第55話
日が傾いて、土間に西日が差し込むころ、俺は膳の支度にかかった。今日は精霊たちと囲む、初めての本格的な晩飯だ。
といっても、こいつらは俺と同じように箸を使って食うわけではない。好物の「気」を食べるのだそうで、料理をそなえてやると、その湯気や匂い、冷たさといったものを、うまそうに吸い取っていくらしい。
だから膳には、いつもより多めに小鉢を並べた。畑で採れた夏野菜を、あれこれ手を変えて仕立てた、野菜づくしの膳である。
まずは焼きナスだ。皮つきのまま、かまどの熾火にじかにかざす。
ぱちぱちと皮のはぜる音がして、やがて全体が真っ黒に焦げていく。香ばしい煙が土間に満ちるころ、菜箸でつまむと、くたりと力なくしなった。焼けた証拠だ。
冷水にとって、焦げた皮を指でむいていく。つるりと剥けた下から、とろけそうな白い実が現れて、ほわりと甘い湯気を立てた。
これに、おろした生姜と醤油をひとたらし。まだ湯気の立つそいつを、膳の真ん中に据えた瞬間だった。
「うおおっ、この湯気だぜ! オレ、これが食いたかったんだ!」
赤いサラマンダーが、まっすぐ湯気の中へ飛び込んでいった。火の精霊、エンだ。立ちのぼる白い筋の中で、気持ちよさそうにくるくる回っている。
「熱いのが好きだなあ、お前は」
「あったかい飯の湯気は、ごちそうなんだぜ!」
その隣に、俺は冷やしトマトと、きゅうりの浅漬けを置いた。井戸水でよく冷やした、みずみずしいやつだ。
すると、水がめのふちでぷかぷかしていたスイが、つうっと膳のほうへ滑ってきた。半透明のからだが、冷えた小鉢のそばで、うれしそうに震える。
「まあ、この冷たさ……! きんと澄んでいて、宝石みたいですわ」
冷たいものの「気」が、こいつのごちそうらしい。トマトの上でぷるぷると身を弾ませて、ご機嫌このうえない。
◇◇◇
ぬか床から出してきた漬物も、忘れちゃいけない。茄子ときゅうりのぬか漬けを、切って小皿に並べる。
肩の上にいたコロが、ころんと膳に降りて、漬物の皿にちんまりと寄り添った。
「このにおい……。つちと、はっこうの、いいにおいなの……」
ぬか床の匂いに、うっとりと目を細めている。土のものと、発酵のもの。そのふたつは、どうやらこいつのど真ん中らしい。
最後に、番茶を淹れて茶碗に注ぐ。渋めに出した、熱いやつだ。
作業台のほうから、葉っぱの羽を広げたモクが、音もなく茶碗のふちに降り立った。腕を組んで、立ちのぼる茶気を、渋い顔でゆっくりと味わっている。
「フン……。この渋みのよさが、わかる者は少ないがな」
一匹だけ、やけに通ぶっている。夏野菜の膳を前に、渋茶で一服とは、まるで隠居した年寄りみたいなやつだ。
◇◇◇
四匹が、それぞれの好物に我先にと群がって、土間はいっぺんに賑やかになった。湯気に飛び込むやつ、冷鉢で震えるやつ、漬物に頬ずりするやつ、渋茶をたしなむやつ。
俺は箸を持ったまま、その光景を眺めて、つい頬がゆるんだ。
「飯がうまいと、みんな嬉しそうだな。作りがいがあるってもんだ」
これだけ食いついてくれるってことは、よっぽど腹を空かせてたんだろう。長いこと、この家には振る舞う相手もいなかったというし。
なんてことを考えながら、俺は自分の茶碗に飯をよそって、焼きナスをひと口。とろりと甘い実に、生姜のきいた醤油がしみて、素直にうまい。
ふと、都会にいたころの晩飯が頭をよぎった。
深夜のコンビニで買った、パックの惣菜。デスクの隅で、画面を見ながら、味もろくにわからないままかき込んだ、あの一人きりの飯。
「あの頃とは、えらい違いだ」
しみじみとそう思いかけた、そのときだった。
「あるじ! その味噌汁の残り、まだあるだろ!? なあ、一口だけ!」
味噌汁の椀に、エンが鼻先から突っ込んでこようとしている。慌てて椀を持ち上げると、赤いちびすけが必死に追いすがってきた。
「こら、引っ張るな。残り汁は体に悪いんだぞ」
「精霊に体もクソもねえだろ! 一口! 一口だけ!」
湯気を追いかけて椀のふちをぐるぐる回るエンに、俺はとうとう吹き出してしまった。しんみりした気分なんて、いつのまにかどこかへ吹き飛んでいる。
まったく、こんな賑やかな晩飯じゃ、感傷に浸る暇もありゃしない。
「わかった、わかったから。ほら、少しだけだぞ」
椀を戻してやると、エンが歓声をあげて湯気に飛び込む。それを囲んで、残りの三匹もわいわいと笑っていた。
賑やかで、あたたかい膳だった。作った甲斐が、確かにあった。




