第208話
軽トラの荷台を空にして、麻袋を二枚敷いた。今日は砕石とセメントを積む。粉の出るものを荷台へ直に置くと、雨のあとで固まって、削るはめになる。
去年それをやって、鏨で二時間かかった。
買うものは木っ端に控えてきた。砕石、セメント、防腐剤、細かい金物。それから電球だ。
あれは、いつ切れてもおかしくない焼け方をしていた。ガラスのなかの細い線が、白を通り越して黄色く見える日がある。買い置きのないまま切れると、日が落ちてから困る。
鍵を取りに戻ったとき、土間には誰もいなかった。誰も、というのは正確ではない。かまどの奥は膨らんだままだし、井戸端も光っている。
ただ、こちらへ寄ってくる気配が一つもない。
山を下りる日は、いつからかこうなった。初めのころは、エンが助手席に乗りたがった。窓から顔を出したいだの、赤い信号を近くで見たいだの、そういう調子で騒いでいた。
乗せて、橋を渡って、渡った先でエンが薄くなった。色が抜けて、輪郭のほうが先に消えかけた。路肩に停めると、エンは自分で降りて、山のほうへ引き返していった。それきりだ。
誰も口に出して決めていない。決めていないのに、俺が鍵を手に取ると、四匹はそれぞれの持ち場で静かになる。あれは見送られているというより、留守番のほうへ気持ちを切り替えている静かさだ。
坂を下って、山道の途中でバックミラーを見た。荷台の麻袋の上に、薄い光が二つ並んでいる。
路肩に寄せて停めた。降りて煽りを叩いても、動かない。抱え上げれば手が痺れるし、布を一枚かませたところで、こいつが降りる気がないなら同じことだ。
「この先は橋だ。エンは駄目だった」
伝わっている顔ではなかった。伝わっていない顔でもない。ただ、こちらを見ている。
少し待ってから、俺は運転席へ戻った。橋の手前で、もう一度ミラーを見る。
継ぎ目でハンドルが二度突き上げた。渡り終えたところで、すぐにミラーを見た。光は薄くならない。
二つとも、さっきと同じ位置で、麻袋の上にある。二百メートルほど走って、もう一度見た。同じだった。
エンのときは、渡りきる前にもう色が抜けはじめていた。
◇◇◇
麓の店で砕石を積んだ。二十キロの袋を六つ。どれだけ要るのかは床下を見ていないので見当がつかず、足りなくてもう一度下りるほうが高くつくと思って、多めに積んだ。
電球は二個買った。一個でいいと思ったが、切れるのはたいてい夜で、しかもたいてい手がふさがっているときだ。棚の前で二個目を取ったとき、これはあの細いののために買っているのだと、自分で気づいて少しおかしくなった。
レジのあいだに一度、荷台を見に出た。袋の上の光が、薄くなっている。
次に出たときは、もっと薄かった。輪郭のほうが先に溶けはじめている。じ、と鳴る間も、朝の倍ほど空いていた。
注文をひとつ諦めた。板を挟むための当て木を切ってもらうつもりだったが、あれは家で挽けばいい。俺は荷台へ回って、上着を脱いで手にかぶせ、そのまま抱えて助手席へ移した。
軽かった。重さがあるのかないのかは、いまだに分からない。分からないなりに、この前より軽い気はした。
暖房の風を当てると揺れそうなものだが、揺れもしない。
国道の信号で停まる。青に変わるまでのあいだ、こいつは窓のほうを向いていた。向かいのガソリンスタンドの回る看板と、頭の上を何本も渡っている電線と、自動販売機の白い光。
首を振らないので、どれを見ているのかは分からない。
うるさい、というのは、たぶん耳の話ではない。土間で電球が白く冴えたときも、ラジオが勝手に鳴ったときも、こいつは同じように動かなくなった。
あのとき土間にあったのは、電球一つとラジオ一台だ。ここには、それが道の両側にいくつあるか数えられないほど並んでいる。
俺は十五年、この明るさのなかで働いていた。うるさいと思ったことは一度もない。慣れというのは、たいしたものだ。
じ、が鳴らなくなった。
俺は窓を閉め、ラジオも切って、山へ向かって走った。信号を二つ抜けると町の灯りが後ろへ流れて、そのあとは対向車のヘッドライトが数えるほどになった。
◇◇◇
橋を渡り返して、山道に入る。杉が両側から迫ってきて、路面が濡れた土の色になったあたりで、助手席の光が濃くなった。
戻る、というより、灯し直したような戻り方だった。
「戻ったな」
返事はない。かわりに、じ、と一つだけ鳴った。間はまだ空いているが、鳴りはした。
それだけのことが、こちらの肩の力を少し抜けさせる。
カーブを二つ行って、俺は訊いてしまった。訊いてから、訊いても仕方がないと気づいた。
「お前、帰るところはあるのか」
「かえりたい」
「かえりたいって、どこに」
少し間があった。この数日で聞いたなかで、いちばん長い間だった。
「かえりかた、しらない」
俺は、そうか、とだけ言った。ハンドルを持ち直して、あとは何も言わずに走った。言うことを探しはしたが、途中でやめた。
探して見つかる種類の話ではなかったし、こういうときに気の利いたことを言える人間だったら、そもそも山になど来ていない。
道は登りに入って、エンジンが一段低く唸りはじめた。ワイパーを一度だけ動かすと、フロントガラスの粉っぽい汚れが半円に広がって、その向こうに杉と雪と、うちの山の稜線が出てきた。
拠点の広場に停めて、砕石の袋を一つずつ下ろした。二十キロが六つ。肩に載せて、土間の隅へ運ぶ。
三つ目で息が上がって、四つ目で腰の高さの見当が狂った。汗が出て、湯気になって、雪の上で消えた。
四匹は、いつのまにか土間にいた。呼んだ覚えはないし、下りてきた気配もなかった。
「お前ら、橋を越えられないだろ。なんでこいつは越えられるんだ」
コロは俺の足もとで丸くなったまま、何も言わなかった。スイは井戸端へ戻る途中で止まったが、そこから動かない。エンは、かまどの前で薪を一本、意味もなく転がした。
こうして四匹に揃って黙られるのは、二度目だ。一度目は、こいつを拾った晩だった。あのときも訊き方を変える気になれず、俺は結局、毛布を一枚持ってくることで話を終わりにした。
残りの袋を下ろして、セメントを土間のいちばん乾いたところへ立てた。電球の箱は棚の上、手が届くところへ置く。麻袋を畳んでいると、梁が一度、軋んだ。
「フン。根を張ってないだけだ。そのうちこいつも動けなくなる」
言い返す言葉が、何も出てこなかった。
助手席は、まだ開けたままにしてある。降りてこないので、そのままにしておいた。




