第6話
買い出しから戻って荷を下ろすたび、俺は庭の隅のあの棚が、だんだん気になりだしていた。
傾いた古棚に板きれを渡しただけの、ほんの間に合わせの直売所だ。雨が降れば野菜は濡れるし、風が吹けば料金箱の缶が転がる。あれで毎回きっちり対価を置いていってくれる常連には、正直、少しばかり申し訳が立たない。
せっかく通ってくれる相手がいるのだ。どうせなら、もう少しちゃんとした店にしてやりたい。
「よし、いっそ建て直すか」
そう口に出したら、久しぶりに、体の奥のほうがむずむずと動きだした。前の仕事で染みついた癖で、俺はまず頭の中に要件を並べていく。雨に強いこと、風で飛ばないこと、料金箱が濡れないこと。この三つが揃えば、まあ六十点は取れる。
仕様さえ決まれば、あとは実装するだけだ。無心で土を耕すのもいいが、こういう段取りを詰める作業のほうが、たぶん俺の性には合っている。
◇◇◇
翌日、軽トラで麓のホームセンターへ下りた。屋根の波板、柱になる角材、防腐塗料。売り場を回りながら、頭の中で寸法をかちかちと組み上げていく。
木材のことをレジで相談すると、店員のおじさんが、山向こうに腕のいい製材所があると教えてくれた。本気でいい木を使うなら、あそこを訪ねるといい、と。
へえ、と俺は相槌を打つ。今回は端材で十分だが、いつか本腰を入れるときは、覗いてみるのも悪くないかもしれない。頭の隅に、そっと書き留めておく。
山へ戻り、さっそく取りかかった。まずは古い棚を解体し、地面をならして、柱を立てる位置に杭を打つ。ここから先は、一人の現場だ。
角材に鉛筆で墨をつけ、のこぎりを当てる。ぎこ、ぎこ、と小気味いい音が響いて、切り口から真新しい木の断面が現れた。すっと鼻をくすぐる、青くて甘い、木の匂い。これだ。この匂いだけで、もう気分が乗ってくる。
一日じゅうモニターを睨んでいた頃には、まるで縁のなかった手応えだった。
問題は屋根だ。雨をきれいに流すには、それなりの勾配をつけてやらないといけない。俺は軒の高さと奥行きから傾きを割り出し、板を切る角度をノートに書き出していく。こういう計算だけは、昔取った杵柄で、我ながら手が早い。
しかし、妙な日だった。この日はやけに作業が捗るのだ。
手を伸ばした先に、ちょうど使いたい工具が転がってくる。一人では難儀するはずの太い角材が、持ち上げてみると不思議と軽い。足りないと思ったネジも、箱の底をさらえば、ちゃんと最後の一本が出てくる。
「今日は、やけに調子がいいぞ」
道具と喧嘩せずに済むと、仕事はどんどん前へ進む。柱が立ち、梁が渡り、屋根の骨組みが少しずつ形になっていく。継ぎ手をはめ込むたび、木と木がかっちり噛み合う確かな手応えが、手のひらに返ってきた。
夕方には、屋根つきの立派な直売所が出来上がっていた。波板の下に棚板を三段渡し、いちばん下の乾いたところに料金箱を据える。これなら雨でも濡れないし、風で飛ばされる心配もない。
最後に板きれを一枚。以前と同じ「ご自由にどうぞ」の文句を墨で書いて、軒下にことりと吊るした。
一歩下がって、出来栄えを眺めてみる。あの傾いた古棚とは、もう比べ物にならない。
「……まあ、六十点は、超えたかな」
我ながら、ちょっと出来過ぎな気がして、少し照れくさくなる。まさかこの手作りの棚ひとつが、山ひとつ向こうの——いや、もっとずっと遠いどこかの誰かの暮らしを、たった一枚の窓のように支えているなんて。そんな大それたことは、当然、知る由もなかった。
俺はただ、常連さんが喜んでくれたらいいな、くらいのつもりだったのだ。
◇◇◇
翌朝、顔を洗いに出た俺は、新しい直売所の前で足を止めた。
昨日並べた野菜が、きれいさっぱり消えている。それはいい、いつものことだ。問題は料金箱だった。据えたばかりの箱の中に、見慣れないコインやら、つやつやした石ころやらが、あふれんばかりに詰まっていたのだ。
「え、そんなに需要ある?」
俺は思わず目をこすった。たった一晩で、これだけ。うちの野菜、そんなに人気だったのか。
箱をそっと持ち上げると、じゃら、と重たい音がした。店を新しくした途端にこれとは、常連さん、よほど喜んでくれたらしい。
ありがたいような、面食らうような。俺は箱の中身をしげしげと眺めて、誰もいない朝の庭で、ひとり首をかしげていた。
◇◇◇
その夜。誠が満足げに寝入ったあと、真新しい直売所の梁の上で、渋い顔の影がひとつ、腕を組んでいた。
葉っぱの羽を持つムササビ妖精。木と風の精霊、モクだ。
「フン……素人にしちゃ、悪くない継ぎ手だったがな」
昼間、あの男がのこぎりを引くたび、モクはこっそり刃筋を導いてやっていた。墨の線から逃げそうになる刃を、風でそっと押し戻してやる。一人では持て余す太い角材を下から支え、手元に工具を転がしてやったのは、名もない小さな連中の仕業だ。
当の本人は「今日は調子がいい」なんて、的外れなことに感心していたが。
それに、と梁の上のモクは、ふと目を細める。あの男がいつか使うという、唸りをあげる文明の利器——あれの物理パワーは、正直、悪くない。想像するだけで、腕が鳴る。
柱の陰で、名もない光がいくつも、そわそわと瞬いた。モクはふん、と鼻を鳴らして、そっぽを向く。
「フン。……次は、もっといい仕事をさせてもらうがな」




