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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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68/202

第68話

 鉄本さんの工房を出るころには、空はもう夕暮れ色に染まりはじめていた。


 譲ってもらった薪ストーブは、見るからに重たい鋳鉄の塊だ。大人が二人がかりでようやく動かせるかどうか、という代物である。それを鉄本さんは、片手で軽々と抱え上げ、俺の軽トラの荷台へひょいと据えてしまった。


「重いんで、手伝いますよ」と申し出た俺が、かえってばつの悪くなるくらいだった。


 あの体格のどこに、そんな力が詰まっているんだろう。背は俺より頭ひとつ低い。だがそのぶん、横にも厚みにも、ずんぐりと逞しく張っている。半袖からのぞく腕なんて、俺の太ももほどもありそうな、丸太みたいな太さだ。


 髭に半分埋もれた顔で、鉄本さんは荷台のストーブをとんと叩いた。


「そいつは、おれが打った中でも、上等な一台だ。大事に使えよ」


 鋳鉄の胴は、無骨なのに妙に均整がとれていて、撫でると指に吸いつくように滑らかだった。素人目にも、これがただの量産品でないことくらいはわかる。


 しかも、鉄本さんは素手だった。まだ熱の残る鉄の縁を、平気な顔でつかんで位置を直す。俺なら軍手を二重にしても腰が引けるところを、この人の手は、まるで温度なんてものを感じていないようだった。


「……鉄本さん、それ、熱くないんですか」


「ん? ああ、こんなもん、なまぬるいくらいだ」


 なまぬるい、と来たか。長いこと炉の火と付き合ってきた職人の手は、こうも違うものらしい。


◇◇◇


 工房の奥では、真っ赤に燃えさかっていた炉が、帰り支度に合わせて、静かに落とされていくところだった。


 鉄本さんが炉の口に手をかざして、低く何かを呟く。すると、荒れ狂っていた炎が、まるで主人の声を聞き分けた犬みたいに、すうっとおとなしくなった。


 ぱち、と一度だけ小さく爆ぜて、あとは名残おしそうに、赤い熾火へと身を沈めていく。


 火が、この人の言うことを聞いている——そんなふうに、見えた。


 いや、まさか。長年使い込んだ炉なんて、癖も呼吸も知り尽くしているんだろう。火加減ひとつ、手のひらの感覚でわかってしまうに違いない。職人ってのは、そういうものだ。


 現に、俺のかまどだって、慣れればずいぶん素直に燃えるようになった。道具と長く付き合えば、自然とそうなる。きっと、それをうんと突き詰めた先が、この人なんだろう。


 荷台の縄を締め終えると、鉄本さんは太い腕を組んで、俺の手つきをじっと見ていた。


「積み方がていねいだな。これなら、荷崩れの心配はなさそうだ」


「これでも昔、荷物の扱いだけはうるさく言われたクチなんで」


 運転席に乗り込んで、窓を下ろす。世話になった礼を言い、俺は軽トラのエンジンをかけた。


 ゆっくり車を出そうとした、その背に。


「おい、結城さん」


 鉄本さんの、低くて太い声が追いかけてきた。


「あんたの山を、あの森野が気に入るわけだ。……大事にしろよ、あの山。あんたにゃ、もったいねえくらいだぜ」


 バックミラーの中で、鉄本さんはもう、工房のほうへ引き返していた。言うだけ言って、さっさと背を向けるあたり、なんとも豪快な人である。


◇◇◇


 曲がりくねった山道を下りながら、俺はさっきの言葉を、ぼんやり反芻していた。


 あんたにはもったいない、か。なかなか手厳しい。でも、不思議と悪い気はしなかった。森野さんといい、鉄本さんといい、この山を買ってよかったと、会う人みんなに太鼓判を押されているみたいだ。


 考えてみれば、妙な話だ。俺自身は、勢いと有り金だけで買った荒れ山だと、いまだにどこかで思っている。それを、木を知り尽くした森野さんも、鉄を打つ鉄本さんも、まるで値打ちを見抜いたみたいに、口を揃えて「いい山だ」と言う。目利きの人ほど、あの山を買いかぶってくれるらしい。


 それにしても、と思う。


「いやあ、豪快な人だったな。あの腕力に、あの火の扱い……鍛冶一筋で生きてきた職人ってのは、やっぱりすごいや」


 誰もいない車内で、俺はしみじみと呟いた。


 荷台では、譲ってもらったストーブが、夕日を受けて鈍く光っている。あれ一台で、あの隙間だらけの古民家が、この冬どれだけ変わるだろう。想像するだけで、なんだか胸のあたりが、じんわりと温かくなってくる。


 早く帰って、据え付けの段取りを組みたい。それに、留守を頼んできた家のことも、少しばかり気にかかる。


 ……まあ、あいつらのことだ。俺がいなくたって、変わりなく賑やかにやっているだろうけれど。


 テールランプの先に、見慣れた山の稜線が、少しずつ近づいてくる。秋の日が、その向こうへ、静かに落ちていった。


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