表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/207

第50話

 盛夏の朝は、水の音で始まる。井戸のポンプを押すと、冷たい水が桶にほとばしって、その水面が、ひとりでに、ぷるん、と丸く盛り上がった。


 半透明のスライムが、水のなかからにゅうと顔を出す。水と浄化の精霊、スイだ。姿が見えるようになってまだ数日、俺はいまだにこの瞬間に少し慌てる。


「あるじ、おはようございますわ。今日はわたくし、水場をぴかぴかにいたしますの」


 得意げに胸を張る仕草が、妙にませていて可愛らしい。手のひらに乗るくらいの体で、口調だけはやたら丁寧なお嬢様なのだ。


 スイが桶のふちをくるりと一周すると、もともと澄んでいた水が、さらに透きとおる。底に沈んだ小さな砂粒まで、くっきり数えられそうだった。


「相変わらず、いい仕事するなあ」


 水道のない山暮らしで、飲み水も洗い物も、この井戸が頼りだ。それをスイが澄ませてくれるものだから、うちの水はどこの名水よりうまい……気がする。まあ、気のせいということにしておこう。


 スイは桶の水を台所へ運ぶと、次は流しのぬめりに取りかかった。ぷるんと体を広げ、木の桶や柄杓をなぞるように滑っていく。通ったあとは、水垢もぬめりもきれいに消えて、木肌が白く生き返った。


「水場は、澄んでいてこそですわ。よどみは、いちばんいけませんの」


 なるほど、水の精霊にも職人のこだわりがあるらしい。俺は雑巾を置いて、その仕事ぶりに素直に感心した。


 試しに、その澄んだ水で麦茶を淹れてみた。やかんで煮出して氷で冷やし、欠けたコップに注ぐ。


 琥珀色の液体が、驚くほど澄んでいた。濁りひとつなく、光にかざすと底まで透ける。ひと口飲んで、俺は思わず動きを止めた。香ばしいのに、後味がふしぎと甘い。


「……なんだこれ、うますぎるだろ」


 ただの麦茶パックだ。スーパーで安売りしていたやつ。それが、水を変えただけでこの仕上がりとは、恐れ入る。


「わたくしのお水ですもの。当然ですわ」


◇◇◇


 昼を過ぎて、俺は風呂の支度にかかった。この家の風呂は、直したばかりの五右衛門風呂だ。


 鉄の釜を据え、下から薪で焚く昔ながらのやつ。買ったときは底が抜けかけていたのを、部品を取り寄せて自分で組み直した。六十点の出来だが、湯はちゃんと沸く。


 その釜のふちに、スイがそわそわとよじ登ってきた。そして、真顔で言い放つ。


「あるじのお風呂は、神の泉ですわ」


「いや、ただの五右衛門風呂だよ」


 中古で買い叩いて、素人が直した鉄の釜が神の泉なわけがない。スイはうちの水場を、なにかと大げさに崇めたがるのだ。


 湯が沸いたところで、俺はポケットから取り出したものを、ぽちゃんと湯に落とした。青い錠剤の入浴剤だ。


 しゅわしゅわ、と細かい泡が立ちのぼる。とたんに、スイの目の色が変わった。


「あのシュワシュワ、最高ですわ……! 泡のひとつひとつが、宝石みたいですの!」


 湯面を泡が覆っていくのを、スイは全身を震わせて見入っている。ぷるぷるの体が、興奮でいつもより激しく波打っていた。


 水の精霊が、まさかの入浴剤マニアである。


「そんなに好きか、それ」


「好きなんてものじゃありませんわ! この、弾ける粒の煌めき、一日じゅう眺めていたいくらいですの」


 うっとりと湯に見入るスイを見ていたら、なんだかこっちまで嬉しくなってきた。ひと箱いくらでもない安物だ。そんなに喜ぶなら、いくらでも入れてやりたい。


「入浴剤マニアの精霊か……。よし、今度まとめ買いしてくるわ」


「まとめ買い……!」


 スイが、きらきらした目でこちらを見上げてきた。


「あるじ、あなたって方は、なんてお心が広いんですの……!」


 たかが入浴剤で大げさな。とはいえ、精霊にここまで拝まれると、悪い気はしない。買い出しメモの隅に、青い錠剤をひとつ書き足しておく。


◇◇◇


 日が傾いて、俺はようやく湯に浸かった。


 スイが澄ませた湯は、いつまでも冷めない。肩まで沈むと、一日ぶんの汗と疲れが、じんわりほどけていく。窓の外では、ひぐらしが鳴き始めていた。


 湯のなかで、青い泡がまだかすかに弾けている。ふちではスイが、その泡を宝物みたいに見つめていた。


「いい湯だな」


 思わずこぼすと、スイが得意げに胸を張った。


「でしょう? あるじのお風呂は、山いちばんですわ」


 山にひとつきりの風呂を、山いちばんと言われてもなあ。そう思って、俺はひとり笑った。まあ、この澄んだ湯と、隣で喜んでくれる相棒がいるなら、たしかに悪くない。むしろ、上等な部類かもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ