第26話
朝の見回りを済ませて庭に戻り、俺はいつものように直売所の料金箱を開けた。
中を覗いて、手が止まる。またしても、である。
昨日、余りものの箱罠をひとつ試しに並べておいた。その対価が、料金箱に収まりきらず、棚の下に立てかけた籠にまで溢れていた。上等な毛皮が幾枚も折り重なり、その上に、夜になるとほのかに光る例の石が、数えるのも面倒なほど積まれている。
俺は籠を持ち上げて、うんと重たいそれをしげしげと眺めた。
「……いや、多くないか。罠ひとつに対して」
誰もいない庭で、間の抜けた声が出た。野菜を並べたときは、せいぜいコインが数枚だ。それが罠になった途端、対価がひと桁、いや、ふた桁跳ね上がる。どういう相場になっているのか、俺にはさっぱり見当がつかない。
試しに、と出した一台目のときも驚いた。翌朝には消えていて、毛皮の束が残っていた。まぐれかと思ってもう一台出したら、今度はさらに増えた。三台目、四台目と、出せば出すほど対価が膨らんでいく。
考えれば考えるほど、妙な話だった。
うちの常連さんたちは、瑞々しいトマトやもぎたてのキュウリより、鋼のばねを組んだだけの無骨な箱罠のほうを、ずっとありがたがっている。野菜には数枚のコイン、罠には毛皮の山。値付けの理屈が、まるで逆立ちしている。
「野菜より罠のほうが人気って、どういう集落なんだ、うちの常連は」
首をかしげながら、俺は籠を軒下に運び込んだ。
害獣対策の道具が飛ぶように売れる土地、というのは、要するによほど獣に手を焼いているのだろう。うちの畑を荒らしたあの足跡の主を思えば、山向こうの誰かが同じ苦労をしていても不思議はない。同病相憐れむ、というやつか。
だとしたら、これはこれで、悪くない巡り合わせだ。
俺は縁側に腰を下ろし、余った番線を膝に引き寄せて、頭の中で算盤を弾いた。箱罠の部品はホームセンターで箱買いした。鋼のばねも番線も、まだ売るほど残っている。図面はもう頭に入っているから、一台組むのに小一時間もかからない。
「そんなに需要があるなら、もう少しまとめて作っておくか」
どうせ雨の日は畑仕事もできない。手すさびに何台か拵えておけば、常連さんも喜ぶし、こっちも余った材料が片付いて一石二鳥だ。我ながら、いい思いつきである。
工具箱を引き寄せると、レンチが手のひらにやけにしっくりと収まった。この頃、道具の据わりがいい。いい買い物をした甲斐があるというものだ。
◇◇◇
同じ頃、山ひとつ越えた遠い村では、辻の祠の前に人だかりができていた。
ネル村の畑は、長らく魔獣に荒らされ続けてきた。夜のあいだに柵は破られ、丹精した麦は踏みにじられ、蓄えは食い散らかされる。細った村人たちは、鍬を槍に持ち替えて追い払うほかなく、それでも幾人もが手傷を負った。畑を守ることは、この村では命がけだった。
その祠に、ある朝、見たこともない鋼の道具が現れた。
行商のガロが、恐る恐るそれを畑の際に据え、餌を仕掛けて夜を待った。半信半疑だった村人たちも、遠巻きに息を殺して見守っていた。
そして夜明け。
仕掛けの中では、あれほど村を苦しめてきた狼型の魔獣が、鋼のばねにがっちりと押さえ込まれ、身動きひとつ取れずにいた。人がひとりも傷つかぬまま、魔獣は捕らえられていたのだ。
村人たちのあいだから、どよめきが上がった。子どもを抱いた母親が、声を上げて泣いた。
「守れた……畑が、守れたぞ……!」
ガロは震える膝を地についた。祠の主さまは、これまで飢えをしのぐ糧を授けてくださった。瑞々しい野菜も、腐らぬ蓄えも、すべてこの祠から届いた恵みだった。だが、それだけではなかったのだ。
「祠の主さまは、糧の神であらせられると同時に、武具の神でもあらせられたのだ……!」
その声に、村人たちがひとり、またひとりと膝を折り、祠へ向かって頭を垂れていく。
どこの、どんなお方かも知らない。姿を見た者もいない。ただ、飢えからも、魔獣の牙からも、この村を丸ごと守ってくださる、遠い遠い主さま。
ガロは額を地にすりつけ、長いこと祈り続けた。信仰は、この日を境に、村の隅々まで深く根を張っていった。
◇◇◇
昼下がり、俺は縁側で番線を曲げながら、五台目の箱罠を組み上げていた。
鋼のばねを慎重に噛ませ、掛け金の具合を指で確かめる。かちり、と小気味よい音を立てて、罠が牙をむいた。うん、いい出来だ。
「工業製品ってのは、つくづく大したもんだよな」
誰が組んでも、同じ図面どおりにやれば、同じように動く。当たり前のことだが、こうして手を動かしていると、そのありがたみが妙に胸に染みる。
組み上がった罠を軒下に並べて、俺は腰を伸ばした。ずらりと居並ぶ鋼の箱を眺めていると、なんだか小さな工房の主にでもなった気分だ。
しかし、それにしても、と俺は苦笑する。都会を離れて山にこもった元SEが、まさか害獣用の罠を量産する日が来るとは。人生、どこでどう転ぶか、本当にわからない。
「野菜を作りに来たはずなんだけどな。……まあ、喜んでもらえるなら、それでいいか」
軒先の籠には、今朝の毛皮と光る石が、まだ律儀に山を成している。俺はそれを飾り棚に片付けながら、顔も知らない常連さんの顔を、ぼんやりと思い描いた。
どこの誰かは知らないが、よほど困っていて、よほど義理堅い人たちなのだろう。ならば、こっちも精一杯いい仕事で応えるまでだ。
夕暮れの風が、組みたての罠の鋼を、ひやりと撫でて通り抜けていった。




