第71話
朝の光がまだ薄い青を残すうちに、俺は軒下で木槌を握っていた。
組んでいるのは薪棚だ。ストーブが据わった以上、割った薪を雨から守って、風通しよく積む場所がいる。二×四材で枠を立て、屋根を斜めにかけ、床は地面から浮かせる。図面はなし、頭の中で組む。
こういうものは、凝りすぎないほうがいい。雨がしのげて、薪が乾けば、それで六十点。合格だ。
柱を立て、桁を渡し、屋根板を打ちつける。とんとん、と乾いた音が朝の山に響いて、なんだか気持ちがいい。
「フン。……その筋交い、一本足りん」
作業台の上で腕を組んでいたモクが、渋い顔でぼそりと言った。葉っぱの羽を持つムササビが、俺の手元を職人の目でじろりと見ている。
「お、鋭いな。斜めの突っ張りだろ。ちゃんと入れるよ」
「フン。……分かってるなら、いい」
言葉は渋いが、こいつが見ていてくれると、不思議と寸法が締まる。筋交いを一本渡すと、棚はぴたりと揺れなくなった。よし、これで骨は決まりだ。
棚ができたら、あとは薪を積むだけだ。先日えっちらおっちら割った薪を、一本ずつ運んで、端から積みはじめた。
これが、やってみると存外に楽しい。木口を手前にそろえ、隙間なく、けれど風が抜けるように。角を井桁に組んで締めると、崩れにくくきれいに立ちあがる。一段、また一段、薪の壁が朝日を受けて飴色に光っていく。
「うん、我ながら、いい積みっぷりだ」
整然と並んだ木口を見ていると、妙な達成感がこみ上げてくる。うずたかいタスクを一件ずつ片づける、あの快感に近い。ただしこっちは消えないし、あとに残る。画面の数字より、よほど手ごたえがあった。
◇◇◇
昼過ぎ、家の中に戻ると、黒々とした鋳鉄のストーブが、部屋の主のような顔でじんわり熱を放っていた。この一台が来てから、古民家の暮らしは、まるきり様変わりしてしまった。
まず天板だ。アルミ箔で包んだサツマイモを転がしておくだけで、じっくり火が通って、甘い蜜がにじんでくる。焼き芋がおやつに勝手にできあがる家。悪くない。
鉄瓶も一緒に載せておけば、湯はいつでもたぎっている。窓ぎわに渡した物干し竿では、洗濯物も乾いた。外は乾きにくい季節でも、ストーブの熱気だけで、厚手のシャツがふっくら仕上がる。
そして天板の端では、根菜と大豆の煮込みが、ことこと、ことこと、静かに湯気を上げている。ほうっておくほど味が染みる料理と、薪ストーブの相性は抜群だった。
俺は鍋の蓋を持ち上げて、しみじみ思った。
「一台で、暖房も、調理も、乾燥も、か。……これ、めちゃくちゃ働き者じゃないか」
役割の決まった電化製品を何台も並べて暮らしていた去年までが、なんだか嘘みたいだ。ここでは、この黒い鉄の塊が、たった一人で全部こなしている。
「惚れ直すな、鉄本さんの仕事に」
思わず、口に出していた。火花を浴びて鉄を打つ、あの頑固な男の背中が浮かぶ。普通の薪ストーブが、ここまで何もかも器用にこなすものだろうか。あの人の腕は、やっぱり並じゃない。
一つの道具を、余すところなく使い切る。この贅沢は、たくさん持つことより、たぶん豊かだ。
◇◇◇
気がつくと、ストーブの周りには、賑やかな顔ぶれがそろっていた。
炎の中では、エンがくるくると機嫌よく踊っている。赤いサラマンダーが、薪の爆ぜる音に合わせて、尻尾の火をぱちぱち跳ねさせていた。
「ここ、さいこうだぜ、あるじ! いちんち、ぬくぬくしてられる!」
「お前は火の中が定位置だもんな」
天板のわきでは、コロが苔玉の体をまるめて、うとうとと目を細めている。乾いた暖かさが、土の精霊にはよほど心地いいらしい。
「あったかくて、ねむくなるの……」
鉄瓶のそばには、スイがぷかりと浮いていた。立ちのぼる湯気を浴びて、半透明の体を暖かげにゆらしている。
「お湯の加減、わたくしが見ておきますわ。あるじは、ゆっくりなさって」
モクは洗濯物の下で腕を組み、乾いていくシャツを検分するように見上げていた。
「フン。……この乾き方は、悪くない」
寒い季節に、この一角だけは、いつもほんのり明るくてあたたかい。夏は縁側が相棒たちの集まる場所だったけれど、冬は、ここが新しい憩いの場になったらしい。火のそばでまどろむみんなを見ていると、俺まで眠くなってくる。
◇◇◇
夕方、煮込みを一杯よそって、ストーブの前で食べた。とろとろに煮えた根菜が、口の中でほろりとほどける。窓の外はもう暗くて山は冷えているのに、この部屋だけは、まるで別世界みたいにあたたかい。
暖房のことは、これでもう心配ない。ストーブがあって、薪棚に薪が積まれて、冬支度の要は片づいた。器を置いて、俺はふうと息をつく。それから、ふと思った。
「暖房はよし。冬支度、あとは……食べ物だな」
薪が燃える音を聞きながら、頭の中で段取りを組みなおす。この山は、雪が積もれば麓へ下りられない日もあるだろう。買い出しに行けなくても困らないだけの、蓄えがいる。
「保存の効くもの、腹にたまるもの。……そろそろ、本気で仕込む季節だな」
膝の上には、いつのまにかコロがよじ登ってまるくなっていた。俺はその小さなあたたかさを手のひらで受けとめて、爆ぜる火を、しばらく眺めていた。




