第75話
初冬の朝の光が、納屋の高窓から斜めに差し込んでいた。
俺は戸を引いて中へ入り、思わずその場で足を止めた。ひんやりとした薄暗がりの中に、この秋ずっと仕込み続けてきたものが、ぜんぶ並んでいる。
棚の奥には、味噌を詰めた樽がふたつ。重石を乗せた蓋の下で、来年の食べ頃に向けて、じっくり眠っているところだ。
その手前には、ぬか床の甕。ふたを開けると、乳酸の効いた鋭い匂いがつんと立って、俺は反射的に鼻を鳴らした。大根も白菜も、いい塩梅に漬かっている。
梁から吊るした縄には、干し野菜がずらりと連なっていた。輪切りの大根、割いたきのこ。水分の抜けた分だけ、味も匂いも、ぎゅっと濃く縮んでいる。
壁ぎわの網には、燻したベーコンとチーズ。飴色の塊から、まだかすかに桜の煙の香りが漂ってくる。その隣では、開いた魚の干物が板に並び、手前のざるには、粉を吹いた干し芋がねっとりと積まれていた。
……いや、これは。
「一人分にしては、さすがに作りすぎたな」
俺は腕を組んで、ずらりと並んだ蓄えを見渡した。冷蔵庫の中身どころの話ではない。ちょっとした乾物屋の在庫みたいになっている。
まあ、常連さんもいることだし、余った分は出せばいいか。そう自分に言い聞かせて、俺はひとつうなずいた。
都会にいた頃は、冬支度なんて言葉すら使わなかった。腹が減ればコンビニで買って、腐る前に食う。それだけの暮らしだった。
それが今は、秋のうちに手を動かして、冬のぶんの飯を丸ごと蓄えている。棚がずっしり埋まっていく、この安心感。雪で山を降りられない日が続いても、これならなんとかなる。その手応えだけで、もう半分は冬を越したような気分だった。
◇◇◇
俺が満足げに蓄えを眺めていると、足もとの気配がそわそわと騒がしくなった。
見れば、肩の上にいつのまにかコロが乗っている。両手大のモフモフした苔玉が、まんまるの目で樽やらざるやらを見回して、うっとりと身を震わせていた。
「あるじ、いっぱいだねぇ……ぜんぶ、ぷりぷりに実ったやさいなの」
「そうだな。お前が肥やしてくれた畑のおかげだよ」
「えへへ、なの」
得意げに、コロが俺の肩でぴょこんと跳ねた。自分の育てた野菜が蓄えになっているのが、よほど誇らしいらしい。
ぬか床の甕のふちでは、スイが半透明の体をぷるぷる揺らしていた。水面のように光を反射しながら、漬物の甕をのぞきこんでいる。
「この漬物、傷みひとつありませんわ。わたくしが、ちゃあんと浄めておきましたもの」
「道理で、ぬか床の調子がいいわけだ。助かるよ、スイ」
「ふふ。冬のあいだも、まかせてくださいまし」
澄まして、スイがひとつ大きく波打った。漬物樽がこの秋ずっと崩れなかったのは、こいつのおかげでもあるのだろう。
燻製の網のそばでは、エンが尻尾の火をぱちぱち跳ねさせていた。手のひら大の赤いサラマンダーが、飴色のベーコンを見上げて、鼻をひくつかせている。
「このけむり、オレがいい感じにしてやったんだぜ! うまそうだろ!」
「ああ、大活躍だったな。お前が火加減を見てくれたから、いい色に仕上がった」
「だろ、だろ!」
誇らしげに、エンが網の下でくるりと一回転する。燻製の火の番は、たしかにこいつの独壇場だった。
棚のいちばん上では、モクが腕を組んで座っていた。葉っぱの羽を持つムササビが、ずらりと並んだ蓄えを、渋い顔でぐるりと検分している。
「フン。……よく集めたもんだ。これだけありゃ、この家は冬に負けやしねえ」
「珍しく素直に褒めるじゃないか、モク」
「褒めてはいない。備えができてる、と言っただけだ」
言いながらも、モクの声には、どこか満足げな響きがあった。
四匹そろって、まるで自分の蓄えみたいに、うれしそうにしている。俺が冬を越せることを、我がことのように喜んでくれているのが、なんだかくすぐったかった。
「ありがとうな、みんな。おかげで、いい冬支度になったよ」
俺がそう言うと、四匹はそろって顔を見合わせ、それからいっそう誇らしげに胸を張ってみせた。
◇◇◇
蓄えがあり余っているのは、はっきりしている。
というわけで、俺はいつものように、作りすぎた保存食を庭先の直売所に並べてみることにした。漬物を小分けにし、燻製を包み、干し芋を袋に詰めて、品書きを添えて棚に置く。
こんな山奥に人が通るはずもないのに、律儀に「ご自由にどうぞ」の板まで立てておく。まあ、気は心だ。
ところが、である。
翌朝、顔を洗いに出た俺は、直売所の前でまた足を止めた。並べたはずの保存食が、きれいさっぱり消えている。漬物も、燻製も、干し芋も、ひとつ残らず、だ。
しかも、料金箱がわりの缶には、見慣れないコインがずっしりと積まれ、そのわきに毛皮やら、夜にほのかに光る石やらまで、うやうやしく添えられていた。前より、数も、種類も、明らかに増えている。
「……また、豪勢だなあ」
俺はコインをつまんで、陽にかざした。鈍い金色の、見たこともない紋様のやつだ。生鮮の野菜のときより、明らかに立派な対価が置かれている。
しかも、出すそばから消えていく。試しに昼のうちにもう一度並べてみたら、夕方には、また空っぽになっていた。
「そんなに人気なのか、俺の漬物と燻製」
俺は缶の中の石を、指先でころりと転がした。都会のスーパーに行けば、漬物も燻製も棚いっぱいに売っている。俺が作ったのは、田舎の、素人の手作りだ。それが、こんなにありがたがられる理由が、正直よく分からない。
「田舎の手作りが、そんなに珍しいのかな」
首をかしげながら、俺は缶をそっと元に戻した。まあ、喜んでもらえるなら、作った甲斐があるというものだ。余った分は、これからも出せばいい。蓄えは、あり余るほどあるのだから。
俺は空になった棚を眺めて、ひとつ伸びをした。冷たく澄んだ初冬の空気が、肺の奥まですっと届く。
今年の冬は、どうやら、ひもじい思いをせずにすみそうだ。自分のぶんも、常連さんのぶんも。そう思うと、寒空の下でも、腹の底がぽかぽかと温かかった。




