第27話
電気柵を張っただけでは、まだ半分だ。
朝いちばんに畑を見回りながら、俺はそう結論を出した。通電した三段の電線は、たしかに大きな獣には効く。だが柵の下をくぐるやつ、隙間を抜けるやつ、掘って潜るやつには、電線一枚では心もとない。
要するに、多層防御だ。前の仕事でも、守りは一枚では組まなかった。
「よし、今日で仕上げるか。俺の畑を、難攻不落にしてやる」
軽トラの荷台から、防獣ネットとトタン板と番線の束を下ろす。資材はホームセンターで買い込んである。あとは、順番に重ねていくだけだ。
まずは防獣ネットから。
電気柵の内側に沿って、支柱にネットを張っていく。緑色の樹脂の網目は、掌を広げたくらいの細かさで、目に当てると向こうの畑がうっすら格子に透ける。ぴんと張ると、指ではじいた時に、びょん、と低い音が返ってきた。たるみが残ると獣に押し破られる、と集落のベテランに教わったので、結束バンドで一点ずつ、緩みを潰しながら締めていく。
次は、下部の守りだ。
ネットの裾に沿って、細い溝を掘る。掘り返した土は、湿って黒く、鼻を近づけると雨あがりのような濃い匂いがした。その溝にトタン板を縦に差し込み、地面の下へ二十センチほど埋め込んでいく。掘って潜ろうとする猪への、地中の壁だ。
トタンの上端を足で踏むと、こつ、と硬い手応えが返る。よし、動かない。
最後に、番線を通す。
ネットの下端とトタンの継ぎ目を、細い針金でぐるぐると縫い合わせていく。ここが甘いと、鼻先でこじ開けられる。ペンチで番線をよじると、きゅっと締まって、指先に金属の冷たさが残った。
「うん……我ながら、いい仕事だ」
三重の壁を、ぐるりと一周ぶん組み終えた頃には、日が高くなっていた。
電気柵、防獣ネット、地中のトタン、それを縫う番線。畑をぐるりと囲った緑の壁は、離れて見ると、ちょっとした砦のように見える。
「これで俺の畑は要塞だ。難攻不落だぞ」
声に出してから、誰もいない山にひとりで言い放ったことに気づいて、少し照れた。まあ、いい。誰も聞いていない。
◇◇◇
囲われた畑を、あらためて眺める。
守られているという安心のせいか、野菜たちは一段と青々として見えた。トマトは枝もたわわに実をつけ、キュウリの葉は掌ほどに広がって、朝露を弾いている。
そういえば、と俺はしゃがみ込んだ。
この前、荒らされて掘り返された畝がある。半分あきらめて土を戻しておいただけなのに、いつの間にか、周りと見分けがつかないほど育ちを取り戻していた。踏み荒らされた根が、たった数日で立ち直るものだろうか。
「土がいいのか、うちの畑は打たれ強いな」
肥料の配合が良かったのかもしれない。理屈はよくわからないが、育つぶんには文句はない。俺は膝の土を払って立ち上がった。
考えてみれば、妙な話ではある。
俺はただ、自分の畑を守るために、柵を組んで壁を立てているだけだ。それなのに、守れば守るほど、畑のほうが張り切って応えてくれる気がする。
「守った甲斐がある、ってやつか。ありがたい話だ」
◇◇◇
夕方、いつもの見回りに出た俺は、砦の内側で足を止めた。
柔らかい土の上に、また、あの足跡がある。獣害を機に、俺はすっかり足跡を読むのが癖になっていた。指の数、蹄の形、歩幅。おおよそ、猪か猿かの見分けはつくようになった。
この日、跡は二種類あった。
一つは、見慣れた蹄の跡。壁の外側でぷつりと途切れている。トタンと番線に阻まれて、内側へは入れなかったらしい。よし、狙いどおりだ。
だが、もう一つ。
大きくて、指の形の違う、あの見たことのない跡。それだけが、なぜか砦の内側に、点々と続いていた。
俺はしゃがんで、まじまじと壁を見上げた。電気柵は通電している。ネットは掌の幅より細かい。トタンは地中まで埋まっている。人ひとり、隙間から入れる余地はどこにもない。
「柵をどうやって……?」
跡は、壁の内も外も、まるで何もないみたいに続いていた。よじ登った様子も、掘った様子もない。ただ、すうっと通り抜けたかのように。
「この足跡の主だけ、別格だな」
風が、緑の壁をさわりと鳴らして抜けていった。
難攻不落を組み上げたつもりだった。獣は、たしかに止められた。それでも、この一種類だけは、俺の要塞など初めから無いかのように、内側へ入ってきている。
いったい、どんな客なんだ。俺は暮れかけの畑で、しばらくその跡を見つめていた。
◇◇◇
あるじが、はたけをぐるっと、かこってくれた。
両手ほどのモフモフの苔玉、コロは、まんまるの目で緑の壁を見上げて、ぴょこんと跳ねた。ちくちくの電線に、細かいあみあみ、土のなかの硬い板っこ。ぜんぶ、あるじが、コロのはたけを守るために立ててくれたものだ。
「わぁ……これでもう、あらされないの」
このまえ、こわい獣に踏み荒らされたお畝は、根っこがちぎれて、しくしく泣いていた。だからコロは、夜どおし土にもぐって、ちぎれた根っこを、なでて、つないで、「だいじょうぶ、だいじょうぶだよぉ」って、ずうっと励ましてあげたのだ。
おかげで、お野菜たちは、また、ぷりぷりに育ちはじめた。
「あるじ、きづいてないの。ふふっ」
あるじは「土がいいのか、打たれ強いなあ」なんて、とんちんかんなことを言って、首をかしげている。コロがなでたことも、コロがいることも、まだ見えていない。それでも、いいの。
だって、守ってもらえた。あるじが、コロのおうちを、まもってくれた。それが、なによりうれしいの。
コロはあるじの肩にちょこんと乗って、日なたみたいにあったかい気持ちで、まんまるの目を細めた。




