第28話
畑を守り切った日の夕方は、腹の減り方が格別だった。
三重の柵にぐるりと囲われた畑から、今日もいだばかりの夏野菜が、ざるに山と積まれている。皮のはち切れそうなナス、ずしりと重いトウモロコシ、肉厚のピーマン。獣に一本も渡さず育て上げた、正真正銘の戦利品だ。
こいつらは、ちまちま煮炊きするより、豪快に炭火で焼くに限る。
俺は庭の隅に七輪を据えて、炭を組んだ。火起こしはいつも通り、あっけないほど素直に進む。うちわで軽く扇いでやると、炭はすぐに赤く熾って、あとは放っておいても、ちょうどいい熾火の頃合いで勝手に落ち着いてくれた。
「……相変わらず、いい火だな」
思えばこの山に来てから、火加減で難儀した覚えが一度もない。物は言いようだが、俺には焚き火の才能があるのかもしれない。まあ、七割がた炭がいいんだろうけど。
◇◇◇
まずは、ナスをヘタごと、皮のまま網に乗せる。
しばらくすると、じゅう、と低い音が立ちのぼった。表面からじわりと水気が滲んで、脂を落としたわけでもないのに、皮のあちこちが小さく爆ぜていく。この音を聞いた時点で、もう半分は食ったようなものだ。
続いて、刷毛で醤油を塗ったトウモロコシ。網に触れた瞬間、じゅわっと湯気が上がって——次の瞬間、焦げた醤油の匂いが、ぶわりと鼻を襲ってきた。
これは、反則の匂いだ。
香ばしくて、甘くて、ほんの少し焦げていて、嗅いだだけで腹の虫が盛大に鳴る。夕暮れの山に、縁日みたいな匂いが濃く立ちこめていく。丸ごと放り込んだピーマンと、脂の乗った一夜干しの魚も、負けじと香りを足していった。
網の上を見下ろすと、飯テロという言葉がそのまま形になっていた。
ナスの紫は、艶やかな飴色に沈んでいる。トウモロコシの粒は、醤油をまとってつやつやと照り、ところどころ香ばしく焦げていた。ピーマンは皮全体に焼き目がつき、一夜干しは脂を滲ませて、皮がぷっくりと反り返っている。
もう、我慢の限界だった。
まずはナスを、菜箸でつまんで皿へ移す。焦げた皮をつるりと剥いてやると、中からほかほかと湯気を立てた白い果肉が現れた。生姜醤油をひと垂らしして、はふはふと頬張る。
とろっとろだ。よく焼けたナスは歯がいらないほど柔らかく、口の中でほどけて、じんわりと甘い出汁みたいな汁が滲み出す。皮の香ばしさと、中身のとろける甘さが、交互に押し寄せてきた。
トウモロコシにかぶりつくと、ぷちっ、ぷちっと粒が弾けた。焦げた醤油の香ばしさと、実そのものの甘みが、口いっぱいに広がる。ピーマンは丸ごとでも苦みがなく、むしろ驚くほど甘い。一夜干しは、身をほぐすと熱い脂がじわりと滲んで、噛むほどに塩気と旨みが濃くなった。
冷やしておいたビール代わりの麦茶を、ぐいと呷る。
「……はー。うまい」
働いた後の飯は、どうしてこんなにうまいんだろうな。理屈じゃない気がする。汗をかいて、体を動かして、腹をぺこぺこにして食う。それだけのことが、都会にいた頃はまるでできなかった。
畑を守り切って、その畑の恵みを、こうして焼いて食う。
考えてみれば、俺はただ好きにやっているだけなんだよな。柵を張って、野菜を育てて、うまいうまいと食っているだけ。それなのに、この暮らしは日ごとに手応えを増していく。妙な話だ。
◇◇◇
炭がぱちりと爆ぜて、我に返った。
二枚目のナスを網に乗せようとした、そのときだ。庭の隅、直売所のあるあたりで、かさりと、人の気配がした気がした。
誰か来たのか。俺は菜箸を置いて、手ぬぐいで口を拭い、直売所へ足を向けた。
だが、棚の前には誰もいない。
夕闇の降りかけた庭に、ただ品書きの札が、ゆらりと揺れているだけだった。人の足音も、車の音も、山道を下っていく背中も、どこにも見当たらない。
しゃがんで料金箱の蓋を開けると、また対価が増えている。
見慣れないコインが幾枚か。それに、いつぞやの艶やかな石が、今日は二つ。俺が焼き物に夢中になっているほんの合間に、誰かがそっと来て、野菜を持って、静かに去っていったらしい。
「マメな常連さんだなあ」
俺は料金箱の蓋を、そっと閉じた。
いつもこうだ。顔も名前も知らないまま、きっちり対価だけを置いていく。すれ違ってばかりで、一度も鉢合わせしたことがない。
「一度くらい、顔を合わせたいもんだけど」
礼のひとつも言いたいのに、と苦笑して、俺は七輪のほうへ引き返した。
網の上では、置いてきぼりのナスが、じゅうじゅうと機嫌よく音を立てている。焦がしちまう前に、続きを食わないと。
まあ、いいさ。焼き野菜はまだ山ほどあるし、麦茶もある。顔の見えない常連への礼は、また明日、とびきりの一本を並べて返せばいい。
山の夜が、香ばしい匂いをまとって、ゆっくりと更けていった。
◇◇◇
「へへっ、焼き加減はオレに任せろって!」
七輪のそばで、赤い尻尾をぴんと立てて、エンは得意げに胸を張った。炭が赤く熾って、放っておいてもちょうどいい熾火に落ち着く——なんてのは、当たり前じゃない。全部、こいつがこっそり火加減を操ってやっているのだ。
「ナスはとろっとろ、トウモロコシはこんがり……くう、この匂い、たまんねえぜ!」
網の上で野菜がじゅうじゅうと鳴るたび、エンはうっとりと鼻をひくつかせる。焦げた醤油の香りが立ちのぼると、もう我慢できずにその場でくるくる回った。一夜干しの脂がぱちりと爆ぜれば、尻尾の火をちろちろ揺らして、「そこだ、いい焦げ目だぜ!」とひとり応援する。
あるじは今日も、うまいうまいと頬張っている。その顔を見るのが、たまらなく嬉しい。
「まあ、オレの火のおかげだって、気づいてねえけどな」
ふん、と鼻を鳴らしても、口元はにやけっぱなしだ。
「……なあ、あるじ。明日は、なに焼くんだ?」
届かない声で問いかけて、エンは熾火のそばに、ちょこんと丸まった。




