第25話
電気柵を張り終えた翌朝、俺は土間に新聞紙を広げて、ホームセンターの袋をひっくり返した。
次の一手は、罠だ。柵は畑への侵入を止める壁だが、それだけでは相手の勢いは減らない。獣道のほうに罠を仕掛けて、そもそも数を寄せつけない。二段構えでいこうと決めていた。
役場に届けを出す面倒な種類は避けて、素人でも扱える箱罠と、くくり罠の自作キットを選んできた。鋼のばね、番線、亜鉛引きの金網、それに分厚い説明書がひと束。
部品を並べると、それだけで気分が上がる。
「よし、まずは箱罠からだな」
説明書を頭から読む。図面の順番どおりに、まずは金網の面を四枚、番線で編むように組んでいく。マニュアルを解くのだけは昔から得意だから、この手の作業はむしろ落ち着く。
金網はひやりと冷たく、指先に細かい格子の感触が残る。番線をぐいと巻いてペンチで締めると、キチッと硬い音が返ってきた。一辺、また一辺。箱の形が立ち上がっていく。
ここで、少し妙なことに気づいた。
番線の穴も、蝶番の位置も、いちいち寸分の狂いもなく合うのだ。普通この手のキットは、どこか一箇所くらい「あれ、ここ入らないぞ」という部品があるものだと思っていた。それが、ない。
落とし戸を吊るばねを引っかける。ぱちん、と気持ちよく噛んで、板がすとんと落ちる。仕掛けを組み込むと、箱罠はもう立派に罠の顔をしていた。
「……手が、やけに滑らかに動くな。調子いいや」
ただの好調だと思って、俺は次のくくり罠に取りかかった。
こちらはワイヤーと締めばね。獣が輪を踏むと、ばねの力で足首を締めて括る仕組みだ。ばねの反発は思ったより強く、力を込めた指の腹に、鋼の張りがぐっと食い込んでくる。
規格どおりの太さのワイヤーを、規格どおりの長さで切る。締め付け金具の内径は、ワイヤーの外径にぴたりと合う。当たり前のように、合う。
組み上げながら、俺はふと手を止めた。
「工業製品ってすごいよな。誰が作っても、どこで作っても、同じ性能が出る」
言ってから、自分でおかしくなった。
「当たり前だけど、よく考えたら魔法みたいだ」
図面と数字だけで、顔も知らない工場の誰かが、俺の手元にぴたりと嵌まる部品を届けてくれる。会ったこともない人間と、鋼の精度ひとつで完璧に息が合う。改めて口にすると、これはなかなか大したことだ。
◇◇◇
昼を回る頃には、箱罠がふたつ、くくり罠が三つ、土間にずらりと並んでいた。
試しに一つ、二つと余分に作りすぎたらしい。獣道に仕掛ける数を数えると、箱罠が一つ余る。捨てるのも忍びないし、しまい込むのも芸がない。
俺はそれを提げて、庭の直売所へ向かった。
いつものトマトとキュウリの隣に、その余った罠をことりと置く。板きれに「ししおどしの罠、いる人どうぞ」と書き添えた。
「まあ、こんな山奥だ。獣に困ってる人だって、いるかもしれないしな」
考えてみれば、野菜のとなりに鋼の罠が並ぶ直売所というのも、なかなかに珍妙な光景だ。それでも据わりは悪くない。俺はひとり満足して、残りの罠を担ぎ、獣道の下見に山へ入っていった。
◇◇◇
翌朝、鳥の声で目を覚まし、顔を洗いに出た俺は、直売所の前で足を止めた。
昨日置いた罠が、きれいさっぱり消えている。
トマトもキュウリも、いつもどおり誰かが持っていっていた。それはいい。問題は、料金箱だ。蓋を開けて、俺は思わず動きを止めた。
見慣れたコインに交じって、艶やかで分厚い毛皮が幾枚も。その上に、夜の名残みたいにほのかな光をたたえた石が、桁違いの数、無造作に積まれている。
毛皮はしっとりと手に吸いつき、石はひんやりと重い。どう見ても、キュウリ一本の釣り合いではない。
「罠が……売れた? 野菜じゃなくて?」
俺は毛皮を一枚、陽にかざしてみた。艶といい厚みといい、狩りの上手い誰かが自分でなめしたような、上等な代物だ。
「ずいぶん変わった常連さんだな」
罠を欲しがり、対価に毛皮と石を山ほど置いていく物好き。野菜を喜ぶだけでも十分に奇特だったのに、今度は罠ときた。世の中には、本当にいろんな人がいる。
俺は毛皮を抱えて、しばらく朝の庭に突っ立っていた。
まあ、いいか。喜んでもらえたなら、作った甲斐がある。空になった棚を見て、俺はもう一つ、ついでに作っておくかと、のんきに考えはじめていた。
◇◇◇
あの男が罠を組んでいた土間の作業台。その隅で腕を組み、木と風の精霊モクは、しばらく渋い顔のまま鋼の部品をながめていた。
葉っぱの羽をひとつ、フンと鳴らす。
「フン。番線の巻きが甘いところが一箇所。蝶番の取りつけも、あと一分ずれるところだったな」
だから、そっと風を通して部品を寄せてやった。穴と穴を、金具と金具を、ぴたりと噛み合わせてやったのだ。木を扱わせれば右に出る者はいないと自負するモクにとって、それはわけもない仕事だった。
だが、と、モクは手にした締め金具に目を落とす。
「……この鋼、寸法の狂いがまるでない。どこの誰が削ったのか知らんが、腕は本物だがな」
顔も知らぬ職人の仕事に、モクはわずかに眉を上げた。木と違って、鋼は素直で嘘がない。その正直さが、職人肌の胸にはむしろ心地よかった。
「フン、まあいい。あるじの手は悪くない。……道具に恵まれておるだけかもしれんがな」
悪態のわりに、声はどこか満足げだった。モクは羽を広げ、次はどんな工作を手伝ってやろうかと、渋い顔のまま作業台の上で風を巻いた。




