第23話
軽トラで山を下りて、うねうねした県道を四十分。麓の町のはずれに、その巨大な箱はあった。
だだっ広い駐車場に車を停めて、俺は自動ドアをくぐる。ひんやりした空気と、木材と塗料の入り混じった匂いが、鼻の奥をくすぐった。天井までびっしり並んだ棚、番号を振られた通路、見渡すかぎりの値札の海だ。
正直に言うと、俺はこの手の店が、昔から少し苦手だった。何を買えばいいのか見当もつかないまま、広さに気圧されて手ぶらで帰る。そういう場所だった。
でも、今日は違う。
目的がはっきりしている。畑を荒らす獣を、どうにかして防ぐ。それだけだ。敵が明確で、対策が具体的な課題。こういうのは、むしろ得意分野だった。
「よし、燃えてきたぞ」
カートを引き寄せて、俺は資材コーナーへ足を向けた。
まずは電気柵だ。パッケージの裏の仕様書に、俺は吸い寄せられた。出力電圧、パルスの間隔、対応する動物の種類、電源の方式。数字と図が、几帳面に並んでいる。
この、規格がきっちり決まっている感じが、たまらない。
ひと組の商品に、ちゃんと必要な数字が全部書いてある。何ボルトの電気が、何秒おきに流れて、どのくらいの獣まで効くのか。曖昧なところが一つもない。読めば読むほど、頭の中に完成図が組み上がっていく。
棚の前にしゃがみ込んで、俺は説明書を三種類ほど読み比べた。傍から見たら、ただ電気柵の箱を睨んでいる怪しい男だが、本人は至って楽しい。
通りかかった店員に、いくつか質問をぶつけてみた。ソーラー式とバッテリー式の違い、斜面での張り方、猪と猿で高さをどう変えるか。返ってくる答えを、頭の中の設計図に、一つずつ書き込んでいく。
「なるほど、下段はできるだけ地面すれすれに、と。鼻先で来る猪対策ですね」
口に出して確かめると、店員がわずかに目を丸くした。
「お客さん、詳しいですね」
「いやいや。説明書を読むのだけが、昔から取り柄でして」
本当のことだ。前の仕事も、突き詰めれば分厚いマニュアルとにらめっこする毎日だった。まさかその癖が、こんな山奥の獣害対策で役に立つとは、思ってもみなかったが。
◇◇◇
電線を選び、碍子を数え、支柱を束で積む。ついでに箱罠の部品、くくり罠のワイヤー、防獣ネットのロールも、片端からカゴへ放り込んでいった。
箱罠の部品は、金属の匂いがした。冷たく光る鋼のばね、寸法のそろった金網、抜き差しのなめらかな仕掛け棒。手に取ると、機械のような正確さが指に伝わってくる。
これを組み合わせて、獣を傷つけずに捕まえる檻を作る。設計図はもう頭の中にある。あとは、部品を漏れなく揃えるだけだ。買い忘れがないよう、俺は指を折って点検していった。
トタン板を選ぶとき、俺は積まれた工具にも手を伸ばした。番線を切るための頑丈なペンチ、支柱を打ち込む重たいハンマー。
握った瞬間、手にすっと馴染んだ。
柄の太さも、重心の位置も、まるで前から使い込んでいたみたいに、しっくりくる。何本か握り比べてみたが、不思議と、選ぶ手が迷わない。
「いい道具ってのは、持った感じで分かるもんだな」
我ながら、玄人みたいな口をきいている。まあ、気分だけでも職人になっておこう。そのほうが、作業も楽しい。
カゴはあっという間に山盛りになった。カートを二台に増やしても、まだ足りない。トタン、番線、結束バンド、絶縁テープ。頭の中の防衛ラインが、買い物を進めるほどに、くっきりと形を帯びていく。
この、頭の設計が現実の物になっていく感覚。これが、ずっと欲しかったものだ。
都会でどれだけキーボードを叩いても、手元には何ひとつ残らなかった。画面の中の数字が、ただ動くだけ。それに比べて今カートに積まれているのは、ぜんぶ手で触れて、重さのある本物だ。
◇◇◇
レジで会計を通すと、それなりの金額になった。それでも、惜しいとは思わない。畑を守るための投資だと思えば、むしろ安いくらいだ。
台車を借りて、荷物を軽トラの荷台へ運ぶ。積んで、縛って、また積む。荷台がぎっしり埋まって、幌を掛ける頃には、もう夕方の風が出ていた。
運転席に乗り込んで、ハンドルを握る。サイドミラーに映る荷台は、資材で満載だ。
俺は、ふっと口の端を上げた。
「よし。これで完璧な防衛ラインを敷いてやる」
エンジンをかけて、山道へ鼻先を向ける。
「畑は、渡さないぞ」
◇◇◇
その日、軽トラの荷台のすみっこで、赤いサラマンダーが一匹、しっぽの火をゆらゆらさせていた。火と熱の精霊、エンだ。
「あるじのやつ、朝からずーっと燃えてんだよなあ!」
だだっ広い店の中は、精霊から見たって宝の山だ。でも、それよりなにより、誠だった。「よし、燃えてきたぞ」——そう言ったときの誠の胸のあたりが、ちろちろと熱く高鳴っているのが、エンにはよく見えた。やる気ってのは、火に似ている。エンはその熱に呼応して、いっしょになって燃えていた。
誠が重たいハンマーを握ったとき、エンはこっそり柄のあたりに乗っかった。すると重心が、すっと手におさまる。番線を切るペンチのときも、そうやって手伝ってやった。
「そうそう、それでいいんだぜ! いい調子だ!」
もちろん、誠には聞こえない。「いい道具ってのは持った感じで分かる」なんて、また的外れなことに感心している。ちがうっての。しっくりきてんのは道具じゃなくて、あるじの手のほうなんだぜ。
でも、まあいいや。あるじがこんなに楽しそうなんだから。
「なあ、次はなに作るんだ!? はやく帰って組み立てようぜ!」
資材が山と積まれた荷台の上で、小さな火が、うれしそうにぱちりと爆ぜた。




