表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/204

第29話

 朝の六時だというのに、もう蝉が本気を出している。縁側に出て空を見上げれば、雲ひとつない青が、じりじりと熱を溜めはじめていた。


 初夏のはずが、この暑さはどうしたことだ。井戸で冷やした麦茶をあおっても、飲んだそばから汗になって流れていく。


 こういう日は、何を食う気も起きない。


 台所の棚をあさると、束ねたそうめんが目に入った。茹でて、冷やして、つるっとやる。うん、今日はもう、これしかないな。


 ……いや、待てよ。せっかく山にいるんだ。


 ふと、悪い考えが浮かんだ。というか、楽しい考えだ。裏の竹林に、青竹はいくらでも生えている。あれを一本切り出せば、流しそうめんができるんじゃないか。


 思い立ったら、体が動く。鉈と鋸を腰に、俺は裏山へ分け入った。


 竹林に入ると、空気がひやりと変わる。日差しは葉に濾されて、地面には涼しい斑の影が落ちていた。まっすぐ伸びた若竹を一本選んで、根元に鋸の歯をあてる。


 しゃく、しゃく、と引くたびに、青い匂いが立ちのぼった。切り口からにじむのは、青くさくて、どこか甘い、竹の水の匂いだ。


 どうっと倒した竹を担いで、庭まで戻る。肩に節の硬い感触。ずしりと重いのに、なぜか足取りは軽かった。


 さあ、加工にかかる。まずは半割りだ。


 鉈の刃を切り口にあて、木槌でこつこつ叩いていくと、ぱきっ、ぱきっと小気味よい音を立てて、竹が一直線に裂けていく。真っ二つに割れた内側は、しっとり湿って、白く艶やかだった。


 次は節を落とす。半割りにした樋の内側には、節がいくつも壁を作っている。これを残したままだと、水が流れない。


 金槌の柄で一つずつ叩き割り、はみ出た縁を鉈で削ってなめらかにする。指でなぞって、引っかかりがないのを確かめた。よし、これで水路は開通だ。


 あとは架台を組む。物置から古材を引っぱり出し、×に組んで番線で縛り、上流と下流で段差をつける。傾きは、ほんの少しでいい。急すぎると、そうめんが弾丸みたいに飛んでいく。


 樋を渡して、上から水を流してみる。井戸から引いたホースの口をあてがうと、水はためらいなく樋を滑り、下の受け桶にぱしゃりと落ちた。


 流れる。ちゃんと流れる。


 その水に手を差し入れて、俺は思わず声をあげた。


「うわ、冷たっ」


 湧き水を引いているとはいえ、これは冷たすぎる。指先が痺れそうなほど澄んでいて、真夏の井戸水なんて目じゃない。まるで、誰かが氷でも溶かしておいてくれたみたいだ。


 都会の洒落た店でも、こんな水はそうそう出てこないだろう。それがこの山では、ただで、いくらでも湧いてくる。俺はつくづく、いい身分だ。


◇◇◇


 さて、肝心のそうめんだ。


 かまどに湯を沸かし、ひと束を放つ。ゆらりと踊る麺を、菜箸でほぐしながら一分半。茹で上がりを、樋の冷水でぎゅっと締める。


 手のひらで揉むように洗うと、麺がきゅっと引き締まって、透きとおるような艶が出た。薬味も抜かりない。すりおろした生姜、刻んだみょうが、小口のねぎ。つゆはきりっと濃いめだ。


 準備は整った。竹の上流に、締めたそうめんをひとつまみ、そっと放す。


 つい、と麺が流れ出す。俺は箸を構えて、下流で待ち受ける。来た。すかさず挟んで、つゆにくぐらせ、ずずっとすすった。


 喉を、冷たい麺が滑り落ちていく。噛むほどに小麦の甘みがほどけて、生姜の辛みが後を追う。青竹の香りが、ほんのり移っているのがまたいい。暑さでへばっていた体が、内側から生き返っていくようだ。


 もうひとつまみ流して、また受けて、すする。三度目を流したところで、俺はふと箸を止めた。


 一人で流して、一人で受けて、一人で食う。


「……字面だけ見たら、完全にヤバいやつだな、俺」


 誰もいない庭で、竹を流れる水を相手に、黙々とそうめんを追いかけている三十路手前の男。文字にすると、なかなかの絵面である。


 でも、楽しいんだから、いいんだよ。


◇◇◇


 気づけば、日が傾いていた。


 腹はふくれ、体の火照りもすっかり引いている。あれだけ照りつけていた日差しが、いつのまにか軒先で角を落として、やわらかい橙に変わっていた。


 さて、片付けだ。受け桶の水を庭に撒き、樋を立てかけて乾かす。


 最後に、樋のいちばん低いところへわずかに残った水を、こぼそうと持ち上げた。その、たまり水の上に。


 小さな光が、ぷかりと一つ、浮かんだ。


 蛍にしては、まだ早い時間だ。それに、色が違う。淡く青みがかった、水そのものが灯ったような光。それがゆらりと揺れて——すっと、消えた。


 俺は樋を持ったまま、しばらくその一点を見つめていた。


「……気のせいか」


 目をこすって、もう一度見る。もう、何もない。ただの、夕暮れのたまり水だ。


 今日は暑かったからな。目がチカチカしてるんだろう。


 俺はそう独りごちて、樋を軒下にそっと立てかけた。竹の匂いが、まだ手にほんのり残っていた。


◇◇◇


 軒下に立てかけられた竹樋の、いちばん低いくぼみ。そこに残ったひとしずくの中で、半透明のスライムがぷるんと身を縮めていた。水と浄化の精霊、スイである。


「あぶない、あぶないですわ……」


 胸を撫でおろす、ような仕草をして、スイはぷかぷかと揺れた。まったく、今日はうっかりしすぎた。


 あんまり暑い日だったから、つい張りきってしまったのだ。あるじが引いてきた湧き水を、いちばん澄んだところまで磨きあげて、きんと冷たくしておいた。竹を流れていくその水の心地よさときたら。滑り台みたいで、楽しくて、ついはしゃいで身を乗り出して——。


「ぷかっ、と浮いてしまうところでしたわ。あるじに見つかったら、大変ですのに」


 姿を見られるのは、まだ先の約束。それまでは、こっそりお手伝いするのがお作法だ。わかってはいるのだけれど。


 樋のくぼみで、スイはちいさく身をよじった。だって、あるじったら、あんなにおいしそうに、つるつると。


「……ふふ。明日は、もっと冷たくしてさしあげますわ」


 ないしょ、ですけれど。そう言い残して、スイの光は水にとけ、すう、と見えなくなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ