように腕を組んでいた。
「フン、この掘り方……素人にしちゃ、悪くない天井だ」
入り口の丸い穴からは、名もない小さな光がいくつも、物珍しそうに出たり入ったりしている。初めてのかまくらが、よほど面白いらしい。
◇◇◇
餅を食べ終えて、俺は茣蓙の上に腰を落ち着けた。
外では、また雪がちらつき始めたらしい。丸い入り口の向こうで、白い粒がゆっくり舞っている。
不思議なくらい、静かだった。雪の壁が、外の音を残らず吸い込んでしまう。風も、鳥の声も届かない。
ただ、七輪の炭がぱちりと爆ぜる音だけが、すぐそばで小さく響く。
それでいて、中はほんのりと温かい。七輪の熱が雪の壁に囲われて、外へ逃げずにこもっているのだ。手をかざせば、じんわりと伝わってくる。
雪の壁に、そっと手のひらを当ててみた。冷たい。当たり前だ、雪なんだから。それなのに、この部屋はこんなに温かい。
「……雪って、冷たいのに、こうすると温かいんだよな。不思議だ」
冷たいものが、俺を寒さから守ってくれている。そう思うと、なんだか可笑しくて、あたたかい気持ちになった。
湯呑みに残った甘酒を、ゆっくりと飲み干す。
じきに解ける雪も、こうして一日、贅沢な家になってくれた。それで十分だ。名残惜しさは、いつのまにか、どこかへ消えていた。
エンが炭のそばで、満足そうに尻尾の火を揺らしている。コロは、いつのまにか俺の膝で、すうすうと寝息を立てていた。




