第64話
秋の日は、つるべ落としというやつだ。畑仕事を早めに切り上げて、俺は囲炉裏端に紙とペンを広げた。
夕べ、家の隙間からしんしんと入る冷気に、肝を冷やしたばかりだ。障子と土壁だけで、この山の冬を越せるとは、とても思えない。備えるなら、暖かい今のうちである。
さて、とペンを握り直す。頭の中でぼんやり心配していても、寒さは一ミリも遠のかない。こういうときは、まず書き出すに限る。
思いつくままに、項目を並べていく。暖房。保存食。雪かきの道具。それから、水道の凍結対策。書き出してみると、やることは案外、山ほどある。
ペン先で、ひとつひとつを丸で囲む。冷えていた指先が、手を動かすうちに、だんだん温まってきた。頭で悩むより、手を動かすほうが、昔から俺には性に合っている。
並べ終えて、俺はふと笑ってしまった。
「……なんだ、これ。プロジェクトの要件定義と、まるっきり同じじゃないか」
前の職場で、飽きるほど書かされた図が、頭の隅からよみがえる。タスクを洗い出して、優先順位をつけて、依存関係を線で結ぶ。あの頃はうんざりしていた作業が、今はどういうわけか、少しだけ楽しい。
嫌いだったのは、仕事の中身じゃなくて、あの働き方のほうだったのかもしれない。まあ、今さら気づいても遅い話だが。
紙の上で、各項目に矢印を引いていく。
まず暖房。これがなければ、そもそも冬を越せない。文字どおり、命に関わる最優先事項だ。しかもストーブは、自分で一から作れる代物じゃない。どこかから手に入れる算段が、まず要る。
「暖房が、最優先の"クリティカルパス"、と」
独りごちて、暖房の丸を、二重にぐるりと囲んだ。ここが一番、時間の読めない工程だ。だったら、真っ先に手をつけるのが筋である。
次に保存食。これは今この秋に仕込まないと、旬をまるごと逃す。味噌に、漬物に、干物。時間のかかるものから順に段取れば、無理なく間に合う。畑の実りとも、ちょうど足並みがそろう。
雪かきの道具は、雪が降るまでに揃えばいい。優先度は、少し後ろでかまわない。水道の凍結対策は、初霜より前。地味だが、うっかり後回しにすると、朝いちばんに泣きを見るやつだ。
こうして矢印で結んでみると、頭の中の霧が、すっと晴れていく。何から手をつけるべきか、迷いが消える。段取りの決まった仕事は、もう半分終わったようなものだ。
◇◇◇
気づけば、紙の上に、小さな影がいくつか落ちていた。
肩の上のコロが、まんまるの目で紙をのぞきこんでいる。囲炉裏の火の中からは、エンが首だけ伸ばして、背伸びをしていた。
「あるじ、なにかいてるの?」
「冬支度の段取りだよ。寒くなる前に、やることを並べてるんだ」
「ふゆ! オレ、火のことなら任せろだぜ!」
エンが胸を張って、尻尾の火をぱちぱち跳ねさせる。火の精霊にとっては、冬はむしろ出番の季節らしい。頼もしい相棒だ。
作業台のほうでは、モクが腕を組んで、こちらをちらりと見ていた。
「フン。……その暖房とやら、木で作れるものなら、手を貸してやらんこともない」
「あいにく、今回は鉄の道具みたいでな。餅は餅屋だ」
言いながら、暖房の項目を、指でもう一度なぞる。鉄の道具、か。そういえば、と頭にひとつ、顔が浮かんだ。
◇◇◇
思い出したのは、先だって干し野菜を届けに寄ってくれた、森野さんの言葉だ。
木のことなら何でも知っていて、山の気配にやたら通じている、あの製材所の主。冬支度の話をしたら、あの人は穏やかに、いい人を紹介しましょう、と言ってくれたのだった。鉄のものを打たせたら右に出る者はいない、少し変わり者だがね、と。
その人が手ずから書いてくれた紹介状が、今、俺の手元にある。宛先は、県をまたいだ山あいの、鉄本さんという鍛冶屋の工房だ。
鉄を打つ頑固者、というくらいだから、さぞや気難しい職人だろう。森野さんといい、この鉄本さんといい、俺のまわりは、腕はいいが一癖ありそうな人ばかりだ。まあ、悪い人でないのは、なんとなく分かるんだけどな。
紹介状を手に、俺はしばらく考えた。電話一本で済ませる相手でもなさそうだ。こういうものは、直に訪ねて、顔を見て頼むのが、いちばんの筋だろう。
県をまたぐとなると、それなりの遠出になる。軽トラで朝早くに発てば、日のあるうちには着くはずだ。地図を広げて、俺は道のりを指でたどった。
この山に越してきてから、こんなに遠くへ出かけるのは、思えば初めてだ。街を捨ててからずっと、俺はこの中腹に、根を張るように暮らしてきた。
「久しぶりの遠出だ。……ちょっと、わくわくするな」
口に出してみて、自分でも少し意外だった。人に会いに行くのが億劫でしかなかった、あの頃の俺が聞いたら、耳を疑うに違いない。
紙の上の「暖房」の丸を、俺はとんとんと叩いた。クリティカルパスの、最初の一歩。それが、まさか楽しみになるとはな。
冬は、もうそこまで来ている。それでも、備えの段取りは、もう頭の中で組み上がった。あとは、動くだけだ。




