第47話
膝によじ登ってきた苔玉が、まんまるの目で俺を見上げている。コロ、と名乗ったその小さなモフモフは、のんびりした声で続けた。
「あのね、あるじ。ぼくたちね——」
ぼくたち。その一言に、背筋がぞくりとした。
複数形だ。つまり、この畑の露に濡れたモフモフだけじゃない、ということになる。腰を抜かしたまま、俺はぐるりと辺りを見回した。すると、いちど合ったピントは、もう二度と外れてくれなかった。焦点を奥へずらすあの感覚が、すっかり体に染みついてしまったらしい。
視界の隅で、何かがちらちらしている。今までずっと「気のせい」で流してきた、あの光だ。
「……そこら中じゃないか、これ」
立ち上がって、俺はふらふらと家のほうへ歩き出した。確かめずには、いられなかった。
◇◇◇
まず足が向いたのは、裏手の風呂場だった。
昨日沸かしたきりの五右衛門風呂。その木の縁に、ぷるん、と半透明の何かが乗っかっている。水面の光を集めたような、ぷるぷるのスライムだ。俺と目が合うと——目があるのかは知らないが——それは慌てたように身を震わせ、それからちょこんと居住まいを正した。
「あら。……あらあら。とうとう、見えてしまいましたのね、あるじ」
やけに丁寧な、おませな女の子みたいな声だった。
「はじめまして、ですわ。わたくし、スイ。お湯加減を整えるのは、ぜんぶわたくしのお仕事ですのよ」
得意げに、たぶん胸を反らすスライム。冷めにくい湯も、やたら澄んだ水も、こいつの仕業だったのか。俺は間の抜けた顔で「ど、どうも」と頭を下げていた。挨拶を返してしまった。相手はスライムなのに。
◇◇◇
次はかまどだった。
土間の奥、昨夜の熾火がまだ赤くくすぶっている。その中で、真っ赤な小さいのが、ぬくぬくと丸まっていた。手のひらほどのサラマンダー。尻尾の先が、ゆらゆらと炎になって揺れている。
「お、やっと気づいたか! よろしくな、あるじ!」
そいつは熾火から飛び起きて、元気よく尻尾を振った。
「オレはエン! 火のことならオレに任せろって。あるじの火起こし、正直けっこう危なっかしかったからよ、こっそり手伝っといてやったんだぜ」
「……道理で、かまどが優秀なわけだ」
優秀だったのはかまどじゃなくて、こいつだったらしい。俺は思わず苦笑した。初日の飯がやたらうまく炊けた理由が、いま、盛大に判明してしまった。
そして、最後のひとりは、すぐそばにいた。
作業台の隅。切りかけの端材の上に、葉っぱの羽を生やしたムササビが、渋い顔で腕を組んで座っている。
「……フン。ようやくか」
ずいぶんと、えらそうだった。
「モクだ。木のことと、道具のことは、俺の領分でな。あるじの段取りは……まあ、悪くない。悪くはないが、詰めが甘いところがある。俺がいなけりゃ、あの棚は今ごろ傾いてたぞ」
「手厳しいな、おい」
言い方はぶっきらぼうだが、組んだ手の先が、照れくさそうにもぞもぞしている。悪いやつではなさそうだ、というのは、なんとなく伝わってきた。
◇◇◇
気づけば、狭い土間に四匹が勢揃いしていた。
膝の高さでモフモフしているコロ。ぷかぷか宙に浮いてついてきたスイ。肩のあたりでちろちろ燃えるエン。作業台から腕を組んで見下ろすモク。口調も見た目もてんでばらばらで、まるで統一感がない。
「あるじ、みんなおそろいなの。うれしいなあ、だよぉ」
コロがのんびり笑って、俺の指にぺたりと寄り添う。頭の芯が、まだじんじんしている。俺はあらためて、四匹をぐるりと見渡した。
「あんたたち、ずっと、ここに……?」
言いかけて、声がかすれた。この家に来てから今日まで、俺はずっと、一人きりで暮らしてきたつもりだったのだ。
四匹は、顔を見合わせた。それから、声をそろえて、こともなげに言った。
「「「いたよ(いましたわ/いたぜ/いたに決まってる)」」」
ばらばらの語尾が、みごとに重なった。
なんだそれは。ずっと、いた。俺がかまどで飯を炊いていたときも、風呂に浸かっていたときも、棚を組んでいたときも。すぐそこでこいつらは俺を見ていて、こっそり手を貸していた、ということか。
「……そっか。いたのか、みんな」
力が抜けて、俺は土間にぺたんと座り込んだ。怖くはなかった。むしろ、なんだか、じんわりとあたたかい。
一人になりたくて逃げてきた山の暮らしは、どうやら、最初から少しも一人じゃなかったらしい。




