表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
66/203

第66話

 軽トラで県境をいくつか越えて、俺は朝から半日、山道を走り続けていた。


 久しぶりの遠出だ。留守番を頼んできた家のことがちらりと気になったが、まあ大丈夫だろう。あいつらに任せておけば、火の始末も水回りも、なぜだかいつも滞りなく収まっている。


 窓を開けて走ると、風がもう秋の匂いだった。稲刈りを終えた田んぼが金色の切り株を並べ、山の縁がうっすらと色づき始めている。信号もコンビニもない道を、ラジオだけを連れに、俺はのんびりハンドルを握っていた。こういう時間が、前の暮らしには一秒もなかったな、とふと思う。


 助手席には、森野さんから預かった紹介状が一通。上等な和紙を折っただけの、飾り気のない代物だ。ただの添え書きにしては、やけに手触りがいい。


 鉄のものを打たせたら右に出る者はいない、と森野さんは言っていた。ずいぶんな言いようだと思ったが、あの人が誰かをそこまで持ち上げるのは珍しい。それだけの職人なんだろう、と俺は素直に受け取っていた。


 カーナビが「目的地周辺です」と告げたのは、杉木立の途切れた、谷あいの一角だった。


 降りた瞬間、空気が違った。


 ひやりと澄んだ秋の山気に、鉄と焦げのにおいが混じっている。奥のほうから、規則正しい音が響いてきた。かん、かん、と、金属を叩く澄んだ音だ。高く、まっすぐで、聞いているだけで背筋が伸びる。


「……ここで、間違いないな」


 石造りの古い工房から、外まで熱気が漏れ出していた。近づくにつれ、その熱がはっきりと肌を押してくる。秋だというのに、額にじわりと汗がにじんだ。


 軒下には、打ち上がった鉄の品がずらりと並べてある。無骨な火ばさみ、鍋の五徳、ぶ厚い鉄板。どれも余計な飾りがなく、ただ頑丈で、道具として気持ちがいい形をしていた。俺は思わず、そのひとつに手を伸ばしかけて、引っ込めた。勝手に触るのは、職人に失礼だ。


◇◇◇


 入り口をくぐって、俺は思わず足を止めた。


 正面で、炉が真っ赤に燃えていた。ただの赤じゃない。芯まで白く透きとおるような、恐ろしく深い赤だ。その熱が壁を舐め、天井の梁まで飴色に焼いている。


 炉のそばに、男が一人。


 背は、俺より頭ひとつ低い。だが、低いぶんを全部横に足したような体だった。肩も腕も丸太みたいに太く、革の前掛けの下で、筋肉が岩のように盛り上がっている。豊かな髭が胸元まで垂れ、その奥の目だけが、炎を映して鋭く光っていた。


 男は真っ赤に灼けた鉄の塊を、素手同然の分厚い手で難なく押さえ、鎚を振り下ろしていた。火花が、線香花火みたいに派手に散る。


 その一打ごとに、さっきの澄んだ音が鳴る。仕事の音、というより、もっと気持ちのいい、澄み切った音だった。


 しばらく、俺は声もかけられずに見入っていた。声をかけるのが、なんだかもったいなかったのだ。


 鉄が、赤から橙へ、橙から鈍い色へと表情を変えていく。男はその移ろいを、まるで会話でもするみたいに見つめ、頃合いを計って炉へ戻す。無駄な動きが、ひとつもなかった。


◇◇◇


 やがて男は鎚を置き、こちらをじろりと見た。


 上から下まで、値踏みするように。それから、ふん、と鼻を鳴らす。


「森野の紹介か」


 低く、腹に響く声だった。俺がうなずくと、男は前掛けで手を拭きながら、無遠慮に間合いを詰めてくる。


「……で、あんた、何しに来た。うちは冷やかしお断りだぜ」


 豪快、というか、無骨というか。挨拶もそこそこに、いきなりこれだ。値踏みされるのには慣れているつもりだったが、この人の目つきは、値札より中身をまっすぐ覗き込んでくる感じがした。


 俺は思わず、預かってきた紹介状を握り直した。森野さんは「少し変わり者ですが」と苦笑していたが、なるほど、たしかにとっつきは悪い。


 もっとも――こういう、腕一本でまっすぐ生きてきた職人が、根っこで悪い人だったためしはない。少なくとも、俺の狭い経験では、そうだった。


 俺は背筋を伸ばして、まっすぐ男の目を見返した。


「冷やかしじゃありません。冬を越すのに、いいストーブが要るんです。――鉄本さんの、いちばんいいやつを」


 言ってしまってから、我ながら図々しいなと思った。


 男は、しばらく無言だった。炉の火が、ぱち、と小さく爆ぜる。


 その口の端が、ほんのわずかに、上がった気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ