表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
42/220

第42話

 製材所の裏手にある材木置き場は、盛夏だというのに、妙にひんやりとしていた。


 積み上げられた板と板のあいだを、乾いた風がすっと抜けていく。木の香りが濃くて、深呼吸をするだけで胸のなかまで洗われるようだった。


「増設に使うなら、この辺りがいいでしょう」


 森野さんが、樹皮を落とした杉板の山に手を置いた。日に灼けた無骨な指が、木目をなぞるように滑っていく。


 俺は隣に並んで、同じ板をのぞき込んだ。正直、俺の目には全部が「まっすぐで、きれいな板」にしか見えない。


「どれも良さそうに見えますけど、違うもんですか」


「違いますよ。ずいぶん」


 森野さんは目を細めて笑った。そうして一枚を抜き出し、俺の前に立てて見せる。


「この木はね、山の北側で育ったんです。日当たりが渋いぶん、ゆっくり詰まって育つ。だから、狂いが少ない」


 言われて年輪を見ると、たしかに線が細く、みっしりと詰まっている。木のどこで育ったかまで、この人は板を見ただけで言い当てるらしい。


 ……いや、それはさすがに勘だろう。そう思いかけて、俺は口をつぐんだ。


 森野さんが板に触れる手つきが、あんまり静かで、確かだったからだ。値踏みじゃない。旧い友人の肩でも叩くような、そういう触り方だった。


「山ってのは、ぐるぐる巡ってるんですよ」


 次の板を選りながら、森野さんが独り言のように言った。


「上のほうに降った雨が、時間をかけて地面にしみて、木の根を通って、また下の沢へ出ていく。木はね、その水の道を、ちゃんと覚えてるんです」


 俺は相槌の打ちどころを見失って、ただ黙って聞いていた。話の内容が、というより、その語り口が不思議だった。まるで、木から直接そう聞いてきたみたいに喋る。


 元の仕事でいえば、システムの全体像が頭に入りきっている人の口ぶりに近い。どこをいじれば、どこにどう響くか。それが図面じゃなく、体で分かっている感じだ。ただ、森野さんが相手にしているのは、コードじゃなくて山ひとつだった。


「木は、切ってからも生きてるんです」


 節を避けて墨を打ちながら、森野さんが続ける。


「湿気を吸って、吐いて、少しずつ動く。その癖まで見越して、どこにどう使うか決めてやる。そうすると、家になってから何十年も、機嫌よくいてくれる」


 板を一枚の「材料」としか見ていなかった俺には、それはずいぶん遠い話だった。遠いのに、聞いていると、なぜか背筋が伸びる。


「森野さんは、木の声が聞こえるって口ぶりですね」


 軽い冗談のつもりだった。


「聞こうとすれば、聞こえますよ」


 森野さんは、まるで当たり前のことみたいに、さらりと返した。


 冗談を、冗談として受け取ってもらえなかった。なのに気まずくもなくて、俺はなんだか、狐につままれたような心地になる。


 妙な人だ。妙だけれど、嫌な感じはまるでしない。むしろ、こういう浮世離れした人の話を、俺はもっと聞いていたい気がした。


 板を車まで運ぶあいだも、森野さんの話は続いた。どの木がどの獣の通り道の目印になっているか。風がどの尾根を越えて里へ降りるか。話の一つひとつに、机上の知識では届かない手ざわりがある。


 ふと、森野さんが運ぶ手を止めた。


 俺の肩のあたりに、目をやっている。何もないはずの、右肩の上だ。


「その肩の子、ご機嫌ですね」


 え、と聞き返す前に、森野さんは「いや」と小さく首を振って、言葉を引っ込めてしまった。


 俺は思わず自分の肩を見た。当然、何もない。夏の日差しがちらついているだけだ。


「虫でも、とまってました?」


「……そんなところです」


 やわらかくはぐらかされて、俺はそれ以上は聞けなかった。


 積み込みが終わって、荷台の縄を締める。額の汗を拭ったところで、森野さんが山のほうへ視線を投げた。俺の買った、あの山の方角だ。


「結城さん」


 声の調子が、ふっと変わった。


「あなたも、そろそろ気づいてるでしょう。うちの山に、変な"手伝い"が入ってること」


 縄を握った手が、止まった。


 変な、手伝い。その一言で、いくつもの光景が勝手に頭のなかで並びはじめる。初めて焚いたかまどの、素直すぎる火。一晩たっても、なぜか冷めていなかった風呂。足りないと思った端材が、朝には妙にちょうどよく、そこにあったこと。


 全部、俺は「道具がいい」「運がいい」で片づけてきた。片づけて、深くは考えないようにしてきた。


「……なんで、それを」


 声が、少しかすれた。


 森野さんは責める顔ではなかった。むしろ、迷子の子どもにようやく行き先を教えるような、静かな微笑みだった。

◇◇◇

 材木置き場の板の陰で、小さな光が四つ、身を寄せ合ってそわそわしていた。誠には、まだ見えない。


「ねえねえ、いま、あるじの肩、見られたよぉ」


 まんまるの気配が、ふるりと弾んだ。うれしいのと恥ずかしいのとで、丸ごとぷるぷるしている。


「あのお方、わたくしたちのこと、あるじに教えようとしてらっしゃいますわ」


 すまし顔の気配が、少し得意げに、けれど頬を染めるみたいに揺れた。


「おいおい、いよいよかよ。オレ、ちゃんと見てもらえんのかな」


 赤い気配が、ぱちりと火の粉を散らす。声だけは威勢がいいが、その光は照れたようにちらちらと明滅していた。


「フン。……別に、見られたところで、どうということもないがな」


 渋い気配は腕を組むように縮こまって、それでも誠のほうから目を離さない。口ぶりとは裏腹に、羽の先が落ち着きなく震えている。


 ずっと、そばにいた。手を貸すたび、飯をうまそうに食う横顔を、こっそり眺めてきた。


 その相手が、もうすぐ、こちらを見てくれるかもしれない。


「……ちゃんと、笑ってくれるかなあ」


 誰かの小さなつぶやきは、まだ誠には届かない。届かないまま、四つの光は板の陰で、ぎゅっと寄り添っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ