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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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第32話

 朝露の残る畑の縁にしゃがんで、俺は双眼鏡を構えていた。


 狙うのは、この数日うちの畑を荒らしている猿の群れだ。ただ追い払うだけでは、あいつらは同じ手でまた入ってくる。だからまず、相手の行動を知るところから始めることにした。


 覗くと、ピントが一発で合った。近ごろこの双眼鏡、やけに素直だ。


 斜面の上のほうで、猿たちが順番待ちみたいに並んでいる。先頭の一匹が電気柵の支柱をするすると登り、電線に触れない一点を器用に選んで、ひょいと畑側へ飛び降りた。後続がその動線をきっちり真似ていく。


「うわ、完全にルートが最適化されてるじゃないか」


 思わず声が出た。感心が先に立って、腹が立つのを忘れてしまう。


 それから三日、俺は毎朝ここに張りついて、あいつらの手口を手帳に書き留めていった。何時ごろ来るか、どこから入るか、どの野菜を先に狙うか。項目を立てて記録していくと、乱れて見えた動きに、ちゃんと法則が浮かんでくる。


 餌の一番人気はトマト。侵入口は決まって畑の東の隅。物音がすると、いったん斜面の岩陰へ退いて、しばらく様子を窺ってから戻ってくる。


 パターンが見えてくると、対策の骨格も見えてくる。


「相手の癖を洗い出して、先回りして、穴を塞いで、効きを検証する……これ、完全に昔やってた仕事と同じだ」


 ログを読んでバグの再現条件を絞り込み、修正を当てて、直ったかどうかを確かめる。あの頃は締め切りに追われて胃を痛めていたはずのその作業が、今は、どうしてこんなに楽しいのか。


 急かす相手がいないだけで、同じ手仕事がまるで違う顔をする。要は、こういうことだったのかもしれない。


◇◇◇


 方針が決まれば、あとは手を動かすだけだ。俺は三つの仕掛けを組むことにした。


 まずは囮。畑の外れに、猿の好みそうな小さな一区画をわざと作る。掘り返した土に、間引いたトマトの苗を数本移してやった。むせ返るような青くさい葉の匂いが、指先にまで移る。本命の畝から関心を逸らす、いわば陽動だ。


 次に目隠し。本命の東の隅に、古いブルーシートと不要になったCDを持ち出してくる。番線を渡し、そこにCDを吊るして目隠しの壁を作る。銀色の盤がくるくる回って、朝日をちかちかと乱反射させた。猿は視界のちらつきを嫌う、と寄り合いのベテランが言っていた。


 最後に音。裏山から切ってきた青竹を、鹿威しの要領で組む。節を抜いた竹に水を引き、たまっては、こつん、と石を打つ。乾いた高い音が、朝の畑にひとつ響いた。


 組み上げながら、手元が妙に狂わないことに気づいていた。番線の結びは一度で締まり、竹の据わりも一発で決まる。切った寸法が、測ったみたいにぴたりと合う。


「今日はやけに調子がいいな。指が冴えてる」


 作業台のあたりの空気が、ふっと軽くなった気がした。まあ、気のせいだろう。


 仕掛けの位置は、手帳の記録に合わせて微調整する。囮は侵入口の手前に、目隠しは本命の視線の通り道に、音は退避する岩陰の方角へ向けて。動線を読んで、そこへ先回りするように置いていく。


 組み終えて、俺は畑の全景を見渡した。我ながら、なかなかの布陣だ。


◇◇◇


 翌朝、双眼鏡を構えて、俺は結果を待った。


 やってきた群れの先頭が、いつもの支柱を登る。飛び降りて、まず目に入ったのは、外れの囮の畑だ。一匹がそちらへ寄っていく。つられて数匹が続く。


 本命へ向かった一匹は、ちらつくCDの壁の手前で足を止めた。そこへ、こつん、と竹の音。びくりと身をすくめて、岩陰へ引き返していく。


「よし、効いてる……効いてるぞ」


 拳を握ってしまった。派手な撃退じゃない。ただ、来た相手が、すっと帰っていく。それだけのことが、じわじわと嬉しい。


 仕掛けはその日も、次の日も、静かに仕事をした。荒らされる畝はめっきり減って、朝の見回りで胸を撫でおろす回数が増えていった。むろん、あいつらもいずれ慣れて、また裏をかいてくるだろう。それならこっちも、次の一手を考えるだけだ。


 守り切ることより、この読み合いそのものが、いつのまにか楽しみになっている。


「俺はただ、畑を守る工夫をして遊んでるだけなんだけどな。……なんだか、日に日に腕が上がってる気がする」


 のんきなものだ。相手が獣で済んでいるうちは、これも上等な暇つぶしだった。


 その手が、止まった。


 山の奥から、地面を通して、重たい何かが伝わってきたのだ。猿の身軽さでも、猪の突進でもない。もっと低く、もっと大きく、腹の底を押してくるような気配。木々の梢が、風もないのに、ざわりと一斉に揺れた。


 双眼鏡を下ろして、俺は奥の稜線を見上げた。


「……何か、でかいのがいる」


 声が、自然とひそまった。


「今までのとは、格が違うぞ、あれは」


◇◇◇


 その夕暮れ、誠が道具を片づけて母屋へ引っ込んだあと、組み上がったばかりの鹿威しの縁に、葉っぱの羽がふわりと降りた。


 腕を組んだ、渋い顔のムササビ妖精。木と風の精霊、モクだ。


「フン。番線の結び、あと半ひねり甘かったがな」


 そう言いながら、モクは竹の据わりを爪の先でこつんと直してやる。青竹の寸法が最後までぴたりと合っていたのは、風を読んで材のたわみをそっと殺しておいたからだ。……当の本人は「指が冴えてる」なんて、見当違いなことに悦に入っていたがな。


 それにしても、と思う。猿相手に囮だの、ちらつく壁だの、鳴り物だのと、まるで遊びの盤でも並べるように仕掛けを組んでいく。あの手つきは、職人の目から見ても、悪くない。


「囮に、目隠しに、音か。……なかなか考えるじゃないか、あの男」


 仕掛けが一度で決まるたび、拳を握って喜ぶ姿を、モクはこっそり面白がっていた。手を貸してやる甲斐というものが、久しぶりに、この山にはある。


「さて、次は何をこしらえる気だかな」


 腕が鳴るのを隠しもせず、モクは葉の羽を、ぱたりと畳んだ。


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