第24話
朝露がまだ乾ききらないうちに、俺は軽トラの荷台から資材を下ろしはじめた。
支柱の束、碍子の袋、リールに巻かれた電線、それに太陽光パネルと電源装置。昨日買い込んだ一式が、畑の脇にずらりと並ぶ。眺めると、なかなか壮観だ。
「さて、要件定義といくか」
まずは設計図だ。頭のなかで畑をぐるりと囲むラインを引き、支柱の間隔を決める。説明書には二メートルおきとある。メジャーを伸ばし、地面に石灰で点を打っていく。
この墨付けみたいな作業が、俺は嫌いじゃない。行き当たりばったりで打って間隔がガタガタになるのが、一番みっともない。段取り八分だ。
点を打ち終えたら、次は支柱打ちだ。先を地面に当て、掛矢を振りかぶる。
ガツン、と鈍い音が響いて、支柱が土に沈む。二度、三度と打ち込むうちに、手のひらに伝わる手応えが硬くなり、やがてぴたりと止まった。ちょうどいい深さだ。
振り下ろすたび、肩と背中に汗がにじむ。額を伝った一滴が、顎の先からぽたりと落ちた。朝だというのに、初夏の日差しはもう首筋を焼きはじめている。
妙なことに、掛矢の狙いが今日はやけに素直に決まる。芯を外さず、一発で支柱の頭を捉えていく。
「へえ、俺、案外筋がいいのかもな」
道具のおかげか、腕が上がったか。まあ、深く考えるのはやめておこう。うまくいっているときに理屈をこねると、碌なことがない。
支柱が並んだら、碍子を取り付けていく。白い樹脂の部品を、上・中・下の三段、決めた高さにねじ込む。これが電線を支柱から浮かせて、漏電を防ぐ肝だ。指先でひとつずつ締めていると、前の仕事で細かいバグを潰していた頃を、なぜか思い出した。
いよいよ電線張りだ。リールから線を引き出し、碍子の溝に通しながら、支柱から支柱へと渡していく。
一段目を張り終え、端をぐいと引いて張力をかける。ぴん、と線がまっすぐ伸びて、朝日を弾いた。たるみのない一直線を見ると、腹の底がすっとする。中段、下段と、同じ手順で三本を渡していった。
三段の電線が畑を囲んだ姿は、我ながら惚れ惚れする出来だ。透明な砦の輪郭が、光の線で描かれたみたいだった。
最後は電源だ。日当たりのいい一角に太陽光パネルを据え、電源装置と繋ぐ。プラス端子を電線へ、マイナス端子をアースの棒へ。手順は説明書どおり、指差しで確かめていく。
配線を終え、電源のスイッチに指をかける。ここまで来ると、さすがに少しだけ緊張した。
カチッ。
小さな音とともに、装置の通電ランプが、ぽっ、と赤く灯った。
「……よし、点いた」
思わず声が出た。何もなかった畑の縁に、たった半日で、ちゃんと働く防衛ラインが立ち上がっている。形に残る仕事は、やっぱりいい。画面の中で消えていく成果物とは、手応えがまるで違う。
ランプは点いた。だが、本当に電気が流れているのか。目に見えないだけに、どうにも実感が湧かない。
……試しに、触ってみるか。
そろりと人差し指を電線に近づける。あと数センチ、というところで、好奇心が慎重さに勝った。
バチッ。
「痛っ!?」
指先から肘まで、しびれが一瞬で駆け抜けた。反射的に手を引っ込め、その場で飛び上がる。
じんじんと痺れる指を振りながら、俺はしばらく固まっていた。それから、じわじわと可笑しさがこみ上げてくる。
「……ちゃんと効くじゃないか、これ」
通電テストとしては満点だ。ただし、テスターの役を自分の指でやるのは、六十点ってところかな。……いや、勇気を出したぶん、七十点はあるか。
誰もいない畑で、俺はひとり、痺れた指を吹きながら笑っていた。傍から見たら、完全にただの間抜けである。それでも、悪い気分じゃなかった。
顔も名前も知らない常連さんのために、汗だくで砦を築いている。畑を守るのは自分の飯のためだが、守った野菜は、あの律儀なお客さんたちのぶんでもあるのだ。
「こんな山奥で、誰かのために柵を張る日が来るとはなあ」
守るものがあるってのは、案外、悪くないものだ。
◇◇◇
その夜のことだった。風呂上がりに縁側で涼んでいると、畑のほうから、かさり、と物音がした。
風の音ではない。何か、確かな重みのある気配が、張ったばかりの柵の向こうに、ひそりと立っている。そんな感じだ。
俺は懐中電灯を掴み、庭下駄をつっかけて、足音を殺して畑まで近づいた。光の輪を、柵の向こうへ向ける。
だが、そこには何もいなかった。電線は三段とも、静かに夜気に張られたまま。通電ランプだけが、闇の中で赤く点滅している。
「……気のせい、か?」
拍子抜けして、光を足元へ落とす。その瞬間、俺は動きを止めた。
柵のすぐ外側、やわらかい土の上に、足跡がいくつも残っていた。人のものとは違う、大きくて、指の形の妙なやつ。この前、荒らされた畑で見たのと同じ跡だ。
しゃがんで、まじまじと見つめる。跡は柵の手前でぴたりと途切れ、内側へは一歩も踏み込んでいない。まるで、見えない線を律儀に守るみたいに。
「柵の"外"で、止まってる……?」
妙な話だ。獣なら、電気柵の存在なんて知りもせず、鼻先を突っ込んで痛い目を見るのが普通だろう。それがこいつは、最初から境界をわきまえているみたいに、きっちり外で引き返している。
「律儀な獣もいたもんだ」
俺は立ち上がって、暗い山のほうを見やった。懐中電灯の輪の外は、墨を流したような闇だ。
電気柵は、ちゃんと効いた。この指で確かめたから間違いない。なのにこいつは、そもそも触れてすらいない。効いたというより、遠慮された、とでも言うのか。まあ、いい。畑に入られなかったのは、上出来だ。
通電ランプの赤い明滅を背に、俺は家へ引き返した。夜風に、甘い草の匂いが混じっている。振り返ると、三段の電線が、月明かりにぼんやりと光っていた。




