第69話
持ち帰った薪ストーブを土間に下ろしたとき、俺は思わず息を止めた。
鋳鉄の黒い塊は、両手で抱えるのがやっとの重さだ。鉄本さんの工房で見たときも立派だと思ったが、こうして我が家に据えてみると、風格がまるで違う。無骨なのに、どこか品がある。
軽トラの荷台からここまで運ぶだけで、腰がみしみし鳴った。よくもまあ、あの人はこれを片手でひょいと積んでくれたものだ。
さて、と俺は腕まくりをした。冷えはじめた土間の空気が、いよいよ本番だと言っている。
まずは設計だ。ストーブの説明書と、消防の安全基準を畳に並べて、俺は胡座をかいた。
可燃物からの離隔距離、炉台の広さ、煙突の立ち上げ。数字がずらりと並んでいる。一歩間違えれば家ごと燃える工程だから、ここばかりは「六十点でヨシ」を封印して、満点を狙うしかない。
「要件定義だな、これは。……燃えない、が最優先の絶対要件、と」
元SEの癖で、頭の中に勝手に仕様書が組み上がっていく。こういうときだけは、前の仕事もまるきり無駄ではなかったと思える。
と、作業台のほうから、渋い唸り声が上がった。
葉っぱの羽を持つムササビが、いつのまにかストーブの天板にちょこんと乗って、鋳鉄の肌をためつすがめつ眺めている。モクだ。
「フン……この鉄は、いい仕事がしてある」
鼻先で継ぎ目をなぞりながら、モクが低く唸った。
「打った奴、腕は確かだな。歪みひとつありゃしない。……手伝ってやる」
「お、珍しいな。お前から手伝うって言うなんて」
「勘違いするな。この鉄に、下手な木仕事を添えられちゃ、寝覚めが悪いだけだ」
相変わらず、言うことは可愛くない。だがようするに、この職人が認めた、ということだろう。俺は苦笑して、道具箱を引き寄せた。
◇◇◇
まずは炉台からだ。床の上に耐火煉瓦を積んで、熱を受け止める土台をこしらえる。
煉瓦はざらりと乾いて、手のひらに赤い粉がつく。一枚ずつ水平器を当てて、がたつきがないか確かめながら並べていく。モルタルを薄く敷き、目地をそろえ、また一段。
積むほどに、土間の隅に四角い島が育っていく。煉瓦を一段重ねるたび、確かな手応えが返ってくる。
この、目に見えて積み上がる感触が、たまらない。
次が、いちばんの難所だった。煙突を外へ逃がすために、土壁と、その奥の板壁を四角く抜く。
墨をつけ、丸ノコの刃をそっと当てる。乾いた古材の匂いと、こまかい木の粉が、いっぺんに立ちのぼった。切り抜いた穴の向こうに、秋の高い空がぽっかりと覗く。
「墨が甘い。そこ、二分ばかり傾いでいるぞ」
モクが穴の縁に張りついて、渋い顔で指を差してくる。言われて曲尺を当て直すと、確かにわずかに狂っていた。
「……ほんとだ。よく見えるな、お前」
「フン。木のことなら、お前の目玉より、俺のほうが確かだ」
モクが羽をひとふりすると、切り口のささくれが、すっと落ち着いた。鉋をかけたみたいに、断面がなめらかになる。穴に嵌める枠材も、こいつが寸法を見てくれるおかげで、隙間なくぴたりと収まった。
ちなみに、丸ノコを使うあいだ、モクの視線はずっと刃先に釘づけだった。渋い職人のくせに、文明の利器にはめっぽう弱いのだ。
◇◇◇
壁を抜いたら、いちばん気を抜けない断熱と気密だ。ここを雑にやると、熱で壁がじわじわ焦げて、いつか火を噴く。
貫通部には、めがね石という耐熱の枠を嵌め込む。煙突とのわずかな隙間には断熱材を詰めて、指の先で押し込みながら、空気の通り道を一つずつ殺していく。
外へ回って、雨仕舞いも抜かりなく。板金を重ね、隙間という隙間を目張りしていく。首筋を撫でていく山の風が、もう頬に痛いくらい冷たい。……そういう季節に、なったんだな。
最後に、煙突を継ぐ。
二重管を一本、また一本と差し込んで、支え金具で固定する。継ぐたびに、銀色の管が屋根を越え、まっすぐ空へ伸びていく。梯子の上から見上げると、抜けるような秋晴れに、煙突の口がすっと収まった。
日が傾く頃、ようやくすべてが収まるべきところに収まった。
黒い鋳鉄のストーブが炉台の上にどっしりと据わり、そこから銀の煙突が、天井を貫いて空へと立ち上がっている。ただの空きだった土間の隅が、家じゅうの熱を生む、心臓みたいな場所に変わっていた。
それにしても、と俺は煤けた軍手を外した。これだけ上等なストーブを、代金は「冬に旨い飯を食わせろ」の一言で譲ってくれたのだから、鉄本さんも気前がいいにも程がある。
一歩下がって、出来をあらためる。
炉台の煉瓦、まっすぐな煙突、目張りした継ぎ目。一日がかりの仕事が、寸分の狂いもなく組み上がっている。隣ではモクが、めずらしく憎まれ口も叩かず、黙ってその出来を見上げていた。
「よし、あとは……火を入れるだけだ」
声に出したら、なぜだか喉がこくりと鳴った。
初めての火。ちゃんと燃えてくれるだろうか。俺は割ったばかりの薪を一本そっと握りしめて、据えたばかりの鉄の炉を、固唾をのんで見つめていた。




