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山を買って古民家スローライフ 〜精霊たちと暮らすDIYな田舎暮らし〜  作者: 猫野いちば


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210/329

第210話

 起きたら雪だった。粒が細かくて、風がないので、まっすぐ落ちてくる。こういう降り方は長い。


 ぼた雪なら半日で上がるが、粉のようなのが音もなく落ちてくる日は、たいてい夜まで続く。二度目の冬にして、そのくらいは見当がつくようになった。


 板は濡らせない。金物も出せない。床下へ潜れば、上げた土をそのまま濡らすことになる。


 朝の飯を食い終わるころには、今日は一日ぶん止まると分かっていた。


 止まると分かった日の午前は、去年なら手持ち無沙汰だった。今年は、やることの書き出しが手もとにある。上から順に眺めていって、雪の日にしかできないものが一つあることに気づいた。


 雪下ろしの段取りだ。去年の冬に縁側で決めて、紙に書いて、線を引いて消した。消したあとで一度だけ、実際に下ろしている。


 ただしあれは、積もりきってから慌てて上がった日のことだ。


 道具は去年のうちに土間へ集めてある。底に金具の出た長靴、柄の長いスノーダンプ、それにロープが一巻き。長靴は履いてみたら金具が二本抜けていた。


 本降りになる前に買い替えだ。スノーダンプは柄の付け根に錆が出ていたので、油を差して布で拭いた。ロープは命綱のつもりで買ったきり、去年は結び方を調べる暇もなく上がってしまった。


 道具を揃えるところまでは、去年の俺もやっている。やっていないのは、積もる前に一度上がってみることだ。


◇◇◇


 まず梯子だった。


 母屋の南側に立てかけると、桟の据わりがいい。地面が平らで、軒も低い。去年もここに立てた。


 三段ほど上がって下を見て、去年の往生を思い出した。この位置は、落とした雪がそのまま溜まる真下だ。屋根の一列を落としただけで足もとが埋まって、梯子ごと動かせなくなる。


 降ろした雪を運ぶ道具は、そのとき屋根の上にある。


 縁側で図を描いたときには、母屋の形と梯子の位置しか描いていなかった。落ちた雪がどこへ行くかは、一本の線も引いていない。


 図というのは、描いた本人が考えたところまでしか描けない。


 降りて、東へ回した。ここは軒が高い。梯子を精いっぱい立てても、桟の数が足りない。


 三箇所目で、ようやく落ち着いた。北西の、離れの壁ぎわ。日が回らないので地面が凍って硬く、桟が沈まない。


 それに、落とした雪を捨てる先が、そのまま斜面になっている。三度目でようやく、はじめから決まっていたような場所に行き当たった。


 梯子を上りきって、まずロープを煙突の根元へ回し、腰に結んだ。結び目は、去年の秋に鉄本さんの荷締めを見て覚えたやつだ。


◇◇◇


 雪の乗った屋根は、去年と同じ屋根には見えなかった。


 瓦ではなく、古いトタンを葺き替えたものが乗っている。去年は下ろすのに必死で、踏んだ感触までは覚えていない。踏むと、雪の下で乾いた音が返ってくる。


 一歩目で長靴の底が滑って、腹の底が浮いた。抜けている金具二本ぶんだ、と足の裏で分かる。二歩目からは膝を曲げて、踵から置くようにした。


 手袋越しに屋根へ手をつくと、雪の冷たさとは別の冷たさが来る。下から来る、板そのものの芯の冷たさだ。


 雪止めは効いている。軒の手前で雪が堰き止められて、そこだけ厚くなり、下の縁から氷柱が三本下がっていた。効いているぶん、屋根の端に荷が集まっているということでもある。


 煙突の根元へ回った。板金が屋根に被さっているところの、南寄りの縁が、わずかに浮いている。指を入れると、第一関節までは入った。


 雨のときにここから入るかどうかは、入ってみないと分からない。今日どうこうする話ではないので、春に見る、と頭のなかへ入れておく。


 南と北で、雪の残り方がまるで違った。南は日が当たって、表面が一度融けて凍り直している。北は降ったままの粉のまま乗っている。


「フン。北側は残るぞ。日が回らん」


「見りゃ分かる。触るとぜんぜん違うんだよな」


 落とす方角も、上がってみて初めて決まった。脱衣所の上には落とせない。屋根が下にあるからだ。


 露天風呂の側も駄目で、湯船に落とせば掃除が一日仕事になる。落とせるのは西の斜面側と、北の離れの脇だけだった。二方向しかない。


 方角を決めているあいだ、下から声が上がってきた。庭のほうで雪に映った赤いのがちらちら動いていて、その足もとで、コロが同じところを行ったり来たりしている。


「おう、あるじ! 落ちたら、オレが受け止めてやるぜ!」


「受け止められないだろ、お前」


「やってみなきゃ分かんねえだろ!」


 やってみないと分からないことを、屋根の上で試すつもりはない。


◇◇◇


 落とす方角まで決まったところで、最後に、どれだけ積もっているかを測った。


 スノーダンプの柄を刺して、雪の面のところへ指をかける。抜いて、印の位置を尺で当てた。二十に届かない。


 棟の近くはもう少しあるが、それでも二十五かそこらだ。


 去年決めた基準は、五十を超えたら下ろす、半分まで来たら準備をする、だった。決めたときはずいぶん多い気がしたし、去年実際に上がった日は、たしかにそのくらい乗っていた。


 屋根の上で見ると、そう無茶な数字でもない。


「今日は、下ろさなくていい」


 声に出した。出さないと、なんとなく気が済まなかった。


 やらない、と決めるほうが、やるより難しい。都会にいたころの俺は、手が空いていると何か足したくなって、足したぶんだけ後で自分の首を絞めていた。


 梯子の位置が分かって、落とす方角が決まって、二十センチだと確かめた。次に本当に必要になった日、俺は迷わずに北西へ梯子を立てられる。


 六十点だ。


 屋根の雪は一粒も減っていないし、今日は何ひとつ直していない。それでも、いつか来る一日の仕事が半分になった。膝を抱えて座っていると、腹のあたりがじんわりあたたかかった。


 棟の近くに座り込んだ。腰のロープが、たるんだまま雪の上へ落ちている。


 雪は音を吸う。谷のほうから風の音だけが来て、それ以外は何もない。自分の呼吸が、耳のすぐそばで鳴っている。


 集落の屋根がいくつも白くなって、そのあいだから煙が細く立っていた。風がないので、煙は上がらずに、屋根に沿って下へ落ちていく。段々畑は輪郭だけになっていた。


 その静かさの底で、ばちん、と鳴った。


 肩が跳ねた。しばらく来ていなかったので、耳が構えていなかった。音は下からだった。


 軒下でもなければ、土間でもない。直売所の向こう、祠跡のあたりから来ている。あそこで鳴るのは、初めてだ。


 立ち上がって、そちらを見た。雪の面に、黒い点が一つだけある。周りが白いぶん、そこだけが穴のように見えた。


 降りようと思って、途中でやめた。ここは屋根の上で、足もとは雪で、俺は今日、下ろさないと決めたばかりだ。急いで梯子に足をかけるのは、その決め方といちばん相性が悪い。


 俺は座り直して、白くなった谷をもう一度眺めた。膝のあたりから雪の冷たさが上がってくるのに、しばらく立つ気にならなかった。祠跡の黒い点は、消えていなかった。


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