第7話
朝の見回りで畑に下りると、緑の葉の陰から、真っ赤な玉がいくつも顔を出していた。
植えたときはひょろりと頼りなかったトマトの苗が、いつのまにか俺の胸ほどの高さに育ち、たわわに実をつけている。手のひらに一つ包み込むと、日を浴びてほんのり温かく、指先にずしりと重い。
プランターでちまちま育てていた都会の頃とは、そもそも実の数が違う。あの頃は一株から数個も採れれば上等だったのに、ここのトマトは枝がしなるほど鳴っている。
「土がいいのか、日当たりか。……とにかく、よく育つな、うちの畑は」
俺は感心して呟いた。世話らしい世話といえば水をやったくらいで、あとは勝手に育ってくれたようなものだ。まあ、山の恵みというやつだろう。深く考えても仕方ない。
いちばん赤く熟れた一つを、へたのきわで軽くひねる。ぷつり、と小気味いい音を立てて、実が枝から離れた。
採れたてを味わうなら、まず冷やすに限る。
俺は籠に盛ったトマトを一つつまみ、井戸端へ向かった。滑車で釣瓶を落とし、冷たい水をたっぷり張った桶に、赤い玉をそっと沈める。山の湧き水は真夏でも身が締まるほど冷たくて、水面越しに見るトマトが、つやつやと宝石みたいに揺れた。
しばらく待って、引き上げる。表面に細かな水滴がびっしりとまとわりつき、赤がいっそう濃く、深く冴えて見えた。
鼻先へ近づけると、青くて若い、畑そのものみたいな匂いが立つ。青臭さの奥から、熟れた甘い香りがふわりと顔を出してきて、それだけで喉がごくりと鳴った。
もう、待てない。俺は水も滴るその一玉に、そのままかぶりついた。
皮がぷつっと弾けた瞬間、冷えた果汁がぶわっと口いっぱいにあふれ出す。手首を伝って垂れるのもかまわず、俺はひと口、ふた口と夢中で頬張った。
濃い。とにかく味が濃い。酸味はほんのり後ろに控えて、かわりに、日向で凝ったような甘みが舌の真ん中で弾ける。冷たさが甘さを引き締めて、青い香りが鼻へ抜けていく。
「うまい……。スーパーのとは、もう別物だな。これが採れたてか」
誰もいない井戸端で、俺は間抜けにそう漏らしていた。塩もいらない。ドレッシングもいらない。ただ冷やして齧るだけで、これほどのごちそうになるとは思わなかった。
残りの実も、これなら喜ばれるだろう。俺は満足して、籠を抱え直した。
◇◇◇
余ったぶんは、いつものように庭の隅の直売所へ並べる。
真っ赤に磨いたトマトを籠にこんもり盛り、品書きの札を立てかけた。据わりのいい、妙に落ち着くこの一角に、赤がよく映える。我ながら、なかなか立派な店構えになってきた。
「ただの家庭菜園のトマトだよ。……なんで、こんなに喜ばれるのか、さっぱりだけどな」
このところ、俺の置いた野菜はどれもきれいさっぱりはけていく。とりわけ実の類は人気らしく、いつも真っ先に消えていた。田舎じゃ、採れたての野菜なんて誰の家でも余っていそうなものなのに。
まあ、食べきれずに持て余すよりは、誰かの腹に収まったほうがずっといい。もらってくれる人がいるのはありがたい話だ。俺は札の傾きを直し、家へ引き上げた。
その夜は、余ったトマトを刻んで冷や汁にし、かまど炊きの飯にかけて流し込んだ。火加減はなぜか今日もちょうどよく、飯は一粒ずつ立っていて、腹の底まで穏やかに満ちていった。
◇◇◇
翌朝、顔を洗いに出た俺は、料金箱を覗いて目をしばたたいた。
いつもの見慣れないコインに混じって、これまでで一番大ぶりの金貨が、どんと鎮座している。鈍い金色に、細かな紋様がびっしりと刻まれた、明らかに格の違う一枚だった。
つまんで陽にかざす。ずっしりと重く、縁の意匠まで丁寧に作り込まれている。野菜一籠の礼にしては、どう考えても釣り合いが取れていない。
「トマト一つに、これか。……そんなに人気なのか、うちのトマト」
俺はしばらく金貨を眺めてから、ふっと笑って小物入れに放り込んだ。値打ちはさっぱりわからないが、律儀な常連さんの気持ちなのだろう。使い道もないし、記念にとっておこう。
それにしても、これほど喜ばれるとは。畑の隅で赤く鳴っているトマトを思い浮かべて、俺はひとつ頷いた。
「よし。来年は、トマトをもっと植えるか」
朝日の下、畑ではまた新しい実が、ゆっくりと赤みを増しはじめていた。
◇◇◇
誠が家へ引き上げたあと、トマトの根もとで、ころりと丸いものが揺れた。
両手に乗るくらいの、モフモフした苔玉。土と植物の精霊、コロだ。
「あるじ、いっぱい食べてくれたねぇ。うれしいなの」
まんまるの目を細めて、コロはうんと胸を張った。この畑の土を、毎日せっせと肥やしてきたのだ。ヘタで作ったいいにおいの堆肥を根っこへそっと届けて、実の一つひとつに、甘い甘いをたっぷり詰め込んで。だから、あんなにぷりぷりに育ったのに。
なのに、あるじときたら「ただの家庭菜園のトマトだよ」なんて言う。ぜんぜんちがうのに。
「コロが、がんばったんだよぉ」
でも、と苔玉はぽふりと畝に転がった。あるじが冷えたトマトにかぶりついて、「うまい」と間抜けな顔でこぼしたとき。あれを思い出すと、自分の体まで、ぽかぽかとあたたかくなってくる。褒められたのは畑なのに、まるで自分のことみたいで。
「来年は、もっとひろげてくれるの……? うれしいなの」
あるじには、コロの声はまだ届かない。届かないけれど、その足もとで、若い苗がひとつ、ちいさく芽を伸ばした。




