第65話
出発は昼前と決めていた。荷造りはゆうべのうちに済ませてあるし、あとは軽トラに積み込めばいい。
だが、家を空ける前にどうしてもやっておきたいことがあった。この山の秋を、採り納めておくことだ。
勝手口を開けると、朝のひやりとした空気が土間に流れ込んでくる。日ごとに、風の冷たさがくっきりしてきた。
「コロ、ちょっと山に入るぞ。付き合ってくれるか」
声をかけると、棚の陰から苔玉がころんと転がり出てきて、俺の肩へひょいと乗った。両手大のモフモフが、まんまるの目を輝かせている。
「やまのおさんぽ、うれしいなの」
こいつは土いじりも山歩きも大好きだ。籠を背負って裏の斜面へ入ると、コロは肩の上でごきげんに揺れていた。
◇◇◇
落ち葉を踏み分けて進むと、湿った倒木の根元に、きのこがぽつぽつと顔を出していた。
傘の色も形もさまざまで、正直、俺には食えるやつと危ないやつの区別がつかない。素人が見よう見まねで手を出す領域ではない。
「なあコロ、これって食えるのか」
「それは、たべられるやつなの。こっちのは、めっ、なの。おなかいたくなるよぉ」
肩の上から、コロが小さな前足でびしっと指し示す。言われるまま、食えるほうだけを籠に入れ、毒のほうはそのままにしておいた。
同じ倒木から生えていても、片方は汁物の具で、片方は腹をこわす罠だ。素人がひとりで挑んでいたら、どこかで痛い目を見ていたに違いない。
「これは食べられる、こっちは毒、ってお前に聞くと確実だな。頼りになるよ」
「えへへ。やまのことなら、ぼくにまかせてなの」
得意げに胸を張ったつもりらしく、丸い体がぷくっとふくらんだ。生きた図鑑がついていてくれると、山の実りが何倍も豊かになる。
少し登ると、いがぐりが地面にごろごろ落ちていた。軍手で押さえて足で割ると、つやつやした栗が三つ、顔を出す。
「お、今年もよく実ってる。栗ごはんにしたら最高だな」
蔓が絡む一角では、コロに教わってむかごを摘んだ。山芋の蔓につく、小さな肉芽だ。炊き込むと、ほっくりして滋味がある。
藪の奥では、あけびが口をぱっくり開けて熟れていた。淡い紫の実を割ると、白い果肉がとろりとのぞく。頬張ると、素朴でやさしい甘さが舌に広がった。
「山って、こんなに気前がいいもんなんだな」
スーパーの棚には並ばない実りが、ただ手を伸ばすだけでいくらでも採れる。こんな山、探せばそこらにあるんだろうが、それにしても俺の山はよく恵んでくれる。
◇◇◇
籠がほどよく重くなった頃、コロが肩の上でふと空を見上げた。
「あるじ。やまも、もうすぐ冬になるの」
「冬か。この山の冬は、どんな感じなんだ」
「ねむるみたいに、しずかになるんだよぉ。むしも、くさも、みんなおやすみするの」
のんびりした声で、コロがそう教えてくれる。木々が葉を落とし、虫の声がやみ、山ぜんたいが息をひそめて春を待つ。眠るように静かになる、か。言い得て妙だ。
その静けさが来る前に、山は最後の恵みをぜんぶ差し出してくれているのかもしれない。だとしたら、ありがたく頂戴して、しっかり食い納めておくのが礼儀というものだろう。
俺は籠の中の栗をひとつ、指先で撫でた。ずっしりと詰まった実は、これから来る長い冬を、俺の腹の中で越すことになる。
冬が眠りなら、その眠りを暖かく過ごす支度を、俺はこれから整えに行くわけだ。
◇◇◇
家に戻り、採ってきた実りを土間の隅に並べ置く。留守のあいだに傷まないよう、風の通る場所を選んだ。
軽トラの荷台に道具箱と紹介状を積み込んで、俺はぐるりと振り返った。柱の陰、水盆のふち、かまどのそば。いつもの定位置に、相棒たちの気配がそろっている。
「じゃあ、少し家を空けるけど、頼むな」
「まかせて!」
「まかせなさいな」
「おう!」
「フン、当然だ」
四匹ぶんの返事が、家じゅうから重なって返ってきた。土間の苔玉、水盆のスライム、かまどのとかげ、作業台のムササビ。留守番くらい、こいつらにかかれば朝飯前だろう。
これだけ頼もしい面々に見送られて出かけるなんて、ずいぶん贅沢な話だ。半年前まで、俺を送り出してくれる相手なんてどこにもいなかったのに。
エンジンをかけると、軽トラがゆっくり山道を下りはじめた。窓の外で、色づいた木々が後ろへ流れていく。
「さて。鉄を打つ頑固者、か」
どんな人だろうな、と口の中でつぶやいて、俺はハンドルを握り直した。久しぶりの遠出に、胸のあたりがちょっとだけ、そわそわしていた。




