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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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第217話

 朝、部屋の天井を見上げた。板は張ってある。張ってあるだけで、その上に何が入っているのかは分からない。


 継ぎ目に手をかざすと、冷たいものが落ちてくる。


 灯りは、朝いちばんに土間から引いてきた延長コードの裸電球がひとつきりだ。線は敷居の下を通すので、板戸を閉めるとそこだけ浮く。


 昨夜はランタンひとつで足りたが、今日は天井裏へ首を突っ込むことになる。人を寝かせる部屋の真ん中に、床を這った線が一本走っているのは、どう見ても仮の姿だった。


 この部屋には、そもそも電気が来ていない。


 俺の手には負えないし、負えると思ってはいけないところでもある。電気は、間違えたときの取り返しがつかない。床なら張り直せばいいが、火が出てからでは家ごとない。


 電話を二本かけた。一本目は区長さんで、掛け軸の話だ。桐の箱に入っていた山と川の絵を、値打ちも由来も分からないまま押し入れの上段へ戻してある。


 区長さんは少し黙ってから、あの家の人には県外に遠縁がひとりいると教えてくれた。年に一度、春の彼岸に集落へ来る人らしい。


 こっちで預かって春に渡してもらうことにして、それで一つ、置き場所が決まった。


 二本目が電気屋だ。区長さんが去年の寄り合いで一度名前を出しただけの店で、こちらから頼むのは初めてだった。


「うん、勝手口のほう。六畳くらいの板の間で、そこだけ電気が来てないんだ。天井裏は、まだ開けてない」


 午後に来てもらう約束をして、電話を切った。話しながらタメ口だったことに、切ってから気づいた。


◇◇◇


 待つあいだに、天井裏の点検口を切った。押し入れの上ではなく、部屋の隅の目立たないところに、四十センチ角。墨をつけて、細い鋸で回し挽きにする。


 切り落とした板は捨てずに置いておく。あとで枠を回してやれば、そのまま蓋になる。


 切り終える前に、埃が肩へ落ちてきた。何十年ぶんかが、切った線に沿って一度に下りてくる。目に入ると厄介なので、手ぬぐいを額に巻いて、顔を横に向けながら挽いた。


 挽くたびに、細かいものが灯りの帯のなかをゆっくり回った。床は一昨日張ったばかりで、これでまた掃除がひとつ増える。


 懐中電灯を咥えて、首だけ突っ込んだ。床下でこの持ち方には懲りたはずだが、首から先しか入らないなら、ほかにやりようがない。


 乾いた冷たさが顔に当たる。古い埃の匂いが鼻の奥に来て、しばらく引かない。屋根の裏板がそのまま見えていて、断熱らしいものは何も入っていなかった。この上は、外とほとんど変わらない。


 梁の上を、黒い線が一本這っていた。途中で、一度継いだ跡がある。被覆が乾いて、指の腹でなぞるとぱさついた。


 爪の先で軽く押すと、そこだけ皮が浮くように動く。電気のことは分からないが、これが良い状態でないことくらいは分かる。


 首を抜いて、床に降りた。埃を払って、灯りを消して、あとは待つことにした。


 細いのが、その梁の下へ近づかなかった。


 土間の框まで下がって、そこから動かない。手ぬぐいをかませて抱えていこうとすると、身をよじって逃げた。逃げてから、また同じ場所へ戻る。


 指はささない。教える気もない。ただ、そこにいたくない、という顔をしている。


「昨日は、寒いところにわざわざ立ってただろ。今日は駄目なのか」


 返事はなかった。昨日は動かず、今日は動かない。同じ動かなさなのに、こちらの受け取り方だけが逆になっている。


◇◇◇


 午後、軽バンが坂を上がってきた。屋根に脚立を積んだ車が入ってくるのを見るのは、この山では初めてだ。


「すみません、わざわざ。奥です」


 顔を見た途端に丁寧語へ戻ったのが、自分でもおかしかった。電気屋は五十がらみの人で、脚立を担いで部屋に入るなり、天井と壁と敷居を順に見て、点検口をひとつ褒めた。切る場所がいい、と言われた。


 上がって、しばらく物音がした。梁を伝う足音が、思っていたより後ろのほうまで行く。降りてくるまでのあいだ、下から見えていたのは長靴の底だけだった。


「結城さん。去年の冬あたり、電気が落ちませんでしたか」


「落ちました。何度か。この冬も、電球が急に明るくなることがあって」


「この継ぎ方だと、まあ、落ちますね。古い線に新しいのを繋いで、そのまま何十年か置いてある。落ちなかったほうが不思議なくらいだ」


 なるほど、と言うしかなかった。この冬、電球が白く冴えるたびに俺が考えていたことは、どれも梁の上とは関係のない話だった。


 土間の框のほうを見た。細いのは、そこから一歩も入ってこない。


「天井は引掛シーリングにしときましょう。コンセントは二口を二か所、こっちとこっちで」


「お任せします」


 器具の位置も、口数も、電気屋の言い値で決まった。俺は口を挟まなかったし、言い直しもしなかった。分かる人が決めたものを、分からない人間が動かして、いいことになった例がない。


◇◇◇


 作業のあいだに、板戸の金物をつけた。鉄本さんの掛け金と引手が、一昨日届いている。木っ端に控えた寸法どおりで、下穴を開けて木ねじで留めるだけだ。


 掛けてから指で押しても、今度は外れない。引手は、指の腹が当たるところだけ薄く磨いてあった。頼んでいないのに磨いてある、というのが、あの人らしくてありがたい。頼んでいない仕事だ。


 夕方、電気屋がスイッチの位置を指した。板戸を入ってすぐの、腰より少し上。手を伸ばした先に自然にあった。


 試しに押すと、天井の真ん中に灯りがついた。まだ外が明るいので、板の色が少し変わっただけに見える。電気屋は器具の傘を軽く回して位置を直し、脚立を畳み、それで帰っていった。


 半月かけてきた部屋の灯りが、この人の午後一回で来たことになる。


 前の勤めでも、自分たちで半年こねくり回していたものを、外から来た人が二週間で通してしまうことがあった。あのころは悔しかった。いまは素直にありがたい。俺が半月かけたのは床で、この人が午後で終わらせたのは電気だ。持ち場が違うというだけの話だった。


 俺は土間から延ばしてあった延長コードを外した。裸電球を外し、コードを巻いて、敷居の下から線を抜く。仮の灯りを片づけてしまうと、部屋は日の落ちるぶんだけ暗くなっていった。


 日が完全に落ちてから、もう一度入った。


 押した。


 白い板の目が、いっぺんに色を持った。昼の光で見ていたときより、木の赤みがはっきり出る。窓からの光は片側からしか入らないが、天井の真ん中からなら、四隅まで同じだけ届く。


 畳もない、家具もない。何もない六畳が、何もないまま、部屋の顔になった。


「できた」


 誰も聞いていないところで言った。言ってから、しばらくそこに立っていた。灯りのついた部屋というのは、こんなに気分のいいものだったか。自分の影が、床に長く伸びている。


 壁の隅の埃を拭き残していたのが、そのせいでよく見えた。


 土間の框の向こうから、それよりずっと小さい影がひとつ、光の縁までにじり寄ってきた。そこで止まって、それから、框をまたいだ。


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