第22話
軽トラを麓の集会所の前に停めると、泥のはねた同じような軽トラが、もう何台か並んでいた。
数日前、畑帰りに立ち話をした区長さんが、「寄り合いがあるから顔を出しなよ」と声をかけてくれたのだ。獣にやられた話をしたら、それなら皆で知恵を貸すという。ありがたい申し出だった。
引き戸を開けると、車座になった顔ぶれが、一斉にこっちを向く。よそ者が浮くかと少し身構えたが、返ってきたのは「おう、来たか」というひと言と、麦茶の入った湯呑みを差し出す手だった。
拍子抜けするくらい、自然に輪の中へ収まってしまった。
「結城さんとこ、やられたって? 畝ごとか」
「トマトを、ごっそり。支柱もなぎ倒されてました」
俺が被害の具合を話すと、あちこちから「あー」と、我がことのような声が上がる。この辺じゃ、それは春の風物詩みたいなものらしい。
「この山はな、昔っから猪も猿も多いんだ。畑やる者は、みんな一度は通る道さ」
白髪頭の一人がそう言って、湯呑みをすすった。
そこからは、ありがたい知恵の雨だった。
「まずは電気柵だな。太陽光のやつなら電気も引かんでいい」
「支柱の間隔は狭めにな。猿は隙間を見つけるのが、そりゃあ上手いから」
「罠を仕掛けるなら役場に届け出がいるで。勝手にやると、あとで厄介だ」
俺は手帳を出して、片っ端から書きとめた。電圧のこと、碍子の付け方、獣道の見極め方。ひとつ聞けば、三つ四つと惜しみなく返ってくる。
説明書を読み解くのは昔から得意だが、こういう土地の生きた知恵は、本にもネットにも載っていない。頭を下げて教わるほかない。
「勉強になります。全部、やってみます」
素直にそう言うと、皆、満更でもない顔で笑った。押しつけがましくもなく、突き放しもしない。ちょうどいい距離の親切さが、妙に心地よかった。
話しているあいだ、なぜだか肩のあたりの空気が、ふっとやわらいだ気がした。
◇◇◇
話は、いつのまにか獣害から逸れて、世間話になっていた。
「そういや結城さん、庭先で野菜を売っとるらしいな。うちの孫が、あそこのトマトはうまいと」
「あんな山奥まで、買いに来る人がいるんですか」
俺が驚くと、区長さんは「さあて、儂は見たことないがな」と首をひねって笑った。誰が買っているのやら、皆も知らないらしい。まあ、俺自身も客の顔を見たことがないのだから、お互いさまだ。
帰り際には、使っていない番線の束を「持ってけ」と押しつけられ、余った苗まで抱えさせられた。断る隙もない。田舎の親切は、いつだって前のめりだ。
「なんだか、もらってばかりだな」
両手をふさがれて、俺は少し苦笑した。次は、うちの畑の野菜でも担いで来ようと思う。
◇◇◇
ひととおり知恵を授かって、俺は暇を告げた。
考えてみれば、と軽トラのキーを握りながら思う。畑を荒らす獣より、毎晩きっちりコインを置いていくうちの常連のほうが、よっぽど正体不明なんだけどな。まあ、あっちは害がないから、いいか。
そんな呑気なことを考えていたら、玄関先まで、一番の年長らしい老人が見送りに出てきた。皆から源じいと呼ばれていた人だ。腰は曲がっているが、目だけはやけに澄んでいる。
源じいは俺の顔を、下から覗き込むようにして、ふふ、と笑った。
「結城さん。あんたの山はな、特に……」
ひと呼吸、間があいた。
「昔から獣がよう出るし、"変なもん"も出るって、言い伝えがあるでな」
「変なもん、ですか」
俺が首をかしげると、源じいは答えず、ただ皺を深くして笑うだけだった。詳しく聞いていいものか、なんとなく、はぐらかされている気もする。
まあ、山の言い伝えなんて、どこにでもあるものだ。狐が化けるだの、天狗が住むだの。深追いするのも野暮というものだろう。
「肝に銘じておきます」
適当に頭を下げて、俺は運転席に乗り込んだ。
帰り道、曲がりくねった山道を登りながら、俺はさっきの言葉を、もう一度なぞってみる。
「変なもん、ねえ」
窓の外を、夕方の新緑が流れていく。害のない常連に、形の違う足跡。たしかに、変といえば変なことは、うちの山でもぼちぼち起きている。
でも、悪いことは何ひとつ起きていない。それどころか、暮らしはむしろ、日に日に居心地がよくなっている。
だったら、それでいいじゃないか。俺はハンドルを切りながら、ひとりで小さくうなずいた。
「悪くない"変なもん"なら、大歓迎だ」




