第61話
朝の畑に立つと、土の匂いがずいぶん変わっていた。
夏のむせるような青くささが引いて、かわりに、乾いた藁みたいな甘い匂いが立っている。空は高く、とんぼが群れて飛び、段々畑のあちこちが黄や橙に色づいていた。いつのまにか、山はすっかり秋の顔になっている。
「さて、今日は収穫祭だな」
誰にともなく言って、俺は籠を担ぎ直した。夏の勢いを名残に残したトマトがまだ数株、赤い実をぶら下げている。その足元の畝には、掘り出しを待つサツマイモと根菜がぎっしり眠っているはずだ。
肩にちょこんと乗っているコロが、つぶらな目でぐるりと畑を見渡す。
「あるじ、きょうはいっぱい採るの?」
「ああ、採れるだけ採るぞ。冬に向けて、蓄えなきゃな」
言うと、苔玉みたいなモフモフがぷるぷると嬉しそうに震えた。土いじりの日のこいつは、朝からずっと機嫌がいい。
◇◇◇
まずは名残のトマトから。
軸をつまんでひねると、熟れた実がぽとりと手のひらに落ちてくる。ずっしりと重く、皮を破りそうなほど張っていた。試しにひとつ、その場でかじってみる。
「うわ、あっま……」
夏のトマトより、むしろ味が濃い。冷えこんだ夜が糖をぎゅっと詰めこんだのか、酸味の奥から蜜みたいな甘さが押し寄せてくる。この山の土は、よっぽど肥えているらしい。前の持ち主に感謝だな、と俺はのんきに思った。
次はいよいよ、サツマイモだ。
蔓を手繰り寄せ、鍬を入れて、株ごとぐいと引き上げる。黒い土がぼろりと崩れて、その下から、赤紫の芋が数珠つなぎに顔を出した。ひとつ、ふたつ、みっつ。抱えきれないほどの大きさが、掘るそばからごろごろ転がり出てくる。
「よし、豊作だ。こりゃ大漁だな」
夢中で掘り進めるうち、抜いた蔓が畝の脇にこんもり山を作っていた。ふと見ると、その青い蔓の山が、もそもそと動いている。
「あるじ、みてみて! うもれたなの!」
蔓の隙間から、コロがぴょこんと顔を出した。いつのまに肩から下りたのやら、緑の蔓にすっぽり埋もれて、葉っぱを一枚、頭にちょこんと乗せている。
「たくさん採れたねぇ、あるじ!」
得意げにそう言って、コロは蔓の海でころころ転げまわった。あんまり嬉しそうに、はしゃぐものだから、こっちまで頬がゆるむ。
「そうだな。お前が畑を見ててくれるおかげだよ。ありがとうな」
礼を言うと、コロは照れたように、また蔓へもぐっていった。
◇◇◇
午後は根菜の掘り出しにかかった。
大根、人参、ごぼう。土を割って引き抜くたびに、腕にずしりと手応えが返る。どれもこれも、我ながら惚れ惚れするほど太く、まっすぐに育っていた。折れた人参の断面を舐めてみれば、生なのに、ほんのり甘い。
「なんだこれ、店に並んでるやつより立派じゃないか」
畑の隅に置いた籠は、あっというまに秋の恵みで山盛りになった。トマトの赤、芋の紫、大根の白、人参の橙。土のついたそれを並べて眺めていると、なんだか宝箱でも掘り当てた気分になる。
掘り出した芋を洗い場へ運んでいくと、水盆のスイがぷかりと浮いて出迎えてくれた。
「まあ、見事な実りですこと。あるじ、その土は落としておきますわ」
言うが早いか、盆の水がすいと伸びて、芋についた泥をやさしく洗い流していく。紫の肌が、つやつやと濡れて光った。手を貸してくれる相棒がいると、仕事がまるで捗る。
半年前の自分に見せてやりたい。デスクでコンビニ弁当を掻きこんでいたあの頃は、野菜がどこでどう育つのかなんて、考えたこともなかった。
「うまいもんだなあ、自分で作るってのは」
しみじみと呟いて、俺は腰を伸ばした。土で汚れた手のひらが、じんわり温かい。
そのときだった。
ふっと、畑を風が吹き抜けた。木々を鳴らして山を下りていくその風が、頬に触れた瞬間、思わず首をすくめる。今朝までのそれとは、明らかに芯が違った。乾いて、澄んで、指の先まで冷たい。
もう、秋も深い。この風の向こうには、じきに冬が控えている。
……そういえば、と俺はふと手を止めた。
「冬って、この山だとどうなるんだ?」
考えてみれば、俺はまだ知らないのだ。ここで越す冬が、どれほど寒く、どれほど雪が降るのか。麓の集落より、ずいぶん高いこの中腹の暮らし。初めての冬が、いったいどんな顔で来るのか、まるで見当がつかない。
肩の上で、コロがちょこんと首をかしげた。
胸の隅を、ちいさな心細さがよぎる。とはいえ、籠にはこんなに実りが詰まっている。まあ、なんとかなるだろう。俺は冷たい風に背を向けて、山盛りの籠を担ぎ上げた。




