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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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213/342

第213話

 朝のうちに、森野さんの板が来た。荷台に桟を挟んで積んであって、降ろすのは俺ひとりでもできる。ただ、一枚が思ったより長い。


 片端を持ち上げると反対の端が地面を擦るので、結局、肩に載せて一枚ずつ運ぶことになった。板の間へ入れて、壁ぎわに立てかける。


 すぐには張らない。二、三日この部屋の空気に馴染ませてから使う、と言われている。運ばれた先の乾き具合に、木のほうが追いつくらしい。


 十枚まで運んだところで、上着のポケットで携帯が震えた。この山は電波が心もとないので、鳴ること自体がめずらしい。三上だった。


 麓の駅にいる、と言う。夏に見送ったとき、また来ていいかと訊かれて、いつでも、と答えたのは俺だ。四か月たって本当に来る人間がいるとは、あのときは思っていなかった。


 向こうで、無人駅のアナウンスが二両ぶんの短い電車を告げていた。


「なあ結城、いきなりで、その……悪い。いつでも、って言ったろ」


「言った。待ってろ、下りる」


 軍手を外して、鍵を取った。板の残りはあとでいい。あの無人駅の待合には、ストーブどころか壁も半分しかない。


◇◇◇


 山道を十五分、県道を二十分。夏に見送った駅前は、雪が隅へ寄せてあるぶん狭い。除雪の山の陰で、待合の自販機だけが明るかった。


 三上はその端に、去年より薄い鞄をひとつ提げて立っていた。首を縮めてはいるが、夏に来たときの、下ばかり向いている立ち方ではない。


 こちらに気づいて手を上げるまでの間が、あのころより短かった。


「痩せたか」


「そう見えるか。……たぶん、着ぶくれてないだけだ」


 鞄を受け取ろうとしたら、いい、と断られた。夏は、こちらが手を出す前に渡してきたやつだ。荷物の重さは同じに見えるのに、持つほうの手が変わっている。


 帰りに、ホームセンターへ寄った。長靴を一足。屋根で滑ったやつは底の金具が二本抜けたままで、本降りになる前に替えると決めていた。


 三上がついてきて、棚の前で底の金具を指でなぞっていた。都会のホームセンターにも同じ棚はあるはずだが、こういうものを手に取る用がない。


 俺だって、一年半前まではそうだった。


「これ、何に使うんだ。ぶつぶつしてるけど」


「屋根に上がるんだよ、これで」


「上がるのか、屋根」


「雪が乗るからな。放っておくと、屋根のほうが困る」


 言ってから、去年はこの説明をできる側にいなかったな、と思った。雪が乗ってから慌てて梯子を立てた側だ。


 山に着いて、三上を土間へ通した。湯を勧めたが、まだいい、と言う。荷物を隅へ置いて、それから土間を見回して、去年の夏とどこが違うかを探しているような顔をした。


「今、何やってんだ」


「床下と、板だ。見るか」


 見る、と言うので、そのまま連れていった。湯より先に床下を見せるのは、もてなしの順番として逆だ。分かってはいたが、三上のほうが先に上着を脱いだ。


 俺の作業着を貸すと、袖から白い手首が出た。残っていた仕事は二つ。床下の大引と束柱へ防腐剤を塗ること。


 それと、板をあと十枚運ぶことだ。缶は買ってきたきり開けていなかった。開けると、松脂に薬を混ぜたような匂いが上がってきて、三上が顔をしかめた。


 刷毛は俺が持った。狭いところは腹ばいでないと届かないし、缶をひっくり返されると仕事が増える。三上には潜り口のところで缶を持たせて、俺が手を出すたびに刷毛を浸してもらった。


 段取りは俺、力は二人。それで釣り合いが取れた。


 夏に来たときは、軍手を渡すところから始めないと動けなかった。今日は袖を自分でまくって、潜り口に膝をついている。


 板を運ぶのは早かった。二人で両端を持つと、それだけで半分になる。


 当たり前なのに、運び終えてしばらく呆けた。ひとりでやる算段ばかり立てていたので、半分になるという計算が頭から抜けていた。ありがたい、というより、なんだか可笑しかった。


「奥の部屋、見ていいか」


 いいと答えると、三上は客間の戸を開けて、すぐに笑った。夏に二人で作った棚が、右へ下がったままそこにある。水平を出したつもりで、出ていなかったやつだ。


 翌朝、置いた湯呑みが端へ寄っていって分かった。


「まだ直してないのか」


「直してない」


 理由は言わなかったし、訊かれもしなかった。直せば直るのは分かっている。分かっていて置いてあるものが、この家にはいくつかある。


◇◇◇


 細いのが、三上のそばから離れなかった。肩のあたりにいたかと思うと、次に見たときは背中側にいる。缶を持つ手のすぐ横まで来て、そこでしばらく止まっている。


 三上には何も見えていないし、寒いとも言わない。俺には見えているが、言わなかった。言えば、誰もいないほうを向いて喋る人になる。


 それに、こいつが人のそばへ自分から寄っていったのを見るのは、初めてだった。四匹のそばにも、俺のそばにも、こういう寄り方はしない。


 道具を片づけているとき、三上が金づちを持ち上げた。


「これ、げんのう、って言うんだよな」


「これは、なに」


 同じ拍子だった。片方は俺に訊いて、片方は柄を覗き込みながら訊いている。


「げんのう。片方が平らで、片方が丸い。丸いほうで最後に打つと、木が凹まないんだ」


 答えたのは、たまたま両方に向いていた。


「なるほど」


 平らな声が、そう言った。三上は自分の手のなかのものを見て、なるほど、と同じ言葉を返した。順番でいえば、三上のほうが後だった。


 会話が成立したことを知っているのは、この土間で俺だけだ。


◇◇◇


 夕方、かまどに火を入れて飯を炊き、そのあいだに湯船の下へ薪をくべた。湯は落としていない。冬に落とせば、樋のほうが先に凍る。


 飯のあいだに、卓の隅で三上の携帯が光った。押していないのに画面が点いて、しばらくして自分で消えた。三上は一度そちらを見て、電池が悪いのかな、とだけ言った。


「そういうこともあるよ」


 言いながら、卓の下へ目をやった。細いのが、三上の膝の脇にいる。俺が見ているあいだ、そいつは伏せた画面のほうを向いていた。


 携帯は、そのあと二度と点かなかった。人のそばへ寄りたいのか、光るものに寄りたいのかは、こちらからは分からない。


 布団は奥の客間へ敷いた。まだ張り替えていない板の間には、新しい板が二十枚立てかけてあるだけで、人を通せる部屋ではない。


 押し入れから一組出して、廊下を運びながら、この家に人を寝かせられる場所がやはり一つしかないことを、布団の重さのほうで確かめた。あの夜も、こうやって二組出した。


 行き先の決まらなかった一組は框の上に残って、あの夜は俺が土間で使った。今日はひとりだから足りているというだけで、何も片づいてはいない。


 翌朝、荷物を積んだ。


「風呂、まだゆっくり入ってない。……次な」


「次でいい。逃げないからな、風呂は」


 荷台へ、細いのが当たり前のような顔で乗った。首を振ると下りて、そのまま、助手席の窓のほうを見ていた。


 駅まで送った。夏に見送ったのと同じロータリーで、同じように荷物を渡して、同じように手を上げた。山へ戻って、板の間の戸を開ける。


 立てかけた二十枚の並びを直した。二十枚のうち十枚は、あいつが運んだぶんだ。


 そう思いながら端を揃えていたら、悪くない気分になってきた。それから土間へ下りた。


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