表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
60/247

第60話

 日が落ちても、盛夏の山は昼のぬくもりを手放さない。


 俺は縁側に腰を下ろして、団扇をゆるく動かしていた。庭の闇の向こうで、虫の声がしんしんと湧いている。昼のあいだ木々に溜め込まれた熱が、夜風に少しずつほどけていく時間だ。


 膝の上では、コロがまるくなっている。両手に乗るくらいのモフモフした苔玉が、うとうとと目を細め、俺の膝を布団がわりにしていた。畑仕事で土をいじった一日が、よほど満足だったらしい。


「あるじの膝、あったかいの……」


 寝ぼけた声でそう言って、コロはまた目を閉じる。土いじりのあとのこいつは、いつもこうしてぐったり甘えてくる。


 縁側の端に置いた水盆では、スイがぷかぷか浮いていた。半透明のスライムが、水面に星明かりを映して、涼しげにゆれている。


「今宵の水は、格別ですわ。あるじも、手を浸けてごらんなさいまし」


 言われるまま、俺は盆の水に指を沈めた。夜になってもぬるまない、井戸のいちばん奥みたいな冷たさが、指先からすっと上ってくる。汗ばんでいた腕の熱が、そこからじんわりと逃げていった。


「ほんとだ。氷でも入れたみたいだな、これ」


「ふふ。わたくしの、腕の見せどころですわ」


 得意げに、スイがひときわ大きく波打った。この涼しさが自分の仕事だと、ちゃんと胸を張るところが、こいつのかわいいところだ。


 盆のわきには、昼に冷やしておいた麦茶の徳利を置いてある。ひと口ふくむと、これがまた、驚くほど澄んで甘い。スイが浄めた水で淹れるようになってから、同じ茶葉なのに、まるで別の飲み物みたいな味になった。


「この麦茶、店で出せるぞ、ほんと」


「あるじの手が、いいのですわ」


 澄まして、スイがそう返す。手柄はぜんぶ俺のもの、という顔をされると、こっちが照れる。


◇◇◇


 庭先には、小さな焚き火をこしらえてある。


 蚊遣りがわりの、ささやかな炎。その真ん中で、エンが手足を広げて寝転がっていた。手のひら大の赤いサラマンダーが、火の中でごろごろと機嫌よく転がっている。


「なあなあ、あるじ! なんか焼こうぜ、なんか!」


「もう飯は食っただろ。腹に入るのか、まだ」


「マシュマロは別腹だぜ!」


 わんぱくな声で、エンが尻尾の火をぱちぱち跳ねさせる。こいつの胃袋がどこにあるのか、俺はいまだに知らない。まあ、火の精霊に消化器官の話をしても始まらないだろう。


 仕方なく、俺は台所から袋を取ってきて、串に刺したマシュマロを火にかざしてやった。エンが目を輝かせて、炎をふわりとやわらげる。表面だけがきつね色に、中はとろりと。狙ったみたいに理想的な焼き加減になった。


「うまそーだな! 半分こな、あるじ!」


「お前、食えるのかそれ」


「気持ちだけ、もらうぜ」


 軒下の作業台の上では、モクが腕を組んで座っていた。葉っぱの羽を持つムササビが、渋い顔でこちらを見下ろしている。昼間に組んだ増設の棚を、まだ検分しているらしい。


「フン。今日の継ぎ手、悪くなかったな」


「お、珍しく褒めるじゃないか」


「褒めてはいない。悪くなかった、と言っただけだ。……まあ、丸ノコの直線は、相変わらず見事だがな」


 結局こいつは、俺より電動工具を信頼している。職人肌のくせに文明の利器にめっぽう弱いのが、なんとも憎めない。


「なあ、モク。棚がひとつ増えたら、明日はもう一段、屋根を伸ばそうと思うんだ」


「フン。材の木取りは、こっちで見ておいてやる。……お前の墨付けは、たまに詰めが甘い」


「手厳しいな、相棒は」


 言いながらも、こいつが手を貸してくれるのは、もう分かっている。口は渋いが、仕事には誰よりまっすぐな職人だ。俺はひとりで抱え込まずにすむこの頼もしさに、この頃すっかり甘えている。


◇◇◇


 膝にコロ、水盆にスイ、焚き火にエン、作業台にモク。


 団扇の風に虫の声を混ぜながら、俺はぼんやりと、この賑やかな縁側を見渡した。


 ……思えば、妙なものだ。


 俺がこの山に来たのは、人が嫌になったからだった。着信音も、会議も、すれ違う誰かの機嫌をうかがう気疲れも、全部から離れたかった。独りになりたくて、誰の顔も見なくていい場所を探して、貯金を全部はたいて、こんな山奥まで逃げてきた。


 都会にいた頃の俺は、たぶん、笑い方をどこかに忘れていた。人の輪の真ん中にいても、いつも独りぼっちみたいな顔をしていた。


 それが、どうだ。


 膝には寝ぼけた苔玉が甘えて、盆の水は涼を張って、庭では火のとかげがマシュマロをねだり、軒下の職人は今日も憎まれ口を叩いている。逃げてきたはずの山に、いつのまにか、こんなに賑やかで、あたたかい暮らしがある。


 ほんの数ヶ月前の俺に見せてやったら、なんと言うだろう。おおかた、疲れて幻でも見たのかと、自分の正気を疑うに違いない。


「一人じゃ、なくなったな……」


 しみじみと、声に出していた。


 その瞬間、四つの気配が、ぴたりと動きを止めた。


 膝のコロが顔を上げ、盆のスイがこちらを向き、火のエンが飛び起き、作業台のモクが腕をほどく。四匹そろって、心配そうに俺の顔をのぞきこんでくる。


「あるじ……?」


「どこか、痛いんですの?」


「元気ないぞ、あるじ!」


「フン。腹でも壊したか」


 つぶらな目が四つ、俺の鼻先にずらりと並ぶ。あんまり真剣に案じてくるものだから、俺は思わず、ふきだしてしまった。


「なんでもないよ。ほんと、なんでもない」


 笑いながら、俺はコロの頭を指でそっと撫でた。


「ありがとうな、みんな」


 なにが「ありがとう」なのか、こいつらにはうまく伝わらなかったらしい。四匹は顔を見合わせて、きょとんと首をかしげている。それでいい。伝わらなくても、この気持ちだけは、たしかにここにある。


 考えてみれば、こいつらは俺が住まわせてもらっているお礼に、ずっと暮らしを手伝ってくれているだけなのだ。火加減も、水の涼も、畑の実りも、棚の出来も。律儀な居候たちに、こんなに手厚くもてなされて、逆に申し訳ないくらいである。


 まあ、持ちつ持たれつ、というやつだろう。俺は勝手にそう納得して、また団扇をあおいだ。


◇◇◇


 焚き火が、ぱちりと爆ぜた。


 膝のコロは、いつのまにかまた寝入っている。スイは盆でうたたね、エンは火の中でまんぞくげに伸び、モクは棚のことをまだぶつぶつ言っている。虫の声が、山ぜんたいを静かに包んでいた。


 この静けさの中でふと、俺は昼間の森野さんの言葉を思い出した。


 増設の材を届けに来てくれた、あの人。木のことなら何でも知っていて、山の気配にやたら通じている、不思議な製材所の主。帰り際に、あの人は穏やかにこう言ったのだ。


 ——あなたに、紹介したい人がいるんです。たぶん、あなたと、すごく気が合う。鉄を打つ、頑固な男でね。


 鉄を打つ頑固者、か。


 俺は夜空を見上げて、口の端をゆるめた。星が、都会では考えられないほど、びっしりと空を埋めている。


「この山に来てから、いい出会いばっかりだ」


 精霊に、森野さんに。ほんの数ヶ月前は、人の顔を見るのも億劫だったのに。逃げ込んだ先で、こんなにいい縁ばかり拾うのだから、人生わからないものだ。


「次は、鉄を打つ頑固者、か」


 どんな人だろうな、と俺は独りごちる。


 やがて秋が来て、冬が来る。この山で初めて越す、本格的な冬だ。薪を割って、火を焚いて、備えを固める季節が、すぐそこまで来ている。頑固な鍛冶屋というのが、その支度に、なにか力を貸してくれるのかもしれない。


 膝のコロが、寝がえりをうって、俺の腹に額をすりよせた。


 俺はその小さなあたたかさを手のひらで受けとめて、もうしばらく、賑やかな相棒たちと、盛夏の夜風の中にいた。


 明日が、少しだけ、楽しみだった。


======

あとがき


ここまでお読みいただきありがとうございます!!

気に入ってくださった方は『ブックマーク』など高評価いただけると励みになります!

狂気の域で気に入ってくださった方は全部の話を画面下の★していだけると泣いて喜びます!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ